我々は、生きるのだ最期まで

わたしは、行政書士なので、会社関係の申請や届出、創業相談などの仕事もしていますが、業務の半分くらいは、人生終盤に関する仕事をしています。お亡くなりになったご遺体と初めましてとお会いして、その後の事務をすることもあります。たいへんに神聖な仕事だと思っています。

「成年後見」という、認知症などで金銭管理ができなくなった方の支援をする仕事があります。そういった仕事もしています。その方が亡くなるまで、ずっと伴走することが基本の仕事です。人生のパートナーです。

そのような方々の中に。残りの財産50万を切っており。葬式、いや火葬にかかる関連で30万は予算しておきたいところで、入院費に毎月10万以上かかるという方がいらして。こちら、個人的にお受けした仕事というより、本来市民のボランティア的な立ち位置で受けた背景があるのですが、数あるご依頼のうちでもなかなか厳しい困難な件になってしまいました。

彼女は特養にいましたが、体調を崩しコロナ下で入院。さらに体調崩して口から食事が取れなくなり。それで覚悟をしておいてくださいと言われてからというもの。財産管理という業務役割を担っている立場上、お財布の残りと、命の残りを常にバランスしているという日々を過ごしてきて。

はや、半年。

今日、覚悟しておいてくださいと言う何度目かの連絡きたる。

彼女は進駐軍の基地で働いてドレスを見よう見まねで裁縫したことがあるし。お父さんから教わった人生訓を繰り返し唱えていたし。地域のリーダーとして町の人のために働いたこともある。

「私はね、残された人生を、しっかり生きたいのよ。ウフッ。わたくしったらキザね」

悪戯っぽく笑う彼女だった。90歳超えてます。

「オリンピックを見るのが楽しみだわ。ウフッ」

口から食事もできず、排せつも困難になってきた彼女だが
意味はキャッチできなくても、いろいろな話を発語していると聞いているし。彼女は、「お父さんの歳まで生きたいわ」という意欲のあった方なので。彼女の誕生日は3月で。その目標に向かっているのじゃないかと密かに思っている。

覚悟しておいてくださいから先、何年も生き続ける方もいらっしゃるし。
人生の目算はつかない。
お金がなくなったら、また、私は生活保護課に相談に行くまでのことだ。

うちの玄関には彼女の名前の書いた歩行器が置いてある。特養から送り返してこられたやつ。大きく名前が書いてある。


ダメだ

ダメだといっても

ご体調の悪いままお迎えが来ないこともある。

ある時、突然の事故でお亡くなりになってしまうこともある。

私だっていつ死ぬかわからない。


でもねえ、

概ねは

そう簡単にお迎えは来ずに、いろいろな学びをしてきなさいとノコ勉が続いたり、いろいろな学びを与えなさいと補講仕事が続いたりするものだと思います。

PPK(ピンピンコロリ)はねえ、なかなかないから憧れるわけでしょ。

生きているという土壌では
尿が出なくなってきて、意味不明のことを話している90歳の彼女と
日々の目先のことで、あれやこれやぼやいているわたしと
みな同じ地平にいるのであって。

くたばらずに
その道を進んでいくしかないのだ。
その人には、その人だけの人生なのだ。
家族も、支援者も達観して隣にいることくらいしかできない。

ちょっと神がかった感じで思う今日。

みんな無事で元気で。

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