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暴力をふるう、寂しがりな私の父

※当記事には性的な表現や暴力的な表現が含まれます。また、虐待やDV、その他暴行についてトラウマがある方にはそれを刺激してしまう内容となります。ご注意ください。


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はじめまして、みつと申します。
今19歳の私は、10歳の頃から8年間性的虐待を受けてきました。
現在は裁判を終え、父との関わりは一切ありません。
(youtubeで体験を発信しています)
https://youtu.be/ZGfq-4cJk8A

どこまでやったの?と時折、被害者に聞くものかそれはと思いたくなるような質問が来ますが、どこまでもなにもできるところまでやった。私の初めての相手は父です。

自身が味わう苦痛を軽減する方法のひとつに、相手を理解するという行動があります。相手を理解し、何故このような行動をとるのか辻褄を合わせるのです。私は父を刺激しないように、「なぜこのような質問をしてくるのか」「どのように答えてほしいのか」を毎回考えていました。
当時の私は勿論全く悪くないのですが、「私が悪いのかもしれない」と考えていたので自己肯定感が育つことはありませんでした。

父は私に望み通りの言葉を言って欲しがった一方、社会情勢の話や会社の話、様々な価値観を語るときは私が好きに語ることを望んみました。
「お前はその年にしては客観的に物事が見れるし、賢い。流石俺の子だ」
そう言って父が喜んでくれるので、私はとにかく討論をする時は頭をフルで回転させます。

こうして自分の意見を確立させ考え続ける一方、「父が何故そのようなことをするのか」についての答えは出ずに終わっていました。
私は父の生い立ちを知り、どういう時にどのような考え方、何を感じるかを知ってはそれを元に考えました。心の奥底で「本当は私は悪くないのかもしれない」という思いがよぎっては、父の行動原理を考えました。

そうして何年も考え続けた結果、私がひとまず出した答えは「育ってきた環境」「愛着の歪み」です。
勿論それだけではありません。先天性のある性格や思考回路もあるでしょう。
しかし様々な書籍や文献を読み、体験談や人々の心理、家庭環境がその後どのような影響を及ぼすのかを知った結果、何度もここにたどりついてしまう。

父の愛着の歪みは、様々なエピソードから垣間見えます。
「何故虐待をしてしまうのか」「何を考えているのか」
被害者としても、虐待は一切肯定しない。しかし健全に生きてきた人々には理解できない思考回路を、少しだけ想像してみてほしいと思いました。

「虐待をしてしまう人が、何故そのような行動をとるのか」

勿論理由は人によるし、中には育ちなど関係なく暴行する人も居る。
ただ、こういうケースがあるということを周囲の人々が知ることによって、社会全体で虐待をしてしまう人を少しでも産まないようにするために、虐待を受ける子を少しでも減らすために考えられることがあると私は考えました。一方的に、罪を犯した人間を裁く方法を考えるだけでは、こういった問題は収まらないと思います。

※虐待を受けている子達は、暴行してくる人の気持ちは考えずただ逃げるだけで良いです。「あの人も辛いのかな」と思うようになると、本当に抜け出せなくなります。

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自分の気持ちを理解してもらえない寂しさ

「将来はパパと結婚する!」

父親が、一度は娘から言われると嬉しい言葉らしい。
「娘ちゃんとパパは結婚できないんだよー」
娘の言葉をそう受け流しながら、父親はきっとにこにこしながら娘を撫でる。そうしてすくすくと成長していき、反抗期に入った娘に「あの時はこう言ってくれたのにな」と傷つきながらも成長を見守るのだろう。

かくいう私も、小学生の頃父に「パパと結婚する」と話した身である。ただその言葉が、純粋な父を好く気持ち故に発せられた言葉でないことを父は気付いていなかった。


私が父から「女」として見られ始めたのは、驚くこと11年前、私が8歳の頃だ。父はもとより、小児愛者ではない。では何故8歳の私を女としてみるようになってしまったのか。そこには父の孤独さと、愛着の歪みがあった。

11年前、母方の親戚が亡くなった。元々親戚や義両親との付き合いが下手だった父は、お通夜の中で孤独だった。
「来てくださってありがとうございます」
「あ、はい」
「お食事の準備が出来ておりますので、良かったら召し上がってください」
「あ、えっと」
母の親戚や義両親から話しかけられ、父は時折下手な笑顔を浮かべながら相槌を打つ。
家での横暴な態度とは打って変わった小さな姿。誰かと話しているのに、父の周りには人が居ないように感じた。

食事の時間になっても、父は会場の外にいた。
母は父に来ないのかと尋ねる。父は曖昧な返事をする。
そして父から「お前は行かないのか」と聞かれた。私は幼いながらも父の孤独さと、家庭を支配する父の心の裏の寂しさを知っていた。
「私はここにいる」
「なんで?」
「だってパパ、人見知りだもん。私がここにいる」

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父はきっと、自分の理解者が欲しかったんだと思います。
暴行をふるい、周りの人が我慢をする一方で、周りが理解できないようなことを一人で我慢してきたのだと思います。第三者がその考え方は異常だと言おうが、本人がつらい思いをしているならそれは苦しみだということは否定できない。
父の支配欲は「俺は間違っていない」「俺に従って俺を愛していると証明しろ」と、不安から来るもののように見えました。
故に、父は母を他者と交流させず独り占めにした。私に彼氏ができないように圧をかけた。唯一の居場所である家庭が、どこかへ行ってしまうのが怖かったのでしょう。独りになるのが怖かったのでしょう。
最初は「離婚だ」と脅していた父は、母が離婚できるならいつでもするという姿勢を見せてから「絶対離婚しないからな」という言葉に変わりました。

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いつものように酔った父の部屋に呼ばれ、その少し筋肉質な腕で抱きしめられる。
ピアニッシモの甘い香りと父の体臭が混ざる。決して心地良いとは言えない時間が流れた。
「あの時、俺を理解してくれたのはお前だけだった」
ぽつりぽつりと、父は語った。
自分の父親から暴力を振るわれてきたこと、そして助けを求めても母親は応じなかったこと。嫁である私の母は情緒が不安定なこと。そして父が連絡を取るなと言っても父の両親と連絡を取り続けること。

家では横暴で支配的な父。でも外面は上司の愚痴を「もう聞きたくない」と断れない人。人見知りで、話しかけられたら萎縮してしまうような人。

「俺の本当の心をお前は理解してくれる。だからあの時俺は、お前に恋をした」

父の言葉は冗談ではなく、真剣そのものだった。

「パパが本当は寂しがり屋なの気付いてるよ」
「やっぱりお前のこと好きやわ、大好き」

父の機嫌を損ねないように発した言葉ではあったが、傷ついた父の心に寄り添いたいと思っている自分が居たのもまた、本当のことだった。

傷つきたくないという心の叫び

「俺の名前を呼んでくれ、パパと言わないでくれ」
「子供を産んで欲しい、一緒に育てよう」
「お前のことが女として好きだ」

何度もそう言われ、父に呼ばれるたびに抱かれる。
一度だけ避妊をしようと言ってきた日もあったが、それ以外はすべて避妊などされなかった。酔っていて最後まですることが無かったのが幸いか、妊娠は一度もしなかった。

中学生に上がる頃、私は反抗することを覚えた。
しかし、とは言ってもほんの少しの抵抗である。
密室、大きな男性の力、そして家族にバレるかもしれない恐怖。
「明日学校だから…」
「そんなんしらん。俺は仕事でもっと大変だ」
無理矢理抵抗すると、「俺のことが嫌いか?」そういって壁をなぐった。
次はお前であると、私の腕を折れる勢いで握った。
父は手を痛めていても壁をなぐった。「痛い、苦しい」お前が殴らせるのがいけないんだ。そう言うかのように手を抑える父に、私は何度もごめんなさいと謝った。

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この頃から、私は解離の症状が起き始めていたように思います。
父を本気で心配する自分が居る中で、本当に私は悪いのか、何故父はこのような行動をとるのかを常に冷静に考えていました。

愛着の歪みというものは、非常に難しいお話です。
本人の愛への認識を変えないと、一般的に悪だとされるものを本人は愛の形なんだと思うようになります。
しかし、周りに頼れる人がいなかった、信頼できる人がいなかった場合は自分で自分の身を守るしかないので、経験に基づく判断や価値観がその人の全てになります。そしてそれを変えるのは難しいです。本人がたったひとつだけ信じることの出来た自分の過去を、自分で否定することになるからです。


他人の気持ちを想像できない

私はとにかく、家族を守ったつもりでいるのに必死だった。
今になりようやくDV家庭で我慢をしたところで家族のためになることが無いのはわかるが、当時の私はとにかく家族に被害が及ぶのを防ぐために必死だった。

私が自室で寝ていたころ、母と妹の叫び声と泣き声が聞こえてきた。
部屋からは出ず、何事かと耳を澄ませていると「やめて!」と妹が叫ぶ声。
私は念のため、財布と携帯と傍にあったお菓子をカバンに入れて扉を開けた。

「お前、なんで妹を庇うんや」
「もうお願いやから殴らんといて」
「あいつが俺のこと嫌いって言ったんが悪いんやろ!」
「そんなん無理やり好きって言わせても仕方ないでしょ!」

殴られそうになる妹の前に母が立ちはだかる。
父の標的は母へ飛び火し、父は母の胸ぐらをつかみ、首を絞めた。

「助けてください!パパが、パパがママを殺そうとしてます!」

父が一番恐れていたことが起きた。父に支配され抵抗することが無かった我が家で、初めて妹が外にSOSを出した。

「お前!何警察に連絡しとんじゃ」

父の手は母の首から離れた。妹は幸い玄関に近い場所に居たので、そのまま外に飛び出した。

「あいつ…ほんま殺したんねん」

父が物凄い形相で呟いた。そして飛び出した妹を追いかけようとしたが、目の前に母が立ちふさがる。

「お前も殺されたいんか!?どけやお前、殺すぞ」

母は一瞬怯えた表情を見せるも退かなかった。しかし父の力によって母は横に押し倒されてしまった。

「…パパ!」

私は部屋から飛び出して、正面から父に抱き着いた。

「パパが怒る気持ちわかるけど落ち着いて話そう?あとで私が話聞くからさ、大好きだよ」

父は私を強く抱きしめ返し、荒げた呼吸を整えた。
「そうだな、すまんかった」そう言って父は私の頭を撫でた。

この後、妹が逃げ込んだ先の友人家にも被害は及んだ。
心配して様子を見に来た私の友人が、私の父に妹だと勘違いされて一発殴られたのである。
「パパ、その子妹じゃないから!」
私の声にハッとした父は、その友人を抱きしめ謝った。
友人と私の父が抱き合い、それを私と友人の兄が見つめるという、なんとも奇妙な光景だった。

結局、被害届は出さなかった。友人宅も、私たちの家庭が壊れることを心配し、判断を私たちに委ねた。

夜中の事情聴取から解放されたあと、一日の冷却期間をおいて自宅に戻った。その日から父は妹に学校以外部屋から出るなと告げ、何か月もそのままだった。

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父は、反省することはありませんでした。
もとより、善悪の判断がつかないんですね。ついても自分を正当化、自己保身に走る。警察からの事情聴取も、へりくつや言い訳ばかり述べていたらしいです。
妹に通報されてからも、自分が悪いという旨は一切話しませんでした。
「警察に通報するなんて人でなしだ」
「あいつの顔は見たくない、苛立って殴りそうになる」

また、通常であれば見知らぬ男性に急に殴られ急に抱きしめられる行為を嬉しいとは思わないでしょう。しかし私の父は、友人を抱きしめて謝りました。
他にも、私にしたことを償いたいと話していたことがありますが、内容はとんでもないものでした。「責任を取って結婚する、お前のことは養う」
父自身、暴力をふるってきた実親の顔は見たくない、と家を飛び出し絶縁しています。父にも加害者に会いたくないという気持ちは確かに存在するのに、相手の話になるとそれが一切見えなくなっています。相手の立場に立って考える余裕が無いんだと思います。


殴った後のそれは優しさではない


父は、過去自分が暴力を振るわれて育ち辛い思いをしたから、誰にも暴力をふるいたくないと言っていましたが、結果的には人を殴ってしまいました。

DVでよくあるのが「暴力をふるったあとに優しくなる、謝る」という話です。私の父も暴力をふるったあとに「これはお前のためなんだ」とよく自身を正当化させていました。
あくまでも憶測ですが、「傷つきたくない」「離れていってほしくない」「わかってほしい」という気持ちの元、このような行動にでているんじゃないかと思います。

自分が間違っている、否定されると傷つくからそう言わせないように脅して支配する。しかし暴力的になりすぎると、逆に離れていってしまうかもしれないからチャンスをくれと懇願したり、謝ったんだから許せと思う。なんでも自分の言うことが間違っていると認めるのが怖いから、相手にわかってもらうまで罵声を浴びせ続ける。
申し訳ないという相手への気持ちもあると思いますが、やっぱり何よりも自分が傷つきたくない、悪くないんだと思いたいのかなと思います。

加害者を減らすためには

まず、虐待は連鎖すると言います。必ずしもそうだとは言い切れませんが、実際に虐待被害者が子供を持ち加害者になってしまうケースは多いです。
他にも、核家族と呼ばれる外部とのつながりが薄い家族も孤立化し、周囲の人の目が行き届かなくなってしまいます。先天的なものでない限り、加害者にも心のケアが必要です。
また、暴力をふるってしまう自分に悩むも相談先がわからず、周囲に相談したら非難されてしまうから誰にも言わずに終わってしまうこともあります。

もちろん被害者目線は100%加害する側が悪いのですが、その加害を少しでも減らすために加害者への理解とサポートは必須です。
また、虐待かもと思ったとしても、加害者には「それって虐待じゃない?」と直接聞くのは避けたほうが良いと思います。自分が悪いことをしている自覚があってもなくても、非難されたと感じますます心の状態や家庭の悩みを外部に話さなくなります。

(ただ、虐待を知ってしまった場合、何よりも優先すべきは被害者であると私は考えます。加害者の精神状態や被害の状況に応じてすぐに通報や相談したほうが良い場合もあります。というか、大半の虐待被害者はすぐに保護し被害を最小限に抑えるべきだと思います)

今被害に遭っているあなたへ


結論から言うと、とにかく離れたほうが良いです。
おかしいのかもしれない、私は悪くないかもしれないと思えているうちに逃げたほうが良いです。それを過ぎてしまうと逃げられなくなります。

相手に悪気がなくても、相手がどんなに可哀想だと同情できる相手でも貴方の心を蝕んでいくのに変わりはありません。
その人と居るのがなによりも幸せなんだと心から思えるのであればよいのかもしれませんが、大体しんどくなると思います。

他にも、親を訴えたいと思っているのであれば写真証拠は必須です。
音声証拠も支えにはなってくれます。ただ、加害者本人が暴行を認めるような口ぶりや暴行の実際の現場じゃないとちょっと弱いかもしれないです。

デートDV防止ネットワーク notAlone
https://notalone-ddv.org/

男性用のDV被害相談所などは全国でまとめられているリンクがみつからないので載せませんが、検索すると出てきます。

また、虐待に関しては逃げ込める先がちゃんとあります。
貴方の親が貴方を守ってくれなかったとしても、周りの大人が守ってくれます。悪い大人は確かに多いですが、悪い大人だけではないです。
NPOの方や警察の方にいけば、その日のうちに一時保護先は見つかることが多いです。私自身、施設へ保護されたのが夜中の2:00頃でした。

私自身、経済的に苦しい状態でしたが逃げ出し、今は無事に生活出来ています。片親になったとしても手当金が国から出ますし、生活が苦しいなら生活保護の申請等もあります。
他にも児童養護施設だけでなく、自立支援所という場所もあります。
とにかく何らかの形で守ってくれます。今後どうするか等は大人たちも一緒に考えてくれます。大丈夫です。

全国の児童相談所
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/zisouichiran.html

認定NPO法人児童虐待防止協会
http://www.apca.jp/

婦人相談所
https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000402433.pdf


性被害はまだまだ隠れてしまっています。被害を受けたということを話せたとしても、証拠が無くて泣き寝入りするケースが多いです。
性被害というものは、被害者の心に大きすぎる傷を負わせます。
しかし加害者へのお咎めはなかったり、あっても被害者が苦しむ時間よりずっとずっと短いと思います。
被害の状況、加害の状況をたくさんの人に知ってもらって、社会全体で子供や被害者を守ってほしい。
加害者にも、きちんと償ってから適切な心のケアなどを行って欲しいと思います。
今後、世の中がよりよくなることを願っています。

みつ

見てくださって本当にありがとうございます。 応援したい!と思ってくださった方は、ちょこっとサポートくださると励みになります、これからもよろしくお願い致します!