知らないことは徹底的に考えられない
【往復書簡】自分で計算分析して動き最終的にはやさしく
往復書簡についてはこちらから(なんでこんなことを?山本さんって誰?)
元記事:自分で計算・分析して動き、最終的にはやさしく。
今回で【往復書簡】も5回目。毎回書く準備のために山本さんの記事を読みに行くのですが何ヶ月分も遡ってスクロールするのが毎回だと面倒になってきて、今回から逆回りで比較的新しいのからにすることにした。
-- 山本さん wrote
もう少し大きく考え、社会を俯瞰し、宇宙に
思いを巡らせ、過去と未来、時間の流れも意識し、
計算して、分析し、大きな目で社会を見て、
やさしくなりたいと思います。
う〜ん、やさしくかぁ。。。人生の難問だぁ。山本さんのこの文章を読んですぐに思い出したのは
学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、
思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)
+++++
!! 山本さんが言っていることをこねくり回してなんだか難しくしている気もしないでもありませんが(笑)普遍化して、行動指針にまで落としたくなるのです。お付き合いください。
+++++
これは「読書について〜毒書/成功ノウハウ」で書いた
『読書について/ショウペンハウエル』の一文、
読書は、他人にものを考えてもらうことである。
熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。
に通ずるところがあります。「学びて〜は」よさげなページがあったので参考までにリンクを貼っておきます。
こんな風に書いています。まず、「学びて〜」をわかりやすく言うと
学ぶだけで思考しなければ知識を生かすことができず
思考するばかりで知識を学ばなければ賢明な判断ができない
なんだか現代文になるとわかったような感じはします。どういうことを言っているのでしょうか?ブログから引用すると
-- 知識を得る本来の目的は、その知識を活用することにある。学んだ知識を活用するためには、独自に再解読、認識して、他人から得たそれらを完全に自分のものにしなければならない。
-- 思考の目的は、事物の因果関係、物事の原理を解析することにある。
(本来は1,2,3と直線的ではなく円環)
1.学び思考し知識を生かす
✔ 自分はなんのために学んでいるのか内省する
「思考の目的は、事物の因果関係、物事の原理を解析することにある。」
✔ 学ぶために学んでいないか?内省する
2.さらに思考し、学び賢明な判断をする
✔ 考えてばかりで「悩んだり迷ったり」していないか?
✔ ぐるぐるとループになっていないか?
✔ 思考無き判断、決断をしていないか内省する
3.1に戻る。
読書好きもテレビ好きもゴシップ好きもセミナー好きもコンサル好きもえらい先生好きも全部同じで……
熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。
ショウペンハウエルが指摘しているのもこのことを指しています。
我々が徹底的に考えられるのは我々が知っていることだけ
深い、深すぎる。
さて、普段のよくある頭の中をってこんなかんじなのではないかな、再現。
いろいろと考えていると
「あれ?え〜と、これはどういうことだろう?」
「どっちがいいのかな?正しいのか?」
自分のこの先の行動を右か左か決める判断をする時、なにを基準に判断するのか?決定打に欠ける時がある。その時に必要なのが情報であり知識です。
そのときもこれは適用され
我々が徹底的に考えられるのは我々が知っていることだけ
僕が今回扱いたい普遍化したいのはここです。
知らないことは徹底的に考えられない
知らないことは徹底的に考えられない
知らないことは徹底的に考えられない
今、すでに経験値があり、自然に過去の知識の蓄積を元に考え、判断決断をしてきたものも、以前は必ずどこかの時点で
「自分は門外漢で不得手な分野で「初手」は入ってきた情報・知識に頼らざるを得なかった」
ときがありましたし、今もそんなことに直面していると思うし、今後も直面していきますので、丁寧に扱いたいのです。
知らないことは徹底的に考えられないのですから、
その「門外漢で不得手な分野」は
知らないことばかりで「徹底的に考えられない」のです。
知らないから徹底的に考えられないってこと?
それって、
学ぶだけで思考しなければ知識を生かすことができず
じゃないですか。
僕がこのことで、もんどり打った経験・記憶は
知識を生かすことから経験を通しての「自分の血肉になった知識」がない自分が、書物(今なら、ブログ等ネットの情報)から流れ込んだ借り物の「知識」では徹底的に考えられないその未消化、気持ち悪い状態が長く続くっていうことです。
その期間っていつトンネルが抜けるかわからない状態で無明ですらある。なのにまず学ばないと思考すらできない。
同じ感じを体験したことのある方もnoteって「言語化」の場所なのでたくさんいると思います。あなたはいかがですか?
そういうときにはどうするか?
そもそも考えられないその「初手」は「しゃんめえ」です。その分野以外の自分の経験を照合・参照して、勘を働かせ、最後には直感で「えいや」と決めるほかありません。
以降、その分野は「初手」ではなくなり、初手で打った手の結果のフィードバックが貯まり、すると、何を学べばいいかわかってくる。
学ぶ
→ わかってくる
→ その絡み合い、関係し合った時には全く関係ない情報・知識をどのように結びつけるのか考える
→ 時には消去して必要な情報を残して判断する
=こういう思考のプロセスをすることによって、ようやくその分野のデータベースができていく。と言ったって蓄積が足りなすぎてまだまだ長いトンネルが続くのですが。
それが、上記に書かれている「他人のものを自分のものにした」時といえるるし、
「熟慮を重ねることによってのみ、
読まれたものは、真に読者のものと」
なって、毒書が読書になっていくプロセスだと思います。
-- 山本さん wrote
最近では、「洗脳されているやつら」などと、
自分がすべて正しい、自分がすべてを知っている
という感じで人々を批判することが多いですが、
もしかしたら、そう言っている人が洗脳
されてしまっているかもしれません。
「マスク教脱退・脱会勇気のマニュアル」(2020/08/28)でも書きましたが洗脳からの脱出も
・「他人のものを自分のものにした」
・我々が徹底的に考えられるのは我々が知っていることだけ
・思考の目的は事物の因果関係、物事の原理を解析すること
・熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは真に読者のものとなる。
こういうプロセスを通ることなく、自分から脱出することはむずかしいです。その宗教の教義において、ネットなどで情報・知識として入ってきたものは「他人が考えたもの」で、特に「初手」ですから
知らないことは徹底的に考えられない
>その期間ってずっとずっといつトンネルが抜けるかわからない状態で無明ですらある。なのにまず学ばないと思考すらできない。
だまって教義に従うしか選択肢がないから当然の帰結と言えば当然です。
何回でも貼り付けます。
知らないことは徹底的に考えられない
そして
我々が徹底的に考えられるのは、我々が知っていることだけです。
ただ、救いはあります。どんな分野であろうと、僕らは今の状態になるのに「全くの無知での初手」状態から自分で考えられる状態にまでトンネルを抜けてきたジャンルを必ずひとつやふたつもっています。
それを思い出すのです。
その初手→トンネル状態をあなたはどうやて抜けてきたのか?それが、この「知らないことは徹底的に考えられない」ループから抜け出して、
学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、
思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)
罔し(くらし)、殆し(あやうし)から抜け出せる唯一の方法です。
くらいまんまじゃいかんしあやういまんまでもやばいです。
山本さんの発言からなんとか普遍化して、行動指針にまで落とせましたでしょうか?よかったらコメントください。ややこしいよ!って言うのでもいいですが、優しくお願いします。血肉にしていきます。
mits 西田
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