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眠れない夜のおばあちゃん

眠れない夜にぐるぐると頭の中をいろんなことが駆け巡る。
だいたいは日中の出来事の失敗を思い出して悶絶していることが多い。
なぜか嫌なことの方が優先的に思い出される。

そして、ああでもないこうでもないと考えてるうちに眠れなくなる。
真夜中にたった一人でモヤモヤは増すばかりだ。

そんな時、ふと小学生の頃の自分とおばあちゃんのことを思い出した。

おばあちゃんは一昨年亡くなった母方の祖母だが、私にとっては育ての親のような人で、私は3歳までは母方の祖父母のところ、山梨で暮らしていた。
東京に私が戻ってからも、両親が共働きで鍵っ子だった私を心配して、しょっちゅう留守番にきていてくれていたし、夏休み冬休みになると私は山梨に行って過ごしていた。

そのおばあちゃんのことを、なぜ眠れない夜にふと思い出したかというと、おばあちゃんが東京に泊まりに来る日は決まって、おばあちゃんと二人で手を繋いで寝ながら、眠くなるまでずっと話をしていたからだ。

おばあちゃんは私の家に泊まりにくる時、いつもタンスのある狭い部屋に布団を敷いていた。その泊まっている間だけ特別に、私は自分の布団をタンスの部屋に持っていき、おばあちゃんの布団に狭い中くっつけて並べて敷いた。

夜中までおばあちゃんとする会話は小学生の私にとって楽しみだった。

そして寝る時間が来ると、そこから延々と会話(ほとんど私が一方的に喋っていた)が手を繋いだままの状態でスタートする。
おばあちゃんが泊まりに来た嬉しさで、私の口は堰を切ったように回転し、次から次へと話すことが溢れてきた。

学校のこと、友達のこと、嫌なことなんでも話した。

ここで1番おばあちゃんが話の聞き役としてすごかったなと思うことは、なんでも明朗快活で大きな笑い声で笑い飛ばしてくれたことと、その笑い声が聞きたい私が嫌な出来事も笑えるように消化しながら話すことができたことだ。

おばあちゃんに聞いてもらって笑ってもらえると悩んでいたことも少し小さく思えてくる。
不思議で、でも安心感のある感覚だった。

小学生の頃の私はそうしてたくさんのことを話しているうちにだんだん安心感に包まれて眠たくなってきていた。

この楽しみは中学生くらいになるまで続いていたと思う。

今は大人になってしまって、おばあちゃんもいなくなってしまってモヤモヤを自分でどうにかするしかないけれど、こうして昔のことを思い出すと
「もしかしたらこの悩みも実はちっぽけで誰か笑い飛ばしてくれるかもしれない」
と少しだけ前向きに考えることができる。

こんなモヤモヤで眠れない夜に、おばあちゃんのことを思い出したのは、おばあちゃんが過去からそっとメッセージをくれたのかと思ってみたりしている。




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