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さあて、どないするべか母さんよ

たいへんに、久あしぶりの、投稿です。
変わらず、私は、母さんであるところの君江さんの娘さん活中です。

かあさんは要介護5から1にV字回復し、居室を本やら在庫だらけの君江ルームにし、毎月1回の通院を励みに過ごしており。
投稿していない間には、いつまでたっても治らない貧血が歯肉からの出血だったのかい抜歯事件とか、足がむくんだりむくまなかったりとか、健康上のいろいろはいくらかあったりしたわけであり。
私も、そんな母さんをネタにしてセミナー先生をしたりして、母さんのおむつも替えていない(いや、いまは替えなくていい)のに、どや顔で介護中ですなんていってる自分に罪悪感なども感じつつと。

それでもこれが、ハンコを押したかのように、ずっと続くのだろうかねえと安定した日々を過ごしていたのですけどね。

そうはいきませんでしたね。

母さんが、一人暮らしをしたいと言い出したのであるよ。

先月ある時から、頻回に入電。(わたしは出られない)
さらには、私宛に手紙。
話がしたいから来てくれの訴え。
居室まで面会。

デイルームで向かい合わせになった人が、そこそこいろいろある方だったようなのだが、母さんがその方の足を踏んだ、と。
私踏んでないわよと。

そんな些細な諍いが、火種になったのであった。

なぜやっていない自分が、全部悪いみたいに言われるのだ。
(いや、踏んでないともいえないと思われるが)
なぜやっていないのに、職員は助け舟を出してくれないのだ。
(いや、いろいろ考えはあるのだが)

これが派生して、周りは認知症で話し相手がいない(これは真実)。
私を理解してくれる人がいない。
優しい声で、あいまいに答えるけど、ぜんぶスルーされる。
(そういう面は日々あるだろう)

彼女の我慢の限界が突然やってきたのである。

いったんは、親身なケアマネさんがしっかり説明して納得したはずの母さん。鎮火したかに見えた。その前にあれこれ動こうとしたこともいったん、こちらも鞘を納めて、このまま現状維持ということを前提に、他のことを決めてしまった。(転居するのである)

その直後であるよ

やっぱり、もう嫌だというのだよ。

よくも再燃してくれたなと思うんだが、こんどは同じテーブルにいた友達だと思っていた100歳の人から、あの時あなたは足を踏んだと蒸し返されて、それが決定打となってしまったのである。
友達だと思っていたが、あの人は、60坪のマンションを持ってると自慢していた別の人のことを陰でバカにしていた。わたしなんて、とか、もう無駄に記憶力が発動しているのである。


一人暮らししたいというのは、
べつに実家へのこだわりはないのである。もう犬のケンタもいないし、近所にも気を使わないといけないし、娘である私の生活拠点からも遠いし、在宅介護サービスで、働かない(はたかなかったらしい)ヘルパーからお説教をされたりする彼女には耐えがたい経験をしたので、もうたくさんなんである。

一人暮らしするというアイデアは、
過去のホームのあれこれのときに、もっと母さんが元気だった時に、私がホームから出て、一緒に住もうとか、なんなら近所に住んだらどうかなどと説得したのが、5年熟成ものでYesと来たのである。
その分年取っているし、環境も変わっているわけである。

母さんの窮屈さもわかるのだ。
ただ、母さんがここまで回復したのは、規則正しい生活と、抑制された食生活、見守り、運動などの管理がされたからである。それは間違いない。


生きるための管理
管理しなければ悪化リスク高まる
ヒトの尊厳
もう年なんだからちょっとくらい長生きしたって
好きな事させて

この訴えに、どう答えて行けばよいのか。


しかしあなたは間違いなく。
タガが外れたら、好きなだけ食べたりして病気は速攻悪くなるだろう。
今は刺激があるから、自分の世界を守るために読書とか学習とかしてるけど、自由の身になったら、テレビ見て引きこもるくらいしかしなくなるから。実家にいた時そうだったんだから。家事は少しはするかもしれない
が…。

ぶっ倒れても、そこに職員さんはいないよ。
今度ぶっ倒れたら、元に戻れないかもよ。(かもよじゃなくて、だよ)
それでもいい、好きなことをしたいという人をどうしたらいい。

彼女は。
一人で暮らす、または同居するというレベルの、すれすれ位だと思うのだ。
いままで、一緒に暮らしてきた母がだんだん手がかかってきて…と同年代の女子友が嘆いてるくらいのレベルに、医療+身体状態がわずか悪いくらいだと思うのだ。いや、わずかっていったって、それは大きい。自力歩行できないわけだし、転倒したら起きれない。

ただ、今なら、チャレンジはできないわけではないかもしれない。
できないわけでもないかもくらいかもかもしれない。←もう何言ってるかわからなくなってる

しかしあなたは、みんなにお任せし、頼り切ってきた生活をもはや今のホームで3年、転倒骨折事件からは5-6年続けてきてしまっているのだ。
たまに会う私が見ていても、元気なところは元気だが、おとぼけぶり、物忘れは、齢と共になのだ。


ホームのケアマネさんから話があると連絡が来ていたので、今日は通院後ホームまで行き、面談。
今までの騒動について振り返り。
概ねお互い矛盾ない事実確認であったが、君江さんが怒りが収まらず、相手の部屋までいってなんか物言いにいったりしていたというエピソードまで知り、①これは母さんもほんとに限界に感じているんだな というのと、 ②こんなに感情抑制できなくなっていてこれは… と両方感じるわけである。
彼女のネックである、インシュリン自己注射も、だいぶ自力で難しい状況であることもわかった。

インシュリン そうなのよあなた これがあるから ホーム探しだって選択肢は限られるんだよ・・・そしてあなたの命もこれ次第なんだよ

そしてホームのケアマネさんから言われたのであるね
訪問診療医に主治医を移してください。
これはいろいろな側面で正論であり、ここが君江さんの一番飲めないこだわりでもあるのだ。(ついでに、ご家族様であるわたし的にも、ホームにお世話になってるのに、手が離れないわ、完全に任せられないわ、緊急時にも対応がほぼ困難になり安全面でも不安というホーム住まいのメリットをまったく生かせない要因にもなっているのである)(ただし訪問医を信用しない母さんの言ってることも、正誤的に両面双方わかるのである)

ホームに残る(通院も辞める)
ホームを出る(高齢者住宅系に移る)

娘さんとして、お母さんの命を削るようなことはしたくないですよね
とケアマネさんにいわれるが
いわれるが


生きるための管理
管理しなければ悪化リスク高まる
ヒトの尊厳
もう年なんだからちょっとくらい長生きしたって
好きな事させて

この訴えに、どう答えて行けばよいのか。




さあどうする。
うちは在宅ケアマネ事業者であり。
うちのケアマネは在宅で行けるという。
在宅で行くというのは、家族も、同じように、今までお任せでいたのを
引き受ける覚悟が必要なのをわかってるかこら。

多くの方は自ら望んで早々に老人ホームには入らず、家にいるとがんばって、ぎりっぎりぎりのぎりっぎりまで、土俵際までがんばって、限界で家族もはち切れそうになったころにやっと施設なので、
在宅ケアマネと
施設ケアマネの見える修羅場は違うのである。


とにかく母さんの気が納まらないから
今日は通院帰りにうちに寄ってもらい
食べたいというピザを取って
ホームの愚痴を聞いてだ
(もともと、出たいというから、高齢者住宅の内見に連れて行こうと思って勤めも休んで臨んでたわけだが、彼女がホームで暮らすというからキャンセルしてしまっていたのだ)

新たに、今度の土曜日に、外出して内見等してみる予定を加入。

ほんとうは、わたしの住まいの近くに移りたいという
そういう気持ちが後押しもしてしまっているのだろう。
(引っ越してしまうからね・・・

今年の春から忙しくなったので、
通院同行も半分人に任せたりしていたので
おしゃべりをして毒を吐くのも足りなかったのだろう。
(それでも、あたちも必死なんだよそれでも)


父が生きてたら、
お前は勝手だと
自分のことなんて棚にあげて
私に言ってくる事態なんだろうなこれ

勝手だ 勝手だ 勝手だ と頭の中にループ

娘のようこちゃん、わたしのあなたにおまかせよー
という 
むきだしの母さんが
いま、また、目の前に立ちはだかっているのである。


大きいのは
人の命には限りがあるということ。
家族であれるのはあと10年も20年もないということよ。



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