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「犯罪者の社会復帰支援」を始めた背景は、まさかの反抗期だった。

-特別なことがあったわけじゃない
私は「犯罪者の社会復帰支援」というのにすごく興味があり、講演会に参加したり、関係する本や映画をみたりと勉強してる。また、法務省や関係する仕事に就いている方々にお手紙を書いたり、情報発信をメインとするプロジェクトを立ち上げたり、SNSで発信したり、アクションを起こすようにもなった。

その話をすると、よく聞かれるのが「なんでそんなことするの?」。
実際私は中学2年生、ほんの一年前までは「貧困」にフォーカスして活動しており、将来の目標も貧困を解決すること!だった。笑笑(今でもその思いは強いですけどね)。小学校の時の夢は弁護士、というようにもともと司法関係に興味はあったが、加害者側、「犯罪者矯正・更生」に関してはあんまり…
そこで自分がなんでこの分野に興味を持ち活動し始めたのか考えてみたら、自分でも意外な気づきがありました!
別に何か特別なことがあったわけじゃない。日々の出来事ひとつ一つが積み重なって今になったんだなーって改めて実感しました。

-毎日戦闘反抗期

前回のnoteに詳しく書いてあるが、私は10年間海外に住んでいて、小学4年生の時に初めて日本に来て日本語も喋れなかった私が、なんと中学受験で第一志望に合格した!自分と同じように帰国子女だったり英語をペラペラに話せる子も珍しくないような学校で、本当に最初から友達にすごく恵まれていた。真新しい生活が始まり、朝起きては学校に行くのがワクワクする毎日だった。

そんな中、反抗期が到来したのだった。
もうとりあえず毎日母と喧嘩した。理由はほとんど覚えていないけど、本当に今思うと笑ってしまうような理由だったと思う。水分補給を過剰に気にする母から「水飲みなさい」と言われて「喉乾いてないから飲みたくない」ってすごく悪い態度で反抗(私は体質が関係するのかな、本当に喉乾かなくて滅多に水分補給しないんです…)したり。その中でも、よく覚えているのは、私がスマホを買ってもらったばかりだったこともあり、ずっと友達とラインしたりでスマホを肌からはなずずっといじっていたこと。ゲームにはそこまで没頭しない性格だったが、SNSが大好きで、今思えば完璧に依存していた。LINEはずっと通知ピコピコしてて、Instagramをずっと見ていて。今思えば、小学校の時のいわゆるいじめというものをされていたりした経験の反動があったのかな。学校外でも頻繁と友達と連絡取ることで「友達がいる」という感覚を実感できたのかな?まぁ、そんな理由づけがなくても(私、何かと昔の経験だったり理由づけしたくなる傾向がある…)、ただ単にそれがすごくすごく楽しかったっていうことも大きいけど!笑笑。
そんなこんなで、ずっとスマホをいじっていて、スマホ使いすぎと怒られ、それでもなかなか手を離せず、その罰として毎週のようにスマホを取り上げられていた。スマホが関係ないことでも怒られれば罰としてスマホを取り上げられ、それは理不尽でしょ?!って何度泣き喚き、親に対して憎いと感じたか。私は怒っても部屋に閉じこもってぐちぐち親の悪口言いながら泣いて、本読んだり気を紛らわして、寝ればすっかり治る、というように静かに怒りを発散するタイプだ。けど1回、それがたまったのか、本当に憎たらしくて、母への仕返しとして、母の服に黒いマーカーで落書きしたことがある。冷静に考えたら、なんて女々しい怒りの発散法なんだ!って笑っちゃう😂
けど今考えれば、親もそりゃそうなるわ。スマホが直接問題に関係なくても、あんなにいじってれば間接的に問題の原因じゃないのかって思うわ。スマホ依存が話題になってよくニュースで取り上げられていた頃でもあったし。これが理解できるようになったことは、成長した証って言えるかな!!笑笑

私の父はあんまり母と私の関係に干渉しないけど、この頃から父に激怒されることが一気に増えた。というかほぼ毎日。「ママが怒る前にパパが怒る」というのが父の言い分で、母が怒りを爆発させてストレスや疲労が溜まるのを極力防ごうとして、父が怒るのだとか。
何かスマホに関する問題が起きれば(ほぼ毎日でしたが。)母にスマホを取り上げられた。中1の頃なんて、毎週のようにスマホを取り上げられていた。しかし、「もう同じことしないから!約束するから!」と私は必死に母に泣きわめき、母も何日かすれば「良くなるって信じてるよ。」と言って返してくれた。スマホを没収されたのは最長で5日間。しかし、この「約束」も幾度も破れた。本当に没収された時はもうしない!もう取り上げられないように頑張る!と思って自分に決意するんですが、返されたらつい怒られた時のことを忘れちゃって…何回も同じ問題を繰り返していた。それで1回、感情的になった母が、私のスマホをバキバキにしたことがあります。想像しがたいかもしれないですが、本当にその通り、トンカチを持ってスマホをバキバキに叩いたんです。当然「もうスマホを買ってあげない」と言われ、私ももう買ってもらえない気がして、これから自分を待ち受けていた「スマホなし生活」に絶望し、いつものように泣き喚いた。しかし、1週間もしないある日、母は新しいスマホを買ってきたんです。しかも当時新しめの機種。
父は毎回「もう返すな。」って言いますし、スマホを壊されたときだって「もう絶対にスマホ買うなよ。」と夜中口論していたのを覚えています。母が父の反対を押し切ってスマホを買ってきた時、「中古品で友達が買い取って欲しいって言ってくれたからさー」と言っていましたが、本当はApple Storeに行って買ったピカピカの新品スマホだったことを後から知りました。父はただ私に「お前ママのこと裏切るなよ。」と何回も何回も釘を刺した。最初はやっぱりうざったらしかったけど、徐々に私も母に迷惑をかけたくないと思い、スマホの使い方も改善してなんとか今では正常な使い方をできています(と信じたい!笑笑)。

-「健康に生きるためには食べないといけない。」に反抗…

中学2年生になってこの毎日戦闘の反抗期、スマホ関連の問題は落ち着いたけれど、そこで終わりかと思いきやそこへやってきたのはひっそり反抗期。いや、反抗期とは少し違うかもしれない。何があったかというと、自分をよく見せることに気持ち悪いぐらい囚われていた。いちばん印象的なのは体重にとてつもなく敏感になったこと。「可愛くなりたい」という欲望が強く、9キロ痩せた。
体重計の数字が小さくなってるのを見た時、自分のお腹の肉を摘めない、と脂肪が減ったと実感した時、足を触ると筋肉で硬くなってる時、鎖骨や肩の骨が突き出てる時、「痩せてる」と実感できた時の喜びが半端なかったし、何より自分の自信にも大きく繋がった。
けど、度が行き過ぎていたことは今では明白にわかる。保健室の先生に「栄養失調」と言われたり、貧血とかでしばしば倒れたりしていたもの。そうやって、親にすごく心配かける毎日だった…。
そしてもう一つとてもとても反省しているのは、母が毎日作ってくれていたお弁当や夜ご飯を毎日こっそり捨てていたこと。
最初の方は普通に部屋のゴミ箱に捨ててバレては怒られた。しかしそこでは反省するどころか、自分で生ゴミの袋に入れて親にバレないでマンションにゴミ場に捨てたり、いろいろ巧妙な手口を使って捨てていた。(生ゴミの袋もパンパンになってから捨てるように節約していたのに、私は満タンにならないうちに軽い気持ちで捨てていた…。)。けど母の本能ってものは怖い。それも何回かバレ、その度に本当に本当に怒られた。何回も続き、母に「もうご飯作ってあげない!」って言われたこともある。私は正直、当時は「やったー!もう食べなくて済む!」と喜んでいましたが。しかし、母のその宣言は1日しか適用されず、次の日からは何も言わずにまたご飯が用意されていた。他にも私は、「炭水化物多すぎる」「フルーツないの?」「なんで低カロリーのオーガニックの食材買えないないの?」と、いちゃもんつけまくり。
今思うと、本当にありえない。なんで母の気持ちがわからなかったのだろう。朝早く起きてお弁当を作り、仕事から帰ってきてはご飯を作ってそれは全部ゴミになっている、というのが毎日続いていたと思うと…。母は小さい頃貧しくてご飯をまともに食べられなかったこともあり、「ご飯を食べられない人もいるんだよ!」と毎日必死に訴えてきていた。私はこの時「だったら私が食べない分その子たちに寄付しようよ」なんて言っていたが、なんて幼稚なんだろう。食べ物は健康に生きるために必要なんだから、食べる。私はそんな単純なことに歯向かっていて、実際に当時の栄養失調の害は、今にも体に影響し続けている。

-「信用すること」が「成長させること」。

こうやって私は今15歳になりましたが、振り返ると、こんなことする子どもなんて、ありえない。私は母を、どれだけ傷つけたのだろう。

それでもお母さんは信じ続けてくれた。何回裏切られ、傷ついても、私が良くなることを信じてくれた。
それをただの甘やかしと思う人もいるだろう。しかし、絶対に母が「ダメなお母さん」なんて言われるようなことはあって欲しくなかった。私のことを責めるのはいい。私自身ダメダメだし、自分を責めまくっている。けど「親の育て方が悪い」なんて絶対に言われたくない。母はただ私を信用してくれているのに、それが「ダメ」と言われるなんて、そんな理不尽な思いをさせたくなかった。それは、前回のnoteに詳しく書いてあるが、母が小さい頃から貧しい環境で苦労して育ったことも影響している。
いつになってか、私はそうやって、信じ続けてくれている母のことを裏切られない、絶対にいつか恩返ししたい、と強く思うようになった。

そしてその経験と想いが、今回の自分が行なっている活動に一番大きく結びついた。
もともと刑事司法に興味があったが、母の影響で長い間「貧困」と向き合って活動してきた。そんな中、貧しさのために犯罪に走ってしまう人たちについての記事を読み、そこから加害者側に目を向けるようになった。

人間は誰もが失敗する。
「一度人生のレールを踏み外すとその人間にはチャンスは与えられないのか」という元受刑者の方がおっしゃっていた言葉を私は忘れられない。そのような、絶対に失敗は許されない、失敗したら終わりだ、という社会を作りたくない。
犯罪者の場合はその「失敗」があまりに大きいことは知っている。殺人犯の場合、他人の人権を奪った人なのに、なぜその人の人権は守る?と思う人は多いだろう。私自身これについてたくさん悩んだ。そして、「許す」「許さない」という基準は人それぞれだ、という結果に至った。被害者や遺族方が加害者のことを許せないのは当然だ。だからこそ「自分は被害者じゃない」こと、まだ加害者側に目を向けられる余裕があることを生かして、加害者が復帰できる社会を作りたい。
復帰しやすい社会になれば、再犯の可能性は低くなり、より安全で安心できる社会につながる。そう信じて私は活動し続けます。

-だけど、「逃げること」も大事。

しかし、もう一つ、最近になって気づいたのは「逃げること」の大切さ。嫌なことをされ続けても「きっといつか報われる」「信じ続けることがいいことだ」と思い続けることが必ずしもいいとは限らない。必ず犠牲にするもの、人が出てくる。その時に、優先順位、本当に大事にしたいもの、人を大事にできているか、一回立ち止まって考える必要がある。私は実際に、気づかなくて本当に大事な人を失ったことがあり、今でもそれをすごく後悔している。
そして、自分も大事にすることを学んだ。自分が傷つけられ、自分が犠牲になり続けることを自分から止めることが大事なんだ。自分の「核心の部分」が傷つけられたら、他者のことを思いやることもできないのだから。

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再犯罪率50%の日本で、中学生が進める「犯罪者が復帰しやすい社会づくり」プロジェクトです。

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ここまでお読みいただきありがとうございました!!
届くことはないだろうけど(絶対こんなこと思ってるなんて言わんわ)、ママパパ毎日ありがとう。

これからまだまだ広がる世界、何が待ち受けているのか楽しみだー!

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