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帰郷

(管理のために)帰らねば帰らねばといいながら、noteにもぼやいた、母さんの手紙を読んでしまったあの日から、足が遠のいていたのだった。
さすがにまずい、しかし一人では心細い、犬2号を伴い、きたのだ。

犬、2号。

保護犬団体の方の相談を受けていて、アイスブレイクで「シーズーなくしてペットロスです」と言ったら。「シーズー、保護したんですよ!」送られてきた写真は瓜二つ。心乱れる。背中押す団体代表。あらたな相棒と出会ってしまったのだった。

彼にとっては、はここには縁もゆかりもない。彼との旅も心配だったが、家から駅までスタコラ30分散歩の流れで歩き、その後キャリーに入って2時間電車に乗って、見知らぬ町に降り立ったのであった。
初めての町を堂々と歩き、家の前で至福の表情。

な、なぜだ。
な、なぜなんだ。なぜこんなにきみははしゃいでいるのだ。
なんでもたのしいのかきみは。

屋内は思ったよりは痛んでおらず、先日の地震のせいか、額縁が一つ落ちて割れていた。

近所のおばちゃんが、うちの庭の木が生い茂ると腰痛を押して刈っていたことも知った。おばちゃんも、年をとったなあという姿になり、そして自分も年を取ったなあと思う。

かつてのような休日の活気?も、まったくない。
(休日といえば、どこからか近所からもFMラジオから洋楽が流れてきて車洗ったり、掃除したりしていたものだったよ、わたしの子どものころといえば)

母が倒れた直前は、昨日まで生活していた空気が残っていて、へこんだ。
そのうち、家の中の空気が沈んでいるのを感じるのがいやで、へこんだ。
なにか、亡くなった父や、子どもの頃の生活の姿が浮かんでくるのが、親がお前のために苦労をして小さな家を建てたんだよという空気が重かった。

久しぶりにやってきたこの家にはそんな空気とかにおいとかもなくなって
でも時計はしっかり時を刻んでいて
周囲もみんな年をとっていっていて、静かになっている。

人の一生は、短い。

それでも、小さな家は、かわらずここにのこっている。

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