映画「怪物」と「イノセンツ」の子どもたち【映画感想文・短文】
※核心的なネタバレはありませんが両方とも内容には触れています。
※近い時期に観て、ふと連想して妄想した文章です。
「イノセンツ」に向けて書かれたこの鑑賞文が素晴らしかった
こちらの文中での、この部分にとても感じ入りました。
無垢ではなく、無知で本能的。
子どもたちは、喜怒哀楽を示したり、悪戯や意地悪もできる。
けれどそれがどこまで他者に影響するか、相手の側からの感覚を測れない、想像できない、考えない。
たとえば殴られたら痛い、だから殴ったら駄目と言われれば頷ける。
けれど、それを日々のとっさの行動では身につけられない。
子どもはとかく、衝動的なものだから。
・子どもたちは衝動的、刹那的で、エゴイスト。
こんな一面は、年を重ねていくにつれて、色んなものに丸め込まれて角を失い、忘れていく。それが大人になるということでもある。
だから忘れきった大人は、すぐに想像できない。
無知な子供たちの世界を、見える光景の本当の姿を、大人の尺度でしか測れなくなっているから。
この大人と子どもの過ごしている世界の断裂を、
異なるアプローチでこの二つの映画は描いていたようにも思ったのです。
「怪物」では、
大人と子供の世界の重なりきらない視界の違いによる誤謬が事件を複雑にし、真実を惑わせていく。
「イノセンツ」だと、
大人と子供の世界は完璧に分断されたまま、そのままで、
無知な子供たちのエゴによる戦いが静かに繰り広げられ、終わっていく。
・もちろん映画のカラーも感想そのものも、まったく違うんですが。
二つとも子供たちの世界を主に描いた映画であり、
いつか必ず大人になっていく子供というありかたの生々しさをそれぞれ感じたという意味では、二つの映画からはとても近しいものを味わったのでした。
・もう一つだけおまけに「怪物」から連想して思ったのが、
(またぜんぜんジャンルも何もかも違うんですが……)
アニメ「モブサイコ100」の2期、こちらのキャッチコピーの
「視界が違えば世界は別物」、だったのです。
「怪物」でも、人によって見えている世界は違っていた、自分の思う通りに他人があるわけではない、というのが肝の部分であったわけで。
大人と子供、自分と他人、
いろんな立場や視線にたって物事を見たり考えたり、できたらもっと世界は楽しく、豊かにもなるのかな、と連想したのでした。
おしまい。
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