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英国散歩 第22週|英国のパブ文化とカフェ文化【パブ編】

はじめに

イギリス人の生活とは切っても切り離せない、紅茶とビール。
紅茶はティールームでお菓子と。ビールはパブでフィッシュ&チップスと。イギリス観光でも定番のそんな情景がすぐに浮かんできます。

今回の連載テーマは、これにコーヒーも加えた3つの飲み物を巡るイギリスの歴史と現在について。
これら3つに共通するのは、単に現在のイギリスで人気の飲み物というだけでなく、それらが提供されてきた場がイギリスの歴史においてとても重要な役割を担ってきたということです。

パブ(ビール)、コーヒーハウス(コーヒー)、ティールーム(紅茶)は、各時代においてイギリス人にとっての社交の場であったり、ビジネスの場であったり、娯楽の場であったりと、多様な役割を果たしてきました。イギリスの社会経済の発展の裏にはこれら3つが様々なかたちで関係していたとも言えます。


第1回の今回は【パブの歴史と今】について。
次回以降、同様にコーヒーハウス、ティールームの歴史を概観したうえで、それらの場が果たしてきた役割などを整理していく予定です。


パブとは

パブ(pub)とは、後述するように「パブリック・ハウス(public house)」の略。
ビールを中心とした飲み物やイギリス名物のフィッシュ&チップスなどの食べ物を提供するイギリスの酒場のことであり、店ごとにスポーツ中継が流れていたり、ビリヤード台があったり、カジノのようなゲームマシンが置いてあったりと様々な特徴があります。
そして、非常に長い伝統を持ち、イギリスのどんな小さな村を訪問しても教会とパブだけは必ずあると言われるほど、イギリス人の生活に根付いた存在です。

以降、その長い歴史をかいつまんで見てみます。


パブの歴史

①パブの起源|1世紀~

パブの店名は今でも「INN」とつくものも多いです

イギリスのパブの歴史は古く、ローマ植民地時代の西暦43年、兵士たちの喉を潤すためにローマ街道沿いでワインを提供していたお店「tabernae」に端を発します。
その後、tabernaeは地元客のためにイギリス産のエール(ale)も提供するようになり、「alehouse(エールハウス、エール屋)」と呼ばれたり、tabernaeが変化して「tavern(タバーン、酒場)」と呼ばれたりするようになります。

11~13世紀頃には、alehouseやtavernが食事と飲み物を提供する一方、それに加えて旅人に宿を提供する「inn(イン、宿屋)」という業態も存在しており、次第にこれらはまとめて「public house(パブリック・ハウス)」と呼ばれるようになります。

public houseは、自由なおしゃべりの場であり、新たな出会いの場であり、情報収集の場であり、地域のコミュニティの拠点として機能しており、単にprivateなhouse(民家)とは一線を画した、まさにパブリックな存在でした。


②「パブ」の誕生と普及|15世紀末頃~

1667年にinnとして創業し、ケンブリッジで最古のパブのうちの1つとされる「The Eagle」

そして、15世紀末から16世紀初め頃、ヘンリー7世の統治時代にこのpublic houseが短縮され、今日と同様の呼称である「pub(パブ)」が使われるようになったとされます。

1577年までにイングランドとウェールズを合わせて2万件弱ものパブがあったと推定されており、これは当時、人口200人に対して1件(!!)という割合でパブが存在したことになります。

ちなみに、この「人口200人に対して1件」というのはなかなか衝撃的な数字で、例えば、現在の日本で考えると、居酒屋からファストフード店、ラーメン屋、パスタ屋、中華料理屋、宅配ピザ、、、などなどを含めたすべての「飲食サービス業」の店舗・事業所を合計してようやく到達する割合* です。
2016年の経済センサスにおける「飲食店、持ち帰り・配達飲食サービス業」の全国事業所数は約65万件、2016年の日本の人口は1億2700万人なので、「人口195人に1件」となります。


③狂気のジン時代|18世紀前半~

画家ホガースが描いた対照的な2つの絵
左:「BEER STREET(ビール街)」(1751)
右:「GIN LANE(ジン横丁)」(1751)

17世紀まではビール、エールを中心に提供していたパブでしたが、18世紀前半に蒸留酒のジンの販売を開始すると「狂気のジン時代(Gin Craze)」が訪れます。これは、安価でアルコール度数の強いジンが貧しい人々を中心に流行したことにより、街に酔っ払いやアルコール中毒者があふれ、社会秩序が大きく乱れた時代を言います。特に首都ロンドンでは地獄絵図のような状況だったようです。

ジンによる社会の乱れは大きな問題となり、政府は1736年と1751年にジン法を制定し、ジンの流通を規制します。さらに、1830年にはビアハウス法を制定し、ジン(や当時汚染が酷かった水)に比べて害が少ないと考えられたビールの消費を政府が奨励しました。これにより一時ビールの6倍にまで膨れ上がっていたジンの生産量は激減。狂気のジン時代が終焉し、パブには再び秩序が戻ってきました。

この時、政府によるジン規制の動きを後押ししたのが、風刺画家ホガースによる2つの絵と言われます。ジンに酔い正気と健康を失った人々が街じゅうにあふれた様子が描かれた『GIN LANE(ジン横丁)』と、それとは対照的に、人々が健康的で活気あふれるまちの様子が描かれた『BEER STREET(ビール街)』。
現実にここまでまちへの影響に差があったかはわかりませんが、当時のビールとジンに対するイメージの違い(政府の意向)が明確に表れています。


④パブの改革|19世紀~

カフェメニューも提供し、女性だけでも入り易いおしゃれな内装のパブ

18世紀後半から19世紀にかけて産業革命が起こったイギリスでは、パブは長時間の工場勤務に疲れた男性労働者が大量のアルコールを摂取する煙にまみれた場でしたが、「狂気のジン時代」を経てアルコールが持つ負の側面がイギリス社会で強く認識されるようになり、19世紀から20世紀にかけてパブでのアルコール提供時間の制限やライセンス制度の変更等も行われます。
また増税や第一次世界大戦の影響もあり、20世紀前半にはパブの件数は大きく減少します。(1905年:99,000件→1935年:77,500件)

パブは、女性、ファミリー客を取り込むための対応として、禁煙ルームビアガーデンの設置を進めます。また1970年代には、平日夜の売上増加を目的として、今となってはパブ名物の「パブクイズ(pub quiz)」が生まれます。ダーツ、インベーダーゲームのようなアーケードゲームがパブ店内に設置されるようになったのもこの頃です。

1990年代には「ガストロパブ」と呼ばれる食事に重きを置いたパブが登場します。そして意外にも、ここにきてようやくフィッシュ&チップスやエールパイ、ステーキ、サンデーローストといったいわゆる「パブフード(pub food)」が多くのパブで提供されるようになります。それまでのパブの多くは、ナッツ、ポーク・スクラッチング(豚の皮を油で揚げたおつまみ)、チップス(フライドポテト)、その他脂っこい料理程度しか提供していなかったようです。
なお、フィッシュアンドチップスを提供する業態「chippy」は、パブとは別にファストフード店のような位置づけで1860年から存在していました。

また、パブはもともと完全な「男性社会」。パブ側が女性客を「ただ女性である」という理由だけで拒否することが違法となったのは1982年。たった40年前の出来事です。
最近のパブでは、子供向けのハイチェアが置いてあったり、トイレにおむつ台が設置されているなど赤ちゃんフレンドリーなところも多いです。

これも案外知られていませんが、2007年からイングランド全土で屋内の公共空間は全面禁煙になりました。そのため、パブも例外でなく今も屋内は禁煙(屋外は喫煙可)です。

パブと言えばナイトシーンを思い浮かべますが、ランチ営業をしているお店も多く、最近ではパブで朝食をとる人も大勢いるようです。


現在のいつでもだれでも飲食を楽しめる場としてのパブは、このような19世紀以降のさまざまな改革を経たものだったのです。



パブの現在

近年のパブ店舗数の推移

長い歴史を持つパブも、その件数は近年、毎年のように減少しています。
2020年時点でパブはイギリスに約47,000件あるとされ、人口約1,400人につきパブが1件。16世紀末の「200人に1件」からは大きく減少したものの、
日本の居酒屋が全国で約72,000件(2015年)で、人口約1,800人につき居酒屋1件ということを踏まえると、今なおパブはかなりの密度で存在しており、イギリス人にとって身近な存在であることがわかります。

イギリスのパブの店舗数の推移(2000年~2020年)
出典:British Beer and Pub Association


パブ衰退の原因

近年パブの件数が減少している理由について、Historic Englandで下記が挙げてられています。

・社会の変化、娯楽の多様化 
・屋内公共空間の全面禁煙化(2007年~)
・ビール税の大幅な引き上げ(2008年以降で42%増)
・スーパーなどでのアルコールの値引き販売
・都市部とその郊外における、再開発用地としてのパブ敷地の価値の高さとその向上

Historic England, The Public House in England ※筆者訳 

たしかに、アルコール無しでどの時間帯でも気軽に立ち寄れるカフェや、ちゃんと料理もおいしく長居できるレストラン、アメリカ発祥のバー、安くスーパーで買ってみんなで宅飲みなど、飲酒・飲食の場の選択肢が増える中、相対的なパブの魅力低下は避けられないと感じます。
また、コミュニティ拠点として機能してきたパブは大抵の場合、それぞれのまちの中心部など再開発圧力が高い立地にあると考えられ、より収益性の高い他のビジネスに取って代わられる可能性をはらんでいます。


パブの魅力

そうは言うものの、やはりパブは非常に多くの魅力を持っています。
食事提供なしでビールとナッツだけを提供する伝統的でストイックなパブもあれば、ミシュランで星を獲得するようなグルメなパブもあり、世界史の教科書に載っているような偉人達が議論を交わしたと伝えられるパブもあれば、フットボール中継を通じて初対面の人同士が一瞬で打ち解けるパブもあり。

訪れる人々の身分にかかわらずオープンでパブリックな場として機能してきた長い歴史を持ち、かつ、より多くの人が安心して快適に楽しめるように様々な改革も行われて現在に至るイギリスのパブ。

パブは、今日もイギリスじゅうで様々な出会いを生んでいます。



【パブ編】はこれで終わりとし、次回【コーヒーハウス編】に続きます。



References

・About-Britain.com, The English Pub-a guide
・BBC, Hogarth’s London: Gin Lane and Beer Street
・British Beer and Pub Association, History of the pub and pubs
・Historic England, The Public House in England
・Historic UK, The Great British Pub and Pub Signs of Britain
・UK Parliament, House of Commons Library, Pub Statistics
・When Does The Pub Open, A HISTORY OF PUBS IN THE UK
・平川知佳, 2010, 階級と余暇の指向性 : 近代のイギリス社会に焦点をあてて


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