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レールから外れた僕が迷い込んだ「別世界」

このエッセイは、以前書いた「レールの上を歩くはずだった僕の人生が変わった時の話」の続編です。


「あそこが私の家だ。」

ハルビン空港から30分くらい走った頃、煌びやかな電飾をまとった建物の上層階を指差し、クラウンを運転するおじさんは中国語でおそらく僕にそう言った。長い沈黙を破るその言葉に、僕は大袈裟なくらいに頷いたが、結局会話はそれだけだった。車内には再びクラウンの静かなエンジン音が響き渡った。

別世界への入口

2009年。ルーキーシーズンにプレーしたチーム「チャイナドラゴン」のホームリンクは、ハルビン体育学院キャンパス内にあり、そのリンクに隣接する学生寮が、僕の中国での"最初の家"だった。チャイナドラゴンというチーム名こそあったものの、実態は「中国代表チーム」であり、中国人選手は全員が家族と離れそこで合宿していた。もちろん日本人は僕ひとりだ。
※当時のチャイナドラゴンは、ゼビオと提携する前の中国アイスホッケー協会が単体で運営するチームであった

20時を過ぎた頃だったか、学生寮に到着すると、チームマネージャーの王さんが出迎えてくれた。英語が話せる王さんとは、中国へ渡る前に何度かメールでやりとりをしていたので、これでまともな会話ができると安心したが、実際に話をすると早口で訛りがひどく、次の日の練習時間を聞き取るのでやっとだった。

案内された部屋は、ツインベッドのシンプルな部屋だった。荷物を運び入れ、やっと部屋でゆっくりできる時間ができたが、翌日の練習からチームに合流することを考えると不安で全く落ち着かなかった。

とりあえず部屋にあったテレビをつけたが、聞こえてくる中国語を聞いているとなんだかパニックになりそうですぐに消した。当時はWi-Fiも普及しておらず、部屋にあったLANケーブルを持ってきたパソコンに差し込み"外の世界"との接続を試みたが、結局その日は繋がらなかった。高額請求が怖くてガラケーの国際ローミングはオフにしていたが、家族に無事到着したことを連絡するために仕方なくオンにした。洗面所で顔を洗って一息つこうと蛇口をひねると、茶色く濁った水が出てきた。僕は完全に「別世界」に迷い込んでしまった。

不安と覚悟

飲み水を確保しようと構内をうろうろしたが、水が買えるところは見つけられなかった。近くに学生が歩いていたので、日本から持ってきた中国語指差し会話の本で「スーパーマーケットはどこにありますか?」を指差すと、その学生は親切に教えてくれた。

少し歩いた先に「超市」があった。「超市」は「超(スーパー)な市場」つまりスーパーマーケットだ。難解な中国語の中での唯一の救いは、漢字を見ればなんとなく意味がわかるところだろう。僕はペットボトルの水1ケースと、スニッカーズ2本を買い部屋に戻った。それがこの日の夕食だった。

長旅と緊張で疲れた僕は荷物もそのままにベッドに入ったが、頭の中は翌日のことでいっぱいですぐには眠れなかった。
ーー挨拶はなんて言おう。自分の名前は中国語発音の方がいいか。皆に受け入れられなかったらどうしよう。そもそも僕が明日合流することをみんな知っているのか?8時に集合と言われたがその前に朝食があるはずだ。朝食会場で選手に会ったらなんて言おう。心配が次の心配を呼ぶーー。

窓の外では酔っ払いの学生なのか、遠くの方で誰かが大声で会話する声が聞こえてくる。僕はそれ以上何も考えないように、深く目を閉じた。

予測不能

朝食会場に行くと、何人かの選手が朝食をとっていた。もの珍しそうな視線でこちらを見ていたので会釈をしたが、会話まで発展することはなかった。朝食は給食の配膳台のようなところから自由に取る形式で、僕は恐る恐る選んだ独特の香辛料の味がする朝食をそそくさと食べ、部屋に戻った。

この日は朝8時から、隣接する陸上トラックでトレーニングだった。いよいよ練習開始時間が迫る。僕は思い切って自己紹介では自分の名前を中国語発音で言おう、そう決意を固め、静かに練習開始を待った。

「整列!」

チームにはベラルーシ人のヘッドコーチがいたが、陸上でのトレーニング担当である中国人コーチが中国語で多分そんな感じの指示を出すと、選手たちはまるで戦地へ向かう兵隊のように、二列に綺麗に整列した。いきなりの出来事に戸惑いながらも、僕は見様見真似でその列に加わった。

「1! 2! 3! 4!…」

端っこにいた選手から順番に大声で点呼が始まった。「嘘だろ。」想定外だった。挨拶や紹介も無しに始まった大声の点呼が僕に近づく。僕の緊張は頂点に達した。中国語の数字は多少勉強してきたが、こんな形で大声で披露するなんて思ってもいない。そうこう考えているうちに隣の選手が何番目かもわからない数字を叫んだ。

「…。」

案の定、点呼は僕のところで止まった。周りから送られる視線がなんとも痛い。全身の毛穴から冷や汗が出てくる。できることなら今すぐにでもこの場から逃げ出したい。正直その時自分がどんな態度をとったのか思い出せないが、きっとオドオドしていたのだろう、隣の選手が機転を利かせて点呼を続けた。結局、自己紹介をすることもなく、コーチが簡単に僕のことを選手たちに紹介し、何事もなかったかのように練習が始まった。

新たなる挑戦ーー。僕はそんなかっこいい言葉はとっくに忘れ去り、これからこの「別世界」で生きていくための心の準備をすることで精一杯だった。

共通言語

中国人選手はほとんど英語が話せなかったが、彼らと僕との間には"共通言語"があった。アイスホッケーだ。

チャイナドラゴンについて少し補足しておくと、チームのヘッドコーチ(監督)はベラルーシ人で、他のコーチは全て中国人。選手は僕とロシア人1名を除き、全員が中国人。そこに通訳(ロシア語⇄中国語)が1名という陣容だ。英語の訛りがひどいチームマネージャーの王さんは、チームに常駐するわけではなかった。当然、そこに日本語を話す者は誰もいない。

最初の氷上練習は、「悪夢の点呼」から2時間後だった。思えば「チーム」として練習するのは学生最後のユニバーシアード以来だった。奇しくもその時もここハルビンの同じリンクだった。とてもじゃないがプロとは思えないような古い防具に身を包む中国人選手をよそに、僕は西武(SEIBUプリンスラビッツ)から学生時代にもらった自分の名前が刺繍された防具を身につけ、リンクへ向かった。

言葉はわからずとも、ゴールキーパーは飛んでくるシュートを止めていればなんとか練習が成立する。まだろくに挨拶も交わしていない中国人選手のシュートを、僕は必死に受け止めた。彼らが放つシュートを止めることで、僕は彼らとどうにか繋がろうとしていたのかもしれない。言葉を越えたその"共通言語"は、その後彼らとの距離を確実に縮めてくれることになるーー。

その日の氷上練習は本当に楽しかった。練習の質やレベルは、西武のそれと比べると明らかな差を感じたが、僕はアジアリーグのチームでアイスホッケーができることに、ただただ喜びを感じていた。それは、西武廃部という現実に直面してからずっと抱いていた心配や不安が、氷の上でゆっくりと溶けてなくなっていくようなそんな感覚だった。迷い込んだ「別世界」の中で、僕は自分の居場所を見つけることができた気がした。

「ここで戦っていくんだ。」
僕はもう一度自分自身を奮い立たせた。

虚構と現実

その日の夜、どうすれば中国人選手ともっと打ち解けることができるか考えた。そこでまずは、翌朝の整列点呼をどうにか僕のところで止めないための作戦を立てた。中国語の数字の発音で、唯一日本語と同じ音がある。"さん"だ。僕が立てた作戦は、整列の合図と同時に端から3番目の位置を確保するというものだった。

翌朝。「整列!」の掛け声と同時に、僕は3番目の立ち位置の確保に成功した。
「これで点呼が途切れないぞ。」
僕は「1!」の掛け声を、目をギラギラとさせ今か今かと待ち構えた。ところが、その日からなぜか点呼はなくなり、普通に練習が始まった。安堵のため息をつくと同時に、作戦が実行できずに少し残念がる自分がなんとも不思議だった。

その日を境に、僕が「別世界」に対して抱いていた不安や恐怖は徐々に薄れていった。中国人選手とも次第に打ち解け、唯一同い歳だったジャオという選手とは特に仲良くなった。規律が厳しいチームだったので10時に消灯と決まっていたが、夜な夜なジャオから「来」という漢字1文字だけのメールが届き、ジャオが部屋のトイレの貯水槽に隠していた生ぬるいビールを一緒に飲んだ。言葉はまだわからないが、僕たちは漢字で"筆談"をして語り合った。

文化や習慣で戸惑うことがたくさんあったが、中国人選手たちは何かあればいつも僕を助けてくれた。誰一人として僕を「日本人だから」と邪険に扱う人はいなかった。それどころか、休みの日はハルビン市街の観光に連れて行ってくれたり、消灯時間がない日は近所の屋台で白酒(バイジュ)を酌み交わした。

毎日が新鮮で刺激的だった。西武に入団し、"レールの上"を歩いていれば、こんな日々を経験することはなかっただろう。西武の廃部と共に、それまで当たり前だと思っていた常識や、予定調和の世界は崩れ去ったが、代わりにもっと大きな何かを手に入れられる世界にたどり着いた。

12年前の僕にとって、それは確かに悲劇だったのかもしれない。だが今振り返ってみると、それは僕が歩むべき人生の"レール"だったとしか思えないのである。

そこは「別世界」なんかではなかった。僕が迷い込んだと思っていた「別世界」は、実は自分自身が勝手に作り出した妄想に過ぎなかったのだ。そこにあったのは目の前の「今」という現実ただそれだけだった。

全ての現実を受け止め、自らの行動を変えることで、見える世界はいくらでも変えられるーー。

窓の外の遠くの方から、今日も酔っ払い大学生の話し声が聞こえてくる。

僕は静かに目を閉じ、深い眠りについた。


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実際の中国の"最初の家”

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追記
続き書きました。


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