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誕生日の詩3編から武者小路実篤愛を語る #3000字に込めた偏愛

5月12日は我が敬愛する「むしゃさん」こと武者小路実篤の誕生日でした。

中学2年生の時にむしゃさん(の本)と出会い、熱烈に恋した。
「聞いて! 今日むしゃさんがね〜」と彼氏かのようにむしゃさんの話ばかりしていた高校時代
その勢いでむしゃさんを追って東大を目指した。(浪人までしたけど挫折)
その後、卒論をむしゃさんでがっつり書いたら、愛はだいぶ沈静化した。

それでも特製むしゃさんケーキで結婚式を挙げたくらいにはまだ愛しています。むしゃさんとの赤い糸を感じる機会も時たまにあるし。
(リンク先は過去の偏愛note
 結構書いてる笑
 興味ある方は覗いてみてくださいませませ)

今は育児に追われて全然読めていないけど、それでも誕生日は特別。
むしゃさんがこの世に生まれてくれた喜びをひっそりと噛み締める。

久々にむしゃさんの詩集を開けば、幼い私が愛した言葉たちが懐かしく胸に飛び込んでくる。以前と変わらぬ明るさや強さや人間臭さを持って。

***

そこでむしゃさんの魅力を今日は三つの詩から語ってみたい。(むしゃさんは小説や戯曲もいいけど、詩が一番面白い!と個人的に思っている)

26歳、50歳、80歳のむしゃさんが誕生日に書いた詩を若い順に辿ってみる。長い詩の一部抜粋なので雰囲気だけわかってもらえればいいな。
(全文読みたい奇特な方がいらしたらDMください)


***26歳***

前年に雑誌『白樺』を創刊するもまだくすぶっていた頃。

しかししかししかし、
それは自分をあせらす許りだ。

誕生日に際しての妄想

若きむしゃさんはだいたい焦ってイラついてる。「しかし」が三回続いちゃうとこがかわいい。

馬鹿だと思われないように、
謙遜なことを言いながら、
大きな夢をみて他人のことを心から冷笑している汝よ。
早く汝自らを冷笑せよ。

誕生日に際しての妄想

むしゃさんは単純ばかみたいに思われがちだけど、案外空気読んだりぐるぐる考えて冷静に自分を分析してる。
ひねくれてもいるのだけど、そのひねくれを飾らずばか丁寧に書ききる。
結果、素直な単純ばかにみえる。うん、かわいい。

しかし自分はうつろにはならぬ心算だ、(中略)
自分は自分の醜き顔を
かくして往来を歩こうとは思わぬ。(中略)
自分は生きる所まで生きてみる、
そうして自分の謎をといてみる。

むしゃさんと言えば「鼓舞」。
自分を鼓舞するの大得意!
若い時は特に鼓舞が激しい。ちょっと虚勢を張っちゃう感が出てていじましくかわいい。

さて、26歳むしゃさんは自分が成り上がることばかり考えて焦っていた感じ。思い描いてたほど力を発揮できず、それでも自分を鼓舞して未来を夢見る。
若者ならきっと共感できる詩。


***50歳***

26歳からいきなり50歳にとぶのだもの、そりゃまぁ色々ありました。

30歳前後から文学の仕事がうまくいきだし、33歳で理想郷「新しく村」を創設。理想と現実のギャップを村は嫌ってほど教えてくれたのに、むしゃさん愚痴ってなくてめちゃくちゃえらい。
28歳から10年間連れ添った一人目の奥さんもかなり厄介な人だったようだけど、むしゃさん鷹揚ですごい。
その後二人目の奥さんと3人の娘さんとあたたかい家庭を築く。

そして詩もとてもおおらかになる。

自分は今、
自分の仕事について
謙遜しようとも思わなければ
誇ろうとも思わない。
自分の生んだ卵は可愛いいが
しかし別に自慢する程のものとは思わない。
しかし恥とは思っていないのだ。

第五十回の誕生日の朝の感想

自分の枝はいくらのばしても、
他人の枝にはぶつからない。
青空は無限にたかく
大地は依然と深すぎるが
しかし私はそれで自分が小さいとも思わない。
私は私で満足している。

第五十回の誕生日の朝の感想

若い日の焦りや無謀な鼓舞が消え、のびのび満足むしゃさんに変身している。悠々として心が広くて、このむしゃさんもとっても好き。おとなりさんになりたい。毎朝あいさつしたい。

自分はすべての人が
平和で幸福であることを、
自分の為にも切に望むのだ。
私は臆病もので、神経質で。
他人の不幸を、他人ごととは思えないのだ。
残酷な話をきくと、そんな目に自分があうことを考えるのだ。(中略)
私は自分の一生の平和をのぞむが、しかしそれにはすべての人が平和でなければならないことを切に感じているのだ。

自分の幸せを発端として世界の平和を望むこの文がとっても好きだ。
高校の文集でむしゃさんの写真と共にまるごと引用したぐらい好きだ。

そしてむしゃさんはただ願うだけでなく、新しき村により世界平和を作ろうと本気で行動した。そのおおばかさと潔さと無欲さに泣けてくる。


***80歳***

第二次世界大戦の熱に浮かされ、反戦派だったむしゃさんが戦争を支持する文を書いてしまう。
正直これはすごく残念。むしゃさん特有の高揚感が空回りした残念すぎる文だった。
でもそれも人間くさくて嫌いにはなれない。

戦後本人も反省し、公職追放もされ、世間からは終わった作家とみなされる。それでも日々倦まずに文や絵を書き続けるからむしゃさんってつよい。
そして90歳まで元気にごきげんに長生き!
戦後武者小路の『真理先生』などの「山谷もの」シリーズが私は一番好き。癖の強いおじいさんたちの成長記。

私はいいこと許りしたとは言えない
しかし私は皆を愛しては来た
その愛は淡く
利己的を越えること少ない愛ではあったが
愛しては来た

満八十になって

むしゃさんっぽいぶっちゃけ方で好きだなぁ。
娘の辰子さんが書いたむしゃさんについての本を読むと、お茶目で愛情深いむしゃさんがいっぱいいて、泣けてしまう。聖人では全然なくて、困った面もいっぱいあって、でも好きにならずにいられない。

私の八十年に
刈り入れた蔵のなかには
愛と美が一ぱいつまってかがやいている。
この世には美しいものが実に多く
この世には愛すべきものが実に多い。
それ等のことで私の頭は一杯だ。

満八十になって

八十年、生い立ちも仕事も新しき村も決して順風満帆な人生ではなかった。きついことはたくさんあったはずなのに、上記のようなことを本気で言えるむしゃさん。

まだ私は、愛も美もよくわからない。
でもむしゃさんを読んでいると「この世に生きていて嬉しい」という気持ちをいっぱいもらえる。これが愛や美のかけらだろうか。

つらい暗いどろどろした部分を見つめて描くことが文学的深み、みたいな捉え方って結構あると思う。

でもむしゃさんはそれの真逆をいく。

だからばかみたいで、アンパンマンみたい。子供の頃は好きだったけど、今もそれが一番って言ったら恥ずかしい感じ。
もっと世界は複雑で、そう簡単に正義は語れないし、正義の味方にはなれない。

でも、アンパンマンの作者やなせたかしが「飢えて苦しんでる人に食べ物を差し出すという行為」を絶対の正義としたことに、私は何も反論できない。

同じようにむしゃさんは、生き苦しい人に「この世に生きていて嬉しい」という気持ちを無尽蔵に書き散らしてくれた。
それで救われた人がきっと大勢いただろうし、私もそのひとりだ。


だいぶ論理が飛躍してしまったけど、三編の詩を通してむしゃさんへの愛を語ってみた。独断と偏見ばかりで恥ずかしいけれど本気。

むしゃさんを90年生かしてくれたこの世界に感謝。
むしゃさん、生誕137年おめでとう。あなたが生まれてくれて今でもとてもとても嬉しいです。





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トキさんの偏愛を語る企画に参加させてもらいました!
いい機会をもらえて、熟成下書きをやっと完成させられました。
素敵な企画をありがとうございます。
みなさんの偏愛を読むのもめちゃくちゃ楽しい!

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