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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(29) あとがき・参考文献一覧・奥付

# あとがき

「キーボードのQwerty配列はどうして生まれたか?」
というテーマはコンピューター史における人気の話題のひとつです。この「どうして」には、
「どうしてこんな配列になってるんだろう? 意味がわからない」
という、多くの人の気持ちがこめられているのでしょう。

かつては、この質問に対する答えとして
「タイプライターが生まれたばかりの時代、速く打鍵するとタイプライターのバーが衝突してしまったので、よく使うキーを離して配置したのだ」
と説明されていたものでした。まさに竹を割ったような、わかりやすくてもっともらしい解説です。

しかし、コンピューター史の研究がすすむにつれて、そのような単純な話ではなかったことが判明しました。たとえば打ちやすくするための工夫だったり、他社の特許を避けるためだったり、独自機能の追加のためだったり、様々な事情によって、Qwerty配列はできあがっていったのでした。

この研究の第一人者である安岡孝一氏は次のように述べています。

> つまり,初期のタイプライターではABC順を元にしたキー配列だったものが,たくさんの人がその時その時の変更を加えていくうちに,現在のパソコンのキー配列になったのです。したがって,それぞれのキーを移動させた理由はあっても,キー配列全体が1つの理由で説明できるわけではないのです。

出典: パソコンのキーボードは,なぜABC順・五十音順ではないのですか | ことばの疑問 | ことば研究館
https://kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-35/


思うに、忙しい現代社会の人間は、一見すると非効率に見えるものに対し
「なんでそうなってるのかわからない。意味不明。だれか説明してよ」
と不思議に思って答えを欲しがるものの
「さまざまな理由によるんだ。長くなるけど、いいかい? まず……(小一時間つづく)」
という回答を望んでいないのです。求められているのは一行解説で、耐えられるのは三行解説なのです。

このことに文句を言ってもはじまりません。筆者だって、そうなのです。ちょっと知りたいだけのことで、小一時間を溶かされてはたまったものではありません。

筆者は最初、防衛のために街路を屈曲させたという説を、そこまで疑っておりませんでした。

ただちょっと、鞆城下の街路を屈曲させたはずの福島正則が本拠地である広島城下の街路をそれほど屈曲させてるようには見えなかったので、

「言われてるほどには、屈曲させてなかったんじゃないの? 各地に残る食い違い十字路は、防衛以外の理由によるものが、意外と多いんじゃないの?」

くらいの気持ちで、ちょっと知りたくなって調べ始めただけでした。

しかし、地図調査がおわったとき、浮かび上がったのは
「入り込んだ敵が簡単に主郭へたどりつけないと言えるほど、迷路的な城下はない」
「明らかに防衛のために街路を屈曲させた箇所は、まれにしかない」
「城下町も城下町じゃない都市も、平坦地が少ないほど丁字路やクランクが増え、カーブも増える」
といったもので、防衛以外の理由によるものは「意外と多い」どころか、半分以上は地形で説明がつき、残りも利水や排水や経済的な理由で説明がついてしまったのです。

筆者が最初に求めていたのは簡単な解でしたが、思ったよりも時間をかけて調べたため、だんだん研究が楽しくなってしまいました。より確証を求めるようになり文献へも当たり始めました。

定説の論拠をたどっていくうちに、街路屈曲防衛術の論拠が『盛岡砂子』の「盛岡丁割初」にあることをつきとめ、ついには『盛岡砂子』の出典である『祐清日記』にたどりついたとき、筆者はおおいに悩みました。

『祐清日記』に収録された「盛岡御町割之事」の逸話が、史実とは認めがたい巷説であることは明らかでした。それどころか江戸中期以前のあらゆる史料が街路屈曲防衛術とは逆のことを言っていました。

もはや筆者の中で、街路屈曲防衛術が江戸中期に生まれた誤解の広まったものであることは、疑いようのないものとなっていました。


しかし。


これを述べた所で、賛同が得られるとは、とうてい思えなかったのです。

筆者は城郭が趣味なだけのアマチュアです。これほど有名な定説に対して異論をのべたところで、同意が得られるでしょうか? 筆者にはそうは思えませんでした。誰が見たって、客観的に言って、にわか者のうさんくさい独自研究でしょう。

ソースを「御当家秘書」としていた『盛岡砂子』が街路屈曲防衛術の根拠として採用されていたこと自体が、城郭研究で実証主義が重視されていない現状を示しているように思えました。筆者がどのような証拠を提示しようとも、悪しきアカデミズムの前に、
「ただの思い込みの勘違い」
で処理されるのが関の山であろうと。

それどころか、筆者自身、おおきな見落としをしていて、やはり自分が間違っているいるのではないか? と不安を抱いていました。

なぜなら筆者は、単なるアマチュアだからです。

アカデミズムにとらわれているのは、ほかならぬ自分自身でした。この不安は今もぬぐいきれていません。


恥をかきたくなければ、だまっているのが一番です。


しかし、それでもなお、自分の気づいたことを世に問うてみたいという気持ちに勝てませんでした。誰の反応もなく朝露のように消えるとしても、あるいは間違いを指摘されて大恥をかくことになるとしても。

間違っていればごめんなさい。生きてるうちに賛同を得られれば万々歳ですよ、……と腹をくくって、発表することにしたのです。

その覚悟で本書を書き始めたのは2018年の夏でした。2019年の春には完成して解放される予定だったのですが、マンガしか書いたことのない人間には、なかなか苦労が多く、原稿はおもったように進みませんでした。

第3章と第4章の説得力を補うためだけのつもりで、海外の事例を調べた第5章など、想定外の連続でした。

まさか、こちらでも
「朱雀大路の道幅が広いのは祭祀と威信のため」
という従来の説に異を唱えることになるとは、思ってもみませんでした。

しかし第4章で得られた
「都市戦とは放火である」
という結論から中国型都城制を検証しなおしてみると、幅広の朱雀大路も北闕型も、やたらと広い城域も、すべて防災という観点で矛盾なく説明できてしまったのです。

その上で改めて疑ってかかると、北闕型と朱雀大路が祭祀と威信のためとする従来の定説が、なんともまあ矛盾だらけであったことか。

本書のリリースが2020年春までのびたのは、第5章で本来の目的ではない発見があったためです。

筆者が本書が明らかにしたかった事実は徹頭徹尾
「近世大名は城下を迷路化なんかしなかった」
なのですが、本当に重要な発見は
「北闕型と朱雀大路は防災のための形態」
の方かもしれません。

かつて、
「東名高速道路にゆるやかなカーブが多いのは、居眠り防止のためである。直線道路の多い名神高速道路で居眠りが頻発した反省を活かして設計された」
という説が雑学本によく載っていました。

ところがこれも調べてみると
「見通しの良い長い直線道路が居眠りを誘発するという調査結果はたしかに存在するが、東名高速道路のカーブとは無関係」
だったのです。

> 実際には用地買収、コスト、工期、橋梁やトンネル等の設計、施工上の都合からカーブ部分が多数設けられる事になったと言うのが実情である。クロソイド曲線は単にカーブにおける直線と円弧を接続する緩和曲線であり、設計上の指針であり眠気防止の要素は考慮されていない。

参考:高速道路催眠現象 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%80%9F%E9%81%93%E8%B7%AF%E5%82%AC%E7%9C%A0%E7%8F%BE%E8%B1%A1

平坦な土地なのに曲がってる道路とか、必要以上に幅広すぎる道路というものは、多くの人にとってキーボードの配列と同じくらい
「なんでそうなってるのかわからない。意味不明。だれか説明してよ」
と不思議に思えるものなのでしょう。

東名高速道路が作られた昭和でも不思議であったように、江戸時代でも不思議だったのです。

しかし、
「それぞれの道路が屈曲した理由はあっても、城下街路の屈曲すべてが1つの理由で説明できるわけではない」
というスッキリしない答えは求められていなかったのでした。

「城下地形ニヨリ自由ナラズ」
の指摘はのちに大正から昭和にかけて、かえりみられなくなっていました。

本書の論も同様に、受け入れられず消えていくのかもしれません。

しかし、筆者は、述べずにはいられませんでした。


なぜなら、気づいてしまったから。


2020年3月30日

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# 参考文献・参考資料

## 地図・古地図

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『若松正保城絵図』,,,,,福島県立博物館/蔵,,
『正保福博惣図』,,,,,福岡市博物館/蔵,,
『旧参謀本部陸地測量部地図』,,,,,スタンフォード大学コレクション/載,,
『旧参謀本部陸地測量部地図』,,,,,今昔マップ on the web/載,,
『地理院地図』,国土地理院/著,,,,電子国土Web/載,,
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『上野城下町絵図』,,,,,個人/蔵,,
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## 文献

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『平城京誕生』,吉村武彦、舘野和己、林部均/共著,吉村武彦/編,,[角川学芸出版],,(2010),
『古代都城の占地について』:その地形的特徴,八賀晋/著,,,,,(1979),
『古代の都を復元する』,,岡田茂弘/監修,,[学習研究社],,(2002),
『京都における歴史災害とその気象・気候的背景』,水越允治/著,,,,,(2004),
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『大嘗会の作り物』:標の山の起源と性格,東野治之/著,,,,,(2004),
『都市空間の変遷に関する歴史的考察』,濱崎一志/著,,,,,(1994),
『都市と文明 (講座 文明と環境)』,,金関恕、川西宏幸/共同編集,,[朝倉書店],,(1996),
『日中韓 古代都城文化の潮流』:奈文研六〇年 都城の発掘と国際共同研究,,奈良文化財研究所/編,,[クバプロ],,(2013),
『ルネサンス理想都市』,中嶋和郎/著,,,[講談社],,(1996),
『ユートピア』,トマス・モア/著,,沢田昭夫/訳,,,,
『奥州高館沿革志 : 一名・平泉史蹟研究』,,寺崎清賢/編,,[英華堂],,(1908),
『平泉古図からみた地域空間構成の理念』,山田安彦/著,,,,,(1979),
『中世平泉の市街地形成』,磯野綾/著,,,,,(2009),
『日本史講座〈5〉近世の形成』,,歴史学研究会日本史研究会/編,,,,(2004),
『富山平野における局地的な風と気温の分布』,田上善夫/著,,,,,(2010),
『近世江戸における町人地の街区と町割りの変容に関する研究』,岡本哲志/著,,,,,(2004),
『天保14年における幕府の住宅規制と町人住宅』,鈴木賢次/著,,,,,(1990),
『都市空間の近世史研究』,宮本雅明/著,,,,,(2005),
『我が国における都市住宅像の形成過程』:近世江戸期の影響を中心に,早田宰/著,,,,,(1998),
『江戸町方の道空間の存続と持場』:南伝馬町二丁目他三町を事例として,高橋元貴/著,,,,,(2018),


# 著者略歴/奥付/改訂履歴

## 著者略歴

桝田道也

マンガ家。1971年生まれ。東京学芸大学教育学部美術科中退。

著書(マンガ)に『浅倉家騒動記』『ファンブル5』『日本全国波瀾万城』。

趣味で城郭研究をしている。日本城郭検定二級を所持。

##謝辞

本書の校正は読者の青江松三郎様にご協力いただきました。この場
を借りて心よりの感謝と御礼を申し上げます。

## 奥付

2020年3月30日 初版。2021年3月16日。第2版

* 本書の著作権は著者である桝田道也が有します
* 本書の無断複製および無断頒布を禁止します
* 誤字・脱字・明らかな事実誤認など、お気づきになられましたら、お気軽に筆者(mitimasu@gmail.com)へご連絡ください


改訂履歴

* 2020-03-30:初版リリース

* 2021年3月16日 第2版:誤字・脱字等の修正

    * 2021年3月17日。手違いで古いバージョンが混入してしまったのを修正(※電子書籍版)

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※この note はミラーです。初出はこちらになります。

https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/927148

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