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読書記録《自在化身体論/稲見昌彦 他7名》

副題の「超感覚・超身体・変身・分身・合体が織りなす人類の未来」とある通り、身体感覚をシームレスに拡張する研究「自在化身体研究」についての本である。


印象に残っている文章を以下に抜粋します。

人工物と人間のバウンダリー(境界)が完全になくなった世界が自在化の究極の姿なのかと私は理解しています。
(中略)
アバターやロボットなどと人間のバウンダリーは、物理的な人工物と生身の人間との境界の「フィジカルバウンダリー」と、心の中で自分の身体とみなしている境界の「メンタルバウンダリー」があり、メンタルバウンダリーは、侵襲的(invasive)になる可能性のあるフィジカルバウンダリーを無化する鍵を握っている。(P.95,P96 抜粋)

自分も人間の認知的な境界の「メンタルバウンダリー」を積極的に拡げる方向の開発の有効性に賛同する。
特に人間が境界を計る上で外界のフィードバックが重要なウェイトを占めることになるが、触覚・触感は「フィジカルバウンダリー」「メンタルバウンダリー」の両方に深く関わると考えており、心の中で自分の身体とみなしている境界の「メンタルバウンダリー」の拡張を意識的に拡げる方向の開発も意義深く思っている。

究極的には、リアルとバーチャルの区別を意識することなく認知できる世界を理想と考えている。
 (中略)
バーチャル環境で構築した身体を自分のものだと感じるためには、フィードバックが極めて重要だと多くの研究が指摘しており、ユーザーが自然な身体性を獲得するうえでは、視覚や聴覚に加えて、触覚や前庭感覚を通じた刺激も重要である。(P173-175 抜粋)

個人的に、マルチモーダルな知覚的フィードバックによって、リアルとバーチャルの境界を意識しなくなった段階において、「自然」や「未知」といった近代以降において主観的世界の外部に押しやられた概念 (ベイトソンの言う「参加しない思考」) がどのように主観的世界に融和可能かに興味がある。

身体性を持った人間とコンピュータの共生である「ヒューマン・コンピュータ・インテグレーション (人間・機械融合系) 」の実現のためには、「自分はどこまで自分であるのか」という人間側の視点が重要であり、認知的な自己の捉え方のモデルとして、瞬間ごとに構成される「最小限の自己(minimal self)」と、自身や他人に語られることによって永続的に存在する「物語としての自己(narrative self)」があり、それらにコンピューターが介入するという姿になると考えられる。(P183-184 抜粋)

「自分が自分である」さらに「自分の行為者は自分である」という実感を主観的に保ったまま、コンピューターの介入がなされるとき、コンピューターは身体化し、自然化する。

自分の身体以外に身体所有感を持てた場合に、人の感覚にどのような変化をもたらすのか。(P186 抜粋)

この文脈ではVRにおける仮想身体やロボットの身体性のことであるが、主観的な世界としてはたとえ対象が無機質なものであっても、荘子の「胡蝶の夢」や、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した「環世界」に近いものを感じる瞬間もあるのではと想像が膨らむ。


本書は、自在化身体論という技術的な本であったが、一読した後に印象に残った文章を抜粋すると、「境界」というテーマが浮かび上がってきた。

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