季刊性癖 10周年記念個展に行った話(感想)



まず最初に、10周年おめでとう&10年も続けるなんてすごい!が言いたい。

主催者である水のさんは、学生時代からの友人なので、この活動が立ち上がる頃からずっと応援しているのだけど、それを最初に「こういうのやるんだ」と聞いた時は、「よくそんな企画が思いつくな(天晴!って意味)」という感じで聞いていたのを覚えている。

活動内容とか、水のさんが運営している公式サイトはこちらから。

ざっくり説明すると、年に2回開催されているデザイン・フェスタ(通称:デザフェス)での出展をメイン活動の場としており、そこで水のさんが興味を持った対象者・物を取材して作成した「季刊性癖」というフリーペーパーを配布、及び来場者の「性癖」を聞いている、という事をしている。
あとは雑誌とか、対談とか、色々・・・。本当にすごい。

「性癖」って聞くと、下ネタとかエロい話を想像する人が大半だと思うのだけど、水のさんが言う性癖の「性」は、「性質」の「性」。
めちゃくちゃ簡単に言うと、色々な「好き」を聞いているのだけれど、それはそれは人の数だけあるんだな、と思えるぐらい、イベントがあれば毎回大量に集まっている。

そして私が毎回思っているこの活動のすごさって、水のさん自身が、ライトからヘビーな性癖、どれを聞いても私が見る限りいつもフラットな状態な事。
もしかしたら、私が知らないところで自身の心身にダメージをくらっている事があるのかもしれないのだけど、記事1本書くにしても、フラットな目で取材対象を観察・分析して記事におこしているのが、誰にでもできる事ではないな、と思っている。
表に出ていない(私がわからない)ってだけでもすごい。
その辺の人だったら、きっと嫌悪感や忌避感を出してしまう人もいるはず。
それだけ、毎回、内容が、濃い。



今回の個展では、過去のイベント出展時に収集した性癖の数々を壁に貼り付けて展示していたのだけど、その光景は良い意味で異様で、あらゆる人の欲望が視界を覆いつくしている空間だった。


私はおしゃべりと記事を読むのに夢中で写真を撮るのを忘れていたから、実際の写真が無いのだけど、公式Twitterから様子が覗けるのでぜひ見てほしい。
あと、『季刊性癖』でTwitter検索かけても覗ける。
写真を拡大すれば、どんな性癖が集まってきているのかも読める。
圧倒的な性癖という名の「好き」が壁中に敷き詰められている空間だった。

そして毎回見る度に、これデータベース化して性癖辞典作れないかな?とか勝手に思っている。データベース化するには、もう少し補足情報(エピソードとか)必要かなとは思うのだけど、それぐらい圧巻だし、貴重な情報だなと捉えている。


過去、自分が言った「好き」もあった。
けど、今思い返してみると自分の「好き」がわからなくて、絞り出した答えだったな、と思いだした。なので、見つけた時の第一感想は「お前がいる場所じゃないな」でした。

今も嫌いじゃないけど、あの頃に比べたら「好き」度合いが薄れている。あの空間に相応しいのは、もっと濃くて感情がドロッと出てくる様な「好き」って感じがする。「好き好き好き!!!!」みたいな感じだと思っているのだけど、過去の私の発言はそこまでじゃない。


だからこそ、水のさんの元にこんなにも本当の「好き」が集まってくるのがすごいな、って本気で思うし、
それを答えている人もどれくらいのレベルであるかはさておき、見ず知らずの人だけど誰かに言いたいほどの「好き」があるのはすごいな、って思う。
受け止める側(水のさん)もすごいけど、伝えたいって気持ちがあるのもすごい、豊かだな、と思う。

一方で毎回、どんどん文字で埋め尽くされていく黒い紙や、文字でびっしり埋まったフリーペーパーを読む度に、自分の中身ってめちゃくちゃ薄っぺらいなって気もしてくる。
別に悪い意味ではなくて、私が思っている「好き」って密度がなくて味が薄いな、って感じ。誰かに言いたいほどの「好き」が無い、って言うのが一番の原因、と自己分析している。


元々、何かに執着する事も無いし、浅く広く好きになっては、どこか知識欲を満たしてくれるレベルでしか物事(人も含む)にハマって来なかった私にとって、

こんなにも本当に本気でちゃんと「好き」の対象になるものがこの世には溢れているのに、私はそれを頭では理解できても、感情面で理解できないのが悔しいというかもどかしいというか羨ましいというか、そんな複雑な気持ちになるし、

一生に一度くらい、「私はこれが好きなんだよな~」って、絶対動かない、どっかに飛んでいかない、欲を言えば自分にしかわからなくて良いから、その「好き」なものに接すると興奮したり感情が安らかになったり動悸息切れしてくる様なものに出会いたいし、それを自分の精神安定剤みたいに取り扱って軸みたいなのにしたい気持ちはあるのだけど、

とりあえず今のところそんな兆しが全く出てこないから、本当に悔しいし羨ましい、って今回も思った。(そしてこれは、結構、毎回思っている。)


ちなみに友人+夫と一緒に行ったのだけど、夫は季刊性癖の活動を今回で見るのは2回目。(1回目はデザフェスでちらりレベル)

夫は私よりも淡泊、というか、「思わず興奮するぐらい好きなものってこの人にあるのか?」って思うぐらい、良くも悪くも「普通」の趣味趣向の人間で、私から見たら特殊な性癖も無いし、変わった言動もしないし、何かにハマっている人でも無いし、ちょっとアングラな場所に通ったりとかもしない人なのだけど、

だからこそ、「一緒に行きたい」と言ってきた時はすごく驚いたし、「なんで?」「本当に?」「友達来て1人じゃないから、別に来なくても良いんだよ?」と何回も、それこそ出発直前まで聞いたのだけど、それでも行くと言うので、何かよっぽどの理由があるのかな?と思っていた。

そこで、帰り際、改めて行きたかった理由と感想を聞いてみたら、
「俺は自分がとても普通だと思うし、全然知らない事が多いから、せめてあなた(私のこと)とその仲が良いお友達がどんな事に興味をもって一緒にいるのかぐらい知っておきたい、と思ったのと、単純に興味があったから。」
「面白かった。興味深かった。理解はできないけど、納得はできた。でも自分に刺さる性癖は何一つなかった。」
みたいな事を言っていた。
とても普通な考えだ、やっぱり夫は普通のひとだ、ってその時は思った。

でも、よくよく考えると、彼は、嫌悪感とかは一切湧かず、単純にシンプルに「好きがたくさんあってすごいな」って終始思っていたらしい。「性癖」なので、さっき言った通りライトなものからヘビーなものまであるのだけど、それらを全部同じ重さで受け止めていた。
フラットな視点を持っている、というわけではなく、ちゃんと自分と他人に線引きが太く濃く引かれているからでてくる感情だし、態度だな、という感じ。
それを「普通」と呼ぶにはちょっとずれている気がした。
そもそも「普通」とは?みたいな考えもあるのだけど…

まあでも、少なくとも理解できないものに対して拒絶反応を出さないのは、なかなかできる事ではないのでそれは長所だな、とは思う。

そしてその後過去の季刊性癖を熱心に読んだりして、今回のだと「『ちんちろりん』の話面白いよ」って言ってきたので、やっぱりちょっと特殊なのかも?と思ってきている。



そんなこんなを思った、季刊性癖 10周年記念個展。
多種多様に集まってきた「性癖」を、具体的に私のnote内で書くのは良くないと思うので差し控えるとびっくりするほど内容が薄くなってしまったのだけど、とりあえず総括すると、「羨ましくて悔しくて、すごすぎて『すごい』以外の言語表現ができない、と私は思いました。」という話だ。

今これを書きながら、「もし今水のさんに性癖を聞かれたらなんて答えるか」ってずっと考えていたのだけど、本当に水のさんの活動にふさわしい話が浮かばない。悔しい。
無い人なんていないはず、って言われそうだけど、本当に無いんだよな。自分の「性癖」に疎いだけなのかもしれないけど、伝えたいほどの「好き」が無いんだよ。誰か代わりに分析してほしいぐらい。

1つふと思いついて、「強いて言えば」という前置きをつけると、めちゃくちゃ難しい問題(数学でも謎解きでも理論証明でも)にぶち当たって、めちゃくちゃ考えて最適解を見つけられた時とか、
試してみて成功した、あるいは新しい何かを発見した時とかは、すごく興奮するし心拍がめちゃくちゃあがるな!と気が付いたけど、

それって性癖じゃないよな。ただのアハ体験な気がする。とも思ったので瞬時にボツになった。

「好き」を見つけるのってやっぱりすごく難しい。



改めまして、10周年本当におめでとう。
すぐに興味がそれてしまって、1つの事を続けられない私からしたら、
10年も興味を持って活動を続けられるのは、本当に素晴らしい事だと思う。

水のさんが私の知らない誰かに「10年も続けられたのは何で?」と聞かれていて、「気が付いたら10年経っていた。」と答えていたけど、

「気が付いたら10年経っていた」って、少なくとも10年間水のさんの生活の中にあったわけだし、それを捨てる事や仕舞うこともできたにも関わらず、捨てず、仕舞わず、終わらせず、
興味の熱量がその時によって違っていたとしても、やっぱり水のさんの中にずっとこの活動があったからなんだと思うんだよね。

もはやそれって生活の一部だし、生命維持装置みたいなものでは?と思っている。食事する、睡眠する、排泄する、みたいなのと一緒。

こんな事本人に言ったら、「え~」とか言われそうだし、
最新号のあとがきに「興味を持って見てくれている人がずっといないと続きません」って書いてあるけど、需要があっても供給が無ければ「それ」は無いので、やっぱり本当に何かを続けられる・続けようと思えるって素晴らしい事だと思う。


水のさん以外にも、私の周りには自分で自分の「好き」を表現する事に長けている人が大勢いて、その人達の活動を見ていると毎回やっぱりそれぞれすごいな、って思うのだけど、
今回も漏れなく、その人たちに友人でいる事が恥ずかしいと思われない様な生き方をしないとならないな、って身が引き締まる思いがした。


本当に良いものを見た。また個展やイベントが開かれるような事があったら、その時までには自分の本当の「性癖」を伝えられるような、中身の濃い人間になっていたい。


書いては何度も読み返しつつ、自分の「性癖」考えていて、ふと部屋の本棚に目を向けたのだけど、私、主人公が不幸な人の作品(小説とか漫画とか)ばかり持っていて、しかもそういう話が大好きなので「これが私の『性癖』?」と今はなっている。(ただし、友人・知人の様な生身の人の不幸話は好物ではない。あくまでエンタメとして楽しめるレベルで、後味が悪ければ悪いほど好きってだけ。イヤミスとか最高。主人公が一番救われない話とか、最悪死んでしまう話とか好き。)

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