青春は武者小路実篤のかわいさに捧げた#わたしの愛するかわいい
「今日、むしゃさんがね、すっごくかわいくてね!」
が、高校生のころの口ぐせだった。
むしゃさん、とは武者小路実篤のことである。
今日あったことのように、さっき本で知ったエピソードを話しまくった。
友人らは「へいへい」と聞いてくれたけど、きっとうざかったね。聞いてくれてありがとね。
* * *
チャイムが鳴って、友人の待つ教室に向かう。階段を3階分、降りなくちゃ。
むしゃさんのエピソードを思い返す。ふふ、やっぱ、かわいいなぁ!
手すりに手を滑らせつつ、階段を駆け下りる。
とっとっとっと、どんどん加速する。脚がとまらない。やばいやばい!楽しい!やばい!
踊り場で、手すりを軸にぐるんと勢いよくターン!高まる気持ち。
ああ、むしゃさん!なんてかわいい!
同じ時代に生きたかった!
* * *
で、そのエピソードが
「トルストイにハマりすぎて「ト」の字を見ただけで顔が赤くなったんだって。かわいすぎー!」
とか、
「うさぎ年に杖を持ってジャンプしてて、超かわいい!」
とか、めちゃくちゃ他愛ないものだった。
ちなみに私も、「実際三十路で無職」という文字列で武者小路実篤が浮かんでしまう。
(ちなみのちなみにnoterさんならこの単語だけでどなたの文かわかるかも笑)
むしゃさんのうさぎジャーンプ!かわいい!
さてここで武者小路実篤という人について少し語らせてほしい。(未だに燻る布教したい欲)
代表作は
『友情』(童貞男の女性への憧れと勘違いがかわいい)
『愛と死』(とんぼ返りする女の子がかわいい)
『真理先生』(おじいさんたちがそれぞれかわいい)など。
年配の方には「ああ、へたなカボチャの絵を描くじいさんね」と認識されがち。
かぼちゃの美に真剣なのもかわいい
志賀直哉らと雑誌『白樺』を創刊。(若い仲間うちで楽しそうでかわいい。「自分」という言葉は彼らが流行らせたそうな)
楽天的で理想主義的な作風。(と、いわれがちだけどそれだけじゃない。とにかく素直になんでも書いちゃうのがかわいい)
芸術と生活を両立した自由な社会「新しき村」を作る(農業も何も知らないままはじめたので大層苦労。人間関係もお金も苦労。でもあきらめず頑張るのがかわいい)
* * *
中2の時からずっと好きで、大学では彼をテーマに卒論を書いた。六十四作の連作短編と長編の総観は自信作だったが、「労作」と言う評で片づけられた。
文学界ではむしゃさんはアンパンマン的な立ち位置だった。単純すぎて素朴すぎて、小さい頃にはハマるけど、それを大人になっても大好きで一番面白いって言われたらちょっと……という扱い。
その評価を不服に思いつつ、年とともにたしかになぁと認めざるを得ない。
それでも、それでも彼自身のことをかわいい、好き、という思いはとまらない。
* * *
私のこの人への執着は、アイドルオタクとそう変わらないのかもしれない。
残念ながらむしゃさん、顔はあまりよくないが。
(イケメン好きなら志賀直哉のがおすすめ。)
左が親友の志賀直哉、右が武者小路実篤。 いや、むしゃさんのがかわいい!
でも現役アイドルを応援するのと違う点もある。
私がむしゃさんを知った時にはもう、彼は人生が閉じてしまっていた。
血気盛んに書きまくった一生の終わり、なにも書けなくなる。最愛の妻が病気になり、ショックで失語症になる。ゆるやかに痴呆もあった。それでもお見舞いに来る人に満面の笑みを浮かべ、手を長く握りしめていた。
娘の武者小路辰子さんの著書『ほくろの呼び鈴』で中学生の私はこれらのことを知りボロボロ泣いた。
けれど、著書や彼について書かれた本を開けば、どのページでもむしゃさんは輝いていた。いきいきと笑い、泣いて、怒り、喜び。真剣に生きていて、どうしたってかわいい。
この人がこの世界にいた、ということが嬉しい。
* * *
「かわいい」は全てを肯定する。
ブサイクだけど、かわいい。
おばかだけど、かわいい。
死んじゃったけど、かわいい。
「今日、むしゃさんがね、すっごくかわいくてね!」と言いたくて、むずむずしながら階段を駈けおりた時を、今でも鮮明に思い出せる。
それが私のへんてこな青春で、そんな自分すら今はかわいく思う。
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