巻き戻り|ショートショート
「今日一日なにやってたの?ずっと家にいたのにさ」
7時すぎても、夕飯の出来上がらない私に少し怒った様子で夫は言った。
「あのさ、スケジュール管理が甘いんじゃないかな?今、会社で使っているツールがあるんだよ。」
私は答える。
いや、正確には答えられない。
モゴモゴと口の中で言い訳を並べる。
夫は効率的であることを正義だと考えている。朝起きてからのスケジュールはキチっと決まっているし、毎朝同じモノを食べる。
何を食べたいか、なんてことを考える時間は無駄なのだ。作る方としてはありがたいことで、何も考えずにいつもの決まったメニューを出す。
ただただロボットのように何も考えずに出すべきモノを出すべき時間にテーブルに置く。
彼にとっては、ぼうっと座っている時間すらもスケジュールに入っている。
彼の手帳の上から3番目のリストには「ゆっくりする」という項目がある。
これはとある自己啓発サイトで見た「起きていながら脳を休める時間を作りましょう」というのを取り入れたからだ。
2歳の子どものことを語るには、最低でも1週間、24時間×7日以上どっぷりと付き合ったものしかその資格はないと思う。
理不尽で可愛くて本能のままに暴れる原始の生き物を相手にして、スケジュールなんて言葉は一蹴されてしまうのだ。
決めた通りにいくことなんて一つもない。
1人なら15分で行けるスーパーまでの道のりが、1時間以上かかってしまうなんてことは日常茶飯事だ。
そこにきて、あの夫の言葉。
「スケジュールカンリガアマイ」
急に責め立てられると言葉が出なくなってしまう。元来あがり症で人前で話すのは苦手だった。
夫が同僚だったときはそんな所がかわいいと言ってくれていた。
でも今はあの時の上司のように一方的に私を責め立てる。
理路整然に正しいことを並べられると言葉を失う。私が間違っているのかもしれない。まだまだ努力が足りないのかもしれない。
しかし夫からの話が終わって、落ち着いてみるとやっぱり2歳のモンスター相手に決まったスケジュールを時間通りにこなすのはむずかしいと気づく。
子どもが眠る13時過ぎ。
そこだけが私の自由時間だ。
この時間はゆっくり夕飯の支度をするか、自分の心と向き合う。
時間をかけて考えたらわかること。
自分の心に素直になって出た答えを持って今日の私は旅にでる。
これを手に入れた時は「とっておきのために取っておこう」なんて思っていたけど、小さな出来事が日々の生活に影を落とす。
ほんのすこしのズレが大きく広がるのだ。
だからきちんと正さなければならない。
いつものように、娘の部屋になるであろう和室の襖を開け、上段のプラスチックケースをよけて、そこに寝そべる。
ドラえもんのようだな、と思いながら頭の中でくすくす笑う。
襖を閉じると漆黒の闇が訪れる。
……
「今日一日なにやってたの?ずっと家にいたのにさ」
7時すぎても、夕飯の出来上がらない私に少し怒った様子で夫は言った。
「あのさ、スケジュール管理が甘いんじゃないかな?今会社で使っているツールがあるんだよ。」
私は答える。
「そう。そのツールちゃんと使えてる?今週に入って残業が2回あるけど、どんなスケジュールで動いてて規定の時間をはみ出しちゃっているわけ?
スケジュール管理が甘いんじゃないかな?もう一度見直して、時間内に出来ない部分は改善する余地があることも視野に入れた方がいいんじゃない?」
「この仕事のこと何も知らないのに、よくそんなことがいえるね。スケジュール管理だけじゃどうにもならない予定外の事がいっぱいあるんだよ。」
「私も同じ。
あなたに私が子どもと過ごす日々のこと全部なんてわかり得ない。やったことがない人が全部を知ることは無理なの。だからあなたにできることは一つ。
いつもありがとう、と言って私を労うこと。私もそうするわ。」
事前に何を言われるかが分かっていれば、それに対する答えを考える時間があれば、的確でありつつも相手への思いやりを忘れず、前に進める言葉を探すことができるのだ。
あの時間にモゴモゴ答えられなかった私を殴り殺すのは心が痛むけれど、少し先を歩んで、何が起きるか知っている私が今ここを生きることで、私の人生は少しづつ好転している。
いつかまた少し先の私がやってきてこの時間を生きる私はいなくなるだろう。
それでもいいのだ。
決まっている時間を精一杯生きることの大切さを痛感できるから。
あとがき
イクメンってもう流行んないけど、男子の育児参加というカテゴリーについて語るとしたらヒットしやすい言葉なんだよな。
などと考えつつ思いついたお話です。
ぜんぜんイクメンの話には、なりませんでした。
稲橋 閃
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