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奇跡の向島

 すでに遠くなったと思われていた「京島、東向島」(墨田区)の町を久しぶりに歩く。20年前を思い出すような「向島EXPO2020」(10月11日まで開催した)。コロナ対策で日時予約や人数制限など鑑賞には面倒なところもあったがやむを得ないだろう。2002年に私もこの町の民家で友人たちと企画展を行なったことも思い出される。


 大きな建具製作所内外を全面的に使い様々な箇所で展示している、写真家・東京造形大学教授である中里和人さんを中心とするプロジェクトがとんでもなく面白かった。面白すぎて、写真を撮るのを忘れたぐらい。町と記憶と作品と場と雨と、、、全てが共鳴し「 Tokei ワールド」に引き込まれていく。こうした展示は、20年も前から、私などまるで太刀打ちできないほど中里さんの並々ならぬイメージと「つくりこみ」の凄さを感じてしまう。そのほか美術家の北川貴好さんの「宿の家」やタノタイガさんのベンチで寝転び下町の空を眺める作品も泣けてしまう。さらに知る人ぞ知る「キラキラ橘商店街」の中にある「ハトヤのコッペパン」の復活もうれしい !    軒下アート展示なども含め町をのんびり歩くのが楽しかった。

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 あの「スカイツリー」が建つというあたりから、長屋や工場などがだんだん無くなりはじめ、震災をへて、高架線の鉄道、駅前の高層マンション群など表通りからも町の変貌がしっかりうかがえるが、横丁の木造家屋に上がり裏口の戸などをふいに開けてみるとそこに「奇跡の向島」が見えてくる。それらは決して明るい風景ではない。むしろ侘しい。しかしその侘しさをかみしめ時間軸を少し遡ってみるといい。人の生きてきた痕跡が記されていることに気づくはず。墨田区に限らず、私の生まれた江東区、それも町工場や労働者の暮らす町筋の戦後の経緯は、東京大空襲後の復興、そして高度経済成長を経てもなお経済的に満足いく生活とは程遠かった。

 生きること、食うことに誰もが精一杯の昭和30年代。その「昭和」はいつしか「レトロ」という言葉に置き換えられてしまい、私たなどもそれに応じて書籍などを作ってしまったという反省もあるが、昭和の暮らしを想うことは、すなわち私たちの父や母の生きた日々を想うことにつながっていく。まずそれらの日々は簡単なことでなかったということをしっかり私たちも心に刻んでおくべきだろう。「奇跡の向島」にはそんな在りし日のイメージがひっそりと見えない場所にまだ浮遊している。

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 モノが溢れ、飽食の時代をしばらくおくっていた私たちにとって、このコロナ禍だからこそ、普段は見えない風景にじっと目を凝らしてみるとよいのではないか。中里和人さんは「ヒューマンスケール」という言葉をここでいつも用意している。私は「等身大」。町への視点に変わりない。京島、東向島を歩くのは数え切れないが、小さな奇跡を頼りに「現在」を再び撮り歩いてみたいと思っている。

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古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。