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5歳の新しい涙にひりついた夜

「やっぱりさ、ほんとはさ、あんまり幼稚園、行きたくないんだよ、ちの」

目の端に湧き出てくる涙を、人差し指で拭って隠しながら、彼はたどたどしく言葉を紡いだ。

***

今年の春、年少から年中になった長男ちの。

初めてのクラス替え。好きな先生や友達と離れた。新しいクラスに馴染めず、行き渋りで苦労した一学期
「あした、ようちえん、いきたくない。家で、かーちゃんとずっといたい。」
夜になると明日を思ってぽろぽろ泣いて、こっちもつらかった。
朝、抵抗する子を無理やりおぶってバス停まで走るのも、心身ともにキツかった。

そこまでして行かせる必要があるのだろうか、バスを見送りながらもやもやとした自己嫌悪でいっぱいになった。

が、幼稚園が終わってバスから降りてくると、「けっこう楽しかったー!」と本人はけろっとして帰ってくる。

しかし二学期になって何故か
「幼稚園すっごく楽しいからお休みの日がなければいいと思うんだよ。ちの、七日間ずーっと行きたいんだ!」
と、幼稚園大好きっ子になった。

給食が苦手で最後まで残されて食べるのが嫌、と一学期はぼやいていたが、二学期になると
「今日、2番に食べ終わった!これで2番になるの9回目、ちの、すごいでしょ!」
と、給食早食い自慢をしてくるようになった。

新しい友達の名前もちらほらと出るようになって、やっと馴染んできたんだなとほっとしていた。

コロナ禍で親が関われる行事は消えた。
バス通園のせいもあり、幼稚園での彼の日常を私は一切知らない。楽しく心穏やかに過ごしていてほしいと、ただ願うしかできない。



ところがまた、風向きが変わったようだ。

幼稚園の遠足で大きな公園に遊びに行った日。バスを降りてきた長男の顔は曇っていた。

「遠足、楽しかった?」
と聞くと、延々と遊具の説明をはじめた。
滑り台が7つあって、高いやつとぐるぐるするやつと、それから……と話がとまらない。が、それが淡々とした話しぶりで、あまり面白そうじゃなかった。

「誰と遊んだの?  みんなで鬼ごっことかした?」
聞くと、しゃがんで道端のネコジャラシを引き抜きながら
「ひとりで遊んだ。ずっとひとり」
とぽつんと言う。

え、遠足でひとり?
心がキュッとなった。
いやでも、この年の男の子なんてまだ単独行動なのかな? わからない……。
なんて言えばいいんだろう……。

「ひとりで遊ぶのが、いちばん楽しいんだよっ!」
私の沈黙を察した長男は怒ったように言うと、ネコジャラシを両手に掴んで突然走りだした。


***

そんなことがあったのに、私はまだのんきにしていた。
一学期の時のように行ってしまえば楽しくなるんだろう、と思っていた。ひとりで遊ぶのが楽しいなら、それを異端扱いするのもよくないだろうし、となんとなく自分を納得させたりして。



が、家の都合で幼稚園を一日休むことになった日の夜、彼は冒頭のセリフを言い出した。いつものマシンガントークは何処へやら、途切れとぎれの涙を堪えながらの言葉。

「やっぱりさ、ほんとはさ、あんまり幼稚園、行きたくないんだよ、ちの」

それまでだらだらと見ていたスマホを私は机に置いた。さぁ、どう対峙していこう。
「なんで行きたくないんだろう? ちのは何が嫌なの?」

涙を隠そうと目尻を人差し指で引っ張るから糸目になって、にらめっこの変顔のようだ。でも笑えない。全然笑えない。

「ほんとは、ひとりで遊ぶのが、やなんだよ。
  みんなは、みんなで遊んでるのに、そこで、ひとりで遊ぶのが、きらいなんだよ。」

そりゃ、そうだよ。きついよ。やっぱりそうなんじゃん。ひとりで遊ぶの辛かったんじゃん。あまえんぼうで泣き虫のくせに、一丁前に強がってんじゃないよ。

こっちも鼻の奥がキンとした。でも泣くわけにはいかない。
多分、私に心配をかけたくなくて隠していた部分もありそうで。



たどたどしい話を聞くと、誰かにいじめられているわけでもケンカをしたわけでもないようだ。ただただ人の輪に自分から入っていけない。そんな自分を不甲斐なく思っているようだ。

恥ずかしくって、そんな自分見せたくなくって、それで、悩んでいることすら隠したかったのかもしれない。

そういえば、今まで涙を隠そうとしたことなんてなかった。いつだって惜しげもなくぽろぽろぼたぼた泣いていたのに。

鼻をかむついでに、私もこっそり涙をぬぐった。
そして自分の幼い頃に思いを馳せた。


***



ピンクが剥がれかけた平均台の上。
年少の私は、茶色いおかっぱ頭の後ろを歩いていた。安心するいつもの後ろ姿。天使の輪っかが綺麗だった。
ふいに振り向いた彼女。
険しい顔。初めて見る表情。
キツい口調で一言。

「ついてこないで!」

同じマンションで生まれ育った幼馴染だった。2ヶ月早く生まれた彼女の後ろをついて歩くことは、私の当たり前だった。
幼稚園に入って知らない子だらけの不安な中、彼女がいてくれてどれだけ安心したか。



そのあと平均台の上でひとり突っ立っていたのだろう。パステルピンクが剥がれて、褪せた木目が露出しているのをずっと見ていた記憶がある。呼吸を整えながら。
ぽろぽろ泣きはしなかった。
今の息子のように、目尻を引っ張って隠した。


両親や祖父母、近所の人たちから惜しみない愛を当然のものとして受け取っていた幼少期、これがはじめて受けた拒絶だった気がする。

嫌がられていた自分、に気づいてショックだった。もう一生、顔を合わせるわけには行かないと思った。幼稚園に行きたくなかった。でもこの話を母さんに話すのも嫌だった。すごくすごく嫌だった。

ひょっとして息子もそんな気持ちなのだろうか。


他愛のない、ちっぽけなちっぽけな話。

それでもその時の場面をまだ覚えていて、じわっと涙を生み出してしまう。
子供のまっさらな心に最初にできる傷は多分、周りが思うより深い。
傷ができるのは仕方ないことだけど、深い。

***


「ねえ、かーちゃんはさ、幼稚園の年少さんだった時にね、「ついてこないで!」って仲良しのお友達に言われたことがあったよ。それで、すっごく幼稚園行きたくなくなったよ。」

ひっくひっくと肩で息をしながらうつむく息子に、こう声をかけてみた。そっと、おだやかに。
勝手に人の気持ちを憶測で共感するのはあんまよくないよな、と思いつつも。


「え!? ほんとに? ほんとにそんなこと言われたの? すっご!」

予想外に食いついてきてビビった。
顔を上げてやっとこっちの目を見た。
すっごって、何?
何故、そんな嬉しそうな声なの?

「ちのは、だれにもそんなこと、言われたことないよーん!」

え、笑ってる?
瞳に輝きが戻ってきてる!?

似たような悲しみ(こっちの勝手な憶測)を語って寄り添いたい、と思ったのになんか違うぞ??

自分より下を見つけたぜ! という安心感を得てくれたのか?
だからってなんでマウントをとってくる??
 
さっきまでぐっと内側に篭って様々な思いに耐えていた健気な彼はいづこ?

***

急展開な息子の気分の上がり具合におののいたが、期せずして彼は前向きになれた。自分はだれにもそんなひどいこと言われてないから大丈夫、と思えたらしい。


「自分から「いれて」「あそぼ」って言ってみたらどう?
  言わないで一人で遊んでいるから、ちの君はひとりで遊ぶのが好きなのかなってみんな思ってるのかもよ。ドキドキするだろうけど、自分から言ってごらん。」

落ち着いた息子にそう言ってみたら
「あ、そうかも! ちの、言ってなかった! そっか、だからか。じゃあ、言ってみる!」
明るくけろっと応えてくれた。
うん、じゃあそうしてみようね、とその場は終わった。



でもまあ、実際はそう簡単じゃないだろう。
彼の内弁慶さ、気難しさ、プライドの高さ、臆病なまでの慎重さ、そんな要因が友達づくりを邪魔している気がする。

それでも私はもうそれを助けることはできない。
幼稚園という別世界で、息子が自分で人と向き合い、傷ついて気づいていくしかない。



「やっぱり、自分じゃ「あそぼ」って言えないから、かーちゃん、先生に頼んで……」

10分後、テンションが戻った息子がまたぐじぐじと言いにきた。

うん、そっか。まあそんな気がしてたよ。
無理せず言ってくれてよかったよ。

「じゃあ、先生にお手紙書くから、先生と一緒にがんばりな」

そして先生に長いお手紙を書いた。
どうかうちのめんどうなちびをよろしくお願いします…。



ひとり遊びで楽しいフリをしなくてすむように、
隠すように泣かずにすむように、
どうか幼稚園が彼にとって安心できる場所になりますように。

そして傷つく日があっても乗り越えていけますように。




***

4歳の新しい涙は可愛らしかったな…


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