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「青いカフタンの仕立て屋」の描く変わらない伝統と変わるべき伝統【映画感想文】

*ストーリーにかなり触れていますが、良い映画だからいろんな方に観てほしいなあ、という思いも込めて書いています。
*観てから少し時間が経っているので、思い違い等あるかもしれません。

「あなたの人生は素晴らしい」

この映画のキャッチコピーのひとつがこの文言です。
明快で、ストレートな、相手への情が感じ取れる言葉です。

この言葉を投げかけるのは、死に瀕した妻・ミナです。
この言葉を受けるのは、その夫・ハリム。彼は、作品タイトルにあるカフタンの仕立て屋を営む職人です。

物語は、モロッコの旧市街・サレで、この夫婦が営む仕立屋を主な舞台にして紡がれます。日本でいう着物のようなハレの日に着る伝統的な民族衣装・カフタンを、昔ながらの手縫いで数か月かけて仕上げるこだわりを持つハリムを、ミナは陰に陽に支え、何十年も連れ添っています。

けれどミナは病を患い、余命いくばくもない状況。
手仕事にこだわるあまり仕事に遅れも出ていることもあり、夫婦は若い助手・ヨーセフを雇い入れます。彼は繊細な仕事を巧くこなし、みるみるうちにハリムと共同作業を行えるようになっていきます。そんな彼らのあいだに育まれていくのがただの師弟愛だけではないことを、ミナはすぐに感じ取ります。

ふたりの男とひとりの女の愛のもつれ、を描いてはいるけれど

こう書くとあまりに凡庸なのですが、
ミナはヨーセフに嫉妬を抱き、ヨーセフはミナと距離を置き、ミナとハリムは変わらぬ日常を過ごしつづけ、ハリムとヨーセフはそもそも同性愛を許さない世界で生きているがために、沸きあがる感情を秘匿して過ごします。

けれどそれらの愛情のもつれや交差は、劇的な展開や言い争い、心情の吐露といった「わかりやすい」手法ではほとんど描かれません(些細な喧嘩は描かれますが)。

繊細な感情のさざなみは、交わされる互いの視線、カフタンを縫う細やかな手つき、洗髪や食事といった日常からにじみるように伝わってくるのみです。彼らのそばに寄り添うように近接したカットの数々が、静かに確かに、「愛」を伝えてくるのです。

彼ら三人それぞれがそれぞれに向ける、まったく違う、けれど確かな愛情というものを、言葉でなく、映像が訴えかけてくる。
そうして、ダンスの場面では「彼らは通じ合えたんだ」というすんなりとした理解が生まれ、ささやかな幸福感をこちらへも分けてもらえたような、そんな共感さえ覚えたのです。

寄りそうように日常を映しつづけた台詞に頼らない映像の力を、思い知りました。

伝統を守るために生きて、伝統のために心が死んでいた

ハリムは時代に合わない労力をかけてでも、
伝統的な手法でのカフタン作りにこだわりました。

それは国の文化を絶やしたくない、受け継いできた技術を捨てたくないという思いもあったのでしょうが、なによりそうして作り上げられるカフタンが、一番美しいものだという自信があったからではないかと思うのです。

そう思えるほど、確かに、あの青いカフタンは完璧に美しかった。
滑らかな青地に繊細な金の刺繍。シンプルなようで、技術の粋が極まった一品は、確かに機械では代用できない素晴らしいものでした。

そんな伝統を重んじていたハリムは、同時に伝統に苦しんでも生きてきた。同性愛が犯罪だという伝統は、彼をずっとずっと苦しめてきた。それを、連れ添った妻は見抜いていた。彼らのあいだには、互いの心情を深く想い合える愛があったから、そんなのは自明だった。

だから死にゆく妻はハリムに声をかける。
身体の動きもままならぬ状況にあり、骨の浮き出た病んだ身体で、彼女は愛情を持つことは素晴らしいことなのだと、ハリムを生かすために、誠心誠意伝えます。

自分のいない世界での、たったひとりの幸福を心から願える。
先に旅立つことは不幸でも、そんな心を抱ける環境そのものは、どんなにか幸せだろうかと、思いました。

映像に多くを託して、そしてしっかりと受け取れた映画

この映画は、バストカットや人物に寄り添った構図がとても多かったように思います。もう少し引いたカットで店や家の内装を観たいと思えた部分もありました。

けれど、彼らのそばの「もうひとり」として傍に佇んでいるかのような映像を重点的に用いて物語を紡ぐかたちだったからこそ、言葉や行動に頼らず、感情を細やかに伝えられたのでは、とも感じました。

そうして最終盤ですが、
彼らが意を決して大切なものを運ぶために街を歩く場面で、思い切り引いた美しい遠景が映るのです。空が一面に広がる景色の壮大さは、一転して世界の広さと未来への繋がりを感じさせるものでした。

彼らは彼女の言葉を糧に、問題すべてが解決しなくとも、
カフタンを縫いつづけて生きていくのだろう、と。
そう思えました。

カフタンの迫るような美しさを観るなら劇場が一番ですが、
もちろん配信が見られる環境になればまた絶対観たいです。

パンフレット、監督のインタビューや視点の異なる複数のコラムがあって
読み応えたっぷりでとても良かったです。

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