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猿でも出来る作曲Life Act.2

メタル好きな私ではあったが
バンド活動の最初のステージは

パンクバンドのカバー曲だった。

その後メロディ感のあるバンドを、との
メンバー間での意向もあり

当時はまだそれほど知名度の高くなかった
ZIGGYの曲をカバーするようになった。

この頃から女子ウケも良くなり
調子に乗った我々は(笑)

あまりみんなが知らなそうな
リアクションやプレゼンスと言った
邦楽バンドのカバーを演奏することで

BOØWYやチェッカーズの
コピーバンドをしている連中に対して

「有名な曲じゃなくてもウケるんだぜ」と
妙な対抗心を剥き出しにしていた。

こんな感じで高校時代はカバー曲、
コピーバンドとしての活動に明け暮れた。


大学に進学してからすぐにバンドを結成したが
音楽サークルの寄せ集めメンバーだったので

好みが違っていたり
性格的にも不一致な部分が多く

窮屈に感じた私はすぐにサークルを飛び出して
気の合う仲間たちと新たに音楽活動を始めた。

そもそもバンドマンなんてのはわがままで
自己顕示欲の固まりみたいなものだ、

よほどウマが合うか
例え前の日に殴り合いの喧嘩をしようとも
翌日には笑顔で挨拶出来る

そんなヤツらとじゃないとやっていけない。

そんな活動の中でいよいよ私たちは
オリジナル曲を作るところまで到達した。

そしてここで訪れた最大にして最悪の問題、
ボーカルのみで活動してきたせいで

私はろくに楽器も弾けなくなっていた。

音楽の知識はと言えば…?

小中高と5段階中で2程度のレベルの私に
音楽の基礎知識があるわけもない。

そもそもベースだってほとんどが耳コピだった
楽譜だってロクに読めるわけでもない。

しかしある話を何処かで耳にした、

ヴァン・ヘイレンのボーカルだった
デヴィッド・リー・ロスは
楽器が使えないと聞いたことがある。

DREAMS COME TRUEの吉田美和さんは
鼻唄で歌メロを作るらしい。

そんじゃ、オレもその路線で行くか、と
私は勝手な思い込みを決め込んだ。

そして実際に鼻唄でメロディを作り
自分が書いた歌詞にその旋律を乗せていった

つまりは"歌メロありき"で作曲していた、
と言うことになる。

これが最も初期の私の曲作りの手段だった。

このように大学時代から曲がりなりにも
オリジナル曲を作るようになっていった。

そして…



今の私は知名度はもちろん
チャンネル登録者数や再生回数においても

最も底辺の音楽クリエイターである、
その自信と自覚は大いに持ち合わせている。

だが、私がここで書こうとする本題は

楽器の演奏もままならず
機械操作の知識ゼロの底辺から

いかに私が"音を生み出す"ことに始まり
自作曲のYouTube投稿まで至ったのか、

そこについてである。

それがこれから楽曲制作を始めんとする
クリエイターの皆さまに伝われば本望です。

現在私はDTMと呼ばれる
打ち込みによる楽曲制作方法で

敢えてバンド系サウンドにこだわり

音作りからマスタリング、歌入れにMIX
更には動画撮影から動画作成・編集までを
全て一人で行うと言う

途轍もなく気の遠くなる作業を
1人でこなしているため

ひとつの作品を生み出すまでに
かなりの時間を要することになっているが

これは"音楽的独裁政権者"でありたいと言う
自分のエゴから生まれた発想です。



作品のクオリティはさておき
制作過程における楽しさが少しでも伝われば

そしてこれから音楽を始めたいけど
楽器を触ったことがない、曲なんか作れない
そう思っている皆さんの標となるべく

"中年の星"として邁進したいと言う決意で
この話を進めて行きたいと思います。

もちろん楽しいことばかりではない、
大変なこと、辛いことはたくさんあるものの

ひとつの何かを生み出した喜びや達成感が
それらを全て洗い流してくれる、

それは実際に体験して初めてわかることでは
ないかな?とも思う。

そんな訳でバンドマンからクリエイターへ…
少しずつ変化していく過程を知って頂くために

もう暫く私の音楽遍歴の紹介に
お付き合いくださいませ。

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