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チャタル・ヒュユクの屋上出入りが侵入者対策と考えづらい、いくつかの理由

> [B! 歴史] エリザ on Twitter: "現在のトルコ内にチャタル・ヒュユクという遺跡があって、おそらくは人口一万の大都市であり、紀元前6500年から5500年ほど前に栄えたと思われる正に古代遺跡なんだけど、この街の構造が面白い。 まずこの街、出入り口がない。そして街路… https://t.co/K08m0rKM8K" https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/elizabeth_munh/status/1490312607383040001

……という話。元ツイもWikipediaも、チャタル・ヒュユクが屋上を出入り口とした理由を侵入者対策としています。

> エリザさんはTwitterを使っています 「まず壁を共有するのは建物の強度を増すためと、建築資材の節約。家々が壁を共有しあって街全体で一つの建物になる事で、少ない資材で頑丈な街を作れる。 そして地面の高さに出入り口がないのは侵入者対策。もし敵や、猛獣が来ても、梯子を外せば家の壁は城壁に早変わり。」 / Twitter https://twitter.com/elizabeth_munh/status/1490313822351269888
> このような変わった家の構造ができた理由ははっきりしないが、一説にはライオンなどの猛獣や外敵の侵入を防ぐための工夫ではないかと考えられている。このように窓が一切なく、出入口が屋上にしかない建物であれば、住民たちは非常時に屋外のはしごを取り外すだけで、猛獣や外敵の侵入を簡単に防ぐことができたのである。 …… チャタル・ヒュユク - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%A6%E3%82%AF

で、私はこの説に懐疑的であるので、次のようにコメントしました。

> 侵入者対策って説明はWikipediaでもされてるけど、街路(廊下)が無いのだから普通の出入り口では他人の家を通り続けないと街の外に出られない→プライバシーや火災避難で問題だから天井が出入り口に…と考えるのが自然 - mitimasu のブックマーク / はてなブックマーク https://b.hatena.ne.jp/entry/4715086427567853186/comment/mitimasu

だいたい予想はしてましたが、スターのひとつもつかず無反応でした。
めげずに、私がそのように考える論拠を述べたいと思います。どうせ100字では説明しきれないことでしたし。

ちなみに筆者は専門家ではなく、自著のためにちょっとチャタル・ヒュユクについて調べたことがある、というくらいの人間です。

52204_チャタル・ヒュユク1

チャタル・ヒュユクレイアウト

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チャラル・ヒュユク推定復元図
(両図とも) 『Catal Huyuk: a neolithic town in Anatolia』James Mellaart より

## 疑問1:猛獣対策に有効だとしたら、なぜチャタル・ヒュユク以外の都市はそれをやらなかったのか?

まずこれです。猛獣リスクが高いのはチャタル・ヒュユク(現トルコ)だけではありません。アフリカなんか、より切実だったのではないでしょうか。
それが有効な対策だとしたら、エジプト古王国時代の北アフリカ沿岸も同じような住居形態になっていて不思議はありません。気候的には同じ乾燥帯ですから。
しかし、チャタル・ヒュユクのようなやり方をした都市は他にほとんどありません。

そして、ネコ科は基本的に木登りが得意です。例外は走力にボーナス値を全振りしたチーターくらいです。
ネコを飼っている方なら、ネコが木登りのみならず壁登りもけっこう得意だということをご存じでしょう。
チャタル・ヒュユクの建物の壁はツルツルした材質ではなく、レンガ積みでした。ネコ科動物にとっては十分な爪がかりとなるレンガの目地があったと考えられます。

そのうえ図体の大きなライオンでさえ3.8mの垂直ジャンプができます

     > 図録▽どうぶつジャンプ力ランキング https://honkawa2.sakura.ne.jp/4171a.html

トルコ地域の大型ネコ科食肉獣といえばペルシャヒョウやカラカルでしょうか。どちらもジャンプ力は3mくらいだそうです。

     > ヒョウ web肉食動物図鑑|肉食動物.com https://carnivore.jp/leopard/

     > 3m越えの驚異のジャンプ力、カラカル! | 恐竜は隣にいる https://jellasic.com/caracal-caracal/

チャタル・ヒュユクは一部では3階建ての部分もあるとはいえ、半分以上は平屋でした。平屋の高さは3m未満でしょう。
建材が少ないから、こういう形態の都市になったのです。必要以上に屋根を高くしたとは考えられません。

したがって、はしごを上げたところで高いジャンプ力と高い壁登り能力を持つペルシャヒョウの侵入を防げません。

## 疑問2:侵入者がハシゴを持ってきてたら意味が無い高さでは?

先述したように、せいぜい高さは3mです。その程度なら侵略者がハシゴを持っていけばいいことです。兵士ひとり一本のハシゴを用意させたっていい。
別に軍隊じゃなくて泥棒さんだって、自前のハシゴを持っていくでしょう。
のちの時代の城壁のような、特別に長いハシゴでなければ登れない高さではないのです。

## 疑問3:分散して籠城したら各個撃破されちゃうだけじゃないの?

ここがみなさん、わかってないようです。
前提を思い出してください。
チャタル・ヒュユクには街路(通路)が無いのです。建物内部に廊下が無いのです。それが大前提です。
公共空間となる広場は屋上だけであり、建物内部は完全に壁で仕切られているのです。
するとどうなるか。
外敵がやって来て、住民が全員、自分の家(部屋とも言う)に立て籠もったが最後、協力して外敵に立ち向かうということができなくなります。共同戦線が張れません。
自分たちの世帯以外がどういう状況なのか、知る術がありません。
せいぜい、お隣さんと壁越しに会話するのが関の山でしょう。
これでは戦闘どころではないのです。

入り口を閉じてしまえば侵入者も入りにくい……は、それはその通りなのですが、侵入者側にとっても
「ひとつだけの入り口の前で、住人が耐えきれずに出てくるまで安全に待ち続けることができる」
のです。
籠城戦とは侵入者があきらめるのを待つと言う消極的な戦い方なのです。

## 疑問4:ハシゴを上げてしまえば城壁になる?

……と、思うでしょう?ところがそうは問屋が卸さない。
ここでも前提を思い出してください。
チャタル・ヒュユクは建材不足からこのような特異な形態になった都市です。
つまり、レンガが不足しており、のちの時代の建物と比べて壁が薄いのです。
言わばトルコのレ●●●スです。3文字も伏せりゃ怒られないだろ、たぶん。

おまけにチャタル・ヒュユクはBCE6500年頃の都市です。
石灰を使うセメントが用いられ始めたのはBCE3600年頃のエジプトに始まると言われます。
したがって、チャタル・ヒュユクの外壁の接着剤は泥です。レンガを泥で接着した薄くて崩れやすい壁だったのです。
薄くて崩れやすい壁だったからこそ、お互いに壁を共有し、誰かの家(部屋とも言う)にもたれかかるように別の家(部屋とも言う)が増築され続けた結果、できあがったのがチャタル・ヒュユクなのでした。

これほど薄くて崩れやすい壁が、城壁として役立つでしょうか?
四谷さんばりに、丸太ン棒で突進すれば簡単に破壊できそうです。例えが古いね、どうも。

壁を壊されたら住民は力を合わせて立ち向かわねばなりませんが、各世帯が自分の家(部屋とも言う)に避難しているので、戦えるのは壁を壊された世帯だけです。
ほかの住人は自分の家(部屋とも言う)に閉じこもっていて、振動と音でどこかが壊されたようだとは推測できるけれども、それがどこで、次は自分の家なのかそうじゃないのかもわかりません。
住民が建物に籠城すれば、侵略者(いたとすれば)はひと部屋ひと部屋ちくちくと破壊して略奪できたことでしょう。

侵略者(いたとすれば)に対するチャタル・ヒュユク住民がとり得る最善の対抗手段は
「屋上で集団で戦う」
だったと思われます。たとえ相手がハシゴを持ってきていたとしても、高さは有利に働くでしょうから。
大勢が屋上に上がることで屋上が崩れたとしても(そんなことが無かったから遺跡が現代に残っているのだと思いますが)、敵を道連れにできます。


以上、四つの観点から、チャタル・ヒュユクが屋上を出入り口にした理由は侵入者対策ではないと私は考えていました。


## ハシゴは昇り降りが大変

ところでブコメを見ると、興味深いコメントがふたつありました。

> ハシゴでは、水瓶がろくに運べない。他の荷物もそう。ごく少量の水で生活してたというのは、無理がある。 - ko2inte8cu のブックマーク / はてなブックマーク https://b.hatena.ne.jp/entry/4715086427567853186/comment/ko2inte8cu

これはまったくその通りで、どうやっていたのか私も不思議でなりません。
コメント主は、ゆえにハシゴで屋上から出入りしていたという点から懐疑的なのでしょうか。

しかし、発掘現場を画像検索する限りハシゴの残骸も発掘されているようです。これは古代人ががんばってなんとかしたと考えるしかないのでは?
建物の中に井戸が発見されたなどといった情報を見つけることはできませんでした。
当時は都市のある丘陵のすぐ下に河川が流れていたので、運搬をがんばれる範囲内だったと考えるしかないと思います。
BCE6500年なら、革をなめす技術も確立していますから、落として割れるツボではなくて、革袋を水の運搬に使ったのかもしれません(これは想像です)

> 面白い。水とトイレはどうしていたのだろう。 - outalaw のブックマーク / はてなブックマーク https://b.hatena.ne.jp/entry/4715086427567853186/comment/outalaw

水の問題は「がんばった」で納得するとして(いまいち納得できませんが)、トイレはどうしたのか。乾燥帯ですから屋上でいたしても、すぐに乾いて温帯ほどには不衛生が問題にはならなかったと思います。
チャタル・ヒュユクにはところどころ屋上の無い区画がありました。そのスペースは公共のゴミ捨て場に使われました(ホースト・ドラクロワ『城壁に囲まれた都市』)。おそらく糞尿もここに捨てられたのだと思います。

さて、この「ハシゴでは運搬が難しい問題」は私に新たなヒントを与えてくれました。
「人間はハシゴを上り下りできるけれども、家畜はどうしていたのだろう?」
と。

推定復元画を検索すると屋上に家畜を描いている図もありましたが、
「どうやって上げた?」
と苦笑せざるをえません。

しかし建物側面に出入り口はないのですから、都市内部に家畜をしまうことはできません。
家畜は都市の外に(おそらくは丘陵下の河川敷に)柵でも作って、そこで飼育していたのでしょう。
で、あるならば、チャタル・ヒュユク住民はますますもって籠城戦ができません。

この時代の家畜は穀物の備蓄以上に価値のある「財産」でした。

建物内部に家畜を入れて守れないチャタル・ヒュユクでは外敵に対して籠城できません。外飼いしている家畜のために全力で都市の外で戦うほかありません。
籠城してしまったら、外敵はまったく無傷で家畜という「富」を奪って帰ってしまうのですから。

というわけで、ハシゴ問題からさらに、五つ目の観点で「チャタル・ヒュユクが屋上を出入り口にした理由は侵入者対策ではない」と述べることができるようになりました。

また、都市の外に出ないと水くみが出来なかった以上、籠城しても三日ともたなかったでしょうね。はい六つ目の疑義どぇ~す。


## じゃあ、どうして屋上を出入り口にしたの?そしてそれが廃れた理由は?

そもそも、壁が崩れやすいので、壁を共有して互いに支え合う形で建物が形成されたのです。
したがって、出入り口などという壁が崩れる原因になりやすい、強度の弱まる部分を側面に作っては本末転倒なのです。
必然的に最初期は
「好む好まざるに関わらず、屋上から出入りする形にするしかなかった」
というのが真実でしょう。

そして増築が繰り返され建物が巨大化していきます。
10部屋も20部屋もお互いにもたれかかるようになれば、それなりに安定もしてきて、四面ある部屋の壁のひとつに開口部を設けたって大丈夫な感じであったかもしれません。都市建設はBCE7500年ごろに始まるようですが、末期のBCE5500年まで二千年も経てば、側面に開口部を設けて強度もさほど下がらない、そんな技術的進歩もあったことでしょう。

しかし、それが出来るようになったとしても、外へ出るのに何度も他人の家(部屋とも言う)を通り抜けなくてはなりません。廊下はないのです。

これはお互いのプライバシーが守れません。
現代日本人だってマンションの廊下で他の人と会うのすら嫌がります。古代メソポタミア人だって夫婦の営みの最中に家(部屋とも言う)を他人が通っていくのは耐えがたいことだったでしょう。
隣人とケンカすれば開口部をふさがれると言う嫌がらせだってあったかもしれません。

火災の問題もあります。壁がレンガとはいえ、天井の梁や衣類など燃えるものはあるのです。
一刻も早く脱出したいとき、他人の部屋を抜けて、抜けて、抜けて、抜けて……とやるより、ダイレクトに屋上へ出られる方がはるかに安全です。
火災対策は都市の考えねばならない重要課題でした。

したがって、筆者の結論はブコメで述べた通り、
「街路(廊下)が無いのだから普通の出入り口では他人の家を通り続けないと街の外に出られない→プライバシーや火災避難で問題だから天井が出入り口に…と考えるのが自然」
なのです。
面白くもなんともない答えなので、まあ反応無いだろうなと覚悟していましたが、やっぱりでした。

拙著『近世大名は城下を迷路化しなかった』でも繰り返し述べましたが、ほんとう、
「防衛のため」
というマジックワードは万民の琴線をかき鳴らす魅力的な答えのようです。
男の子って(女の子も)こういうの好きなんでしょ、の典型例です。

ロマンのない普通の答えは求められていないのです。溜息しかでません。

> Amazon.co.jp: 近世大名は城下を迷路化なんてしなかった eBook : 桝田道也: 本
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## ほならね、チャタルヒュユクの外壁だけ頑丈にしたらええんちゃう?

チャタルヒュユクの壁は薄くてもろいので、城壁として役立たないと述べました。
だったら、外壁だけ厚くして崩されにくくしたら、防衛に強くて建材も節約できる一石二鳥な都市ができるんじゃねーの……とは思いませんか?

筆者は猛獣の項で、
> チャタル・ヒュユクのようなやり方をした都市は他にほとんどありません。
と書きました。ほとんど、と。

そう、チャタルヒュユクの欠点を改善し、分厚い城壁で都市を囲み、チャタル・ヒュユクのように屋上を通路にしたハイブリッドな後継都市が実はあるにはあったのです。
その名もグレート・チャタル・ヒュユク……じゃなくて、ハジュラル(Hacilar)。ハジラルとも。チャタル・ヒュユクと同じく現トルコにありました。

> Hacilar - Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Hacilar

↓こちらの推定復元図を見てみましょう。正確な出典がわからないので転載ではなくリンクにしてます。ご了承ください。

> https://www.researchgate.net/profile/Bernhard-Weninger-2/publication/228680117/figure/fig2/AS:393689789681665@1470874368875/Hacilar-IIA-Reconstruction-of-the-fortified-settlement-from-Mellaart-1970Fig-22_Q320.jpg

> https://vola-necem-koukej.net/jlf/KR_F6WXCAveAUQq3rBQxhAHaF6.jpg

外壁及び建物の側面に出入口があります。これで家畜を都市内部に入れて守れます。
一方で、屋上を通路とし、屋上への出入り口を設けるやり方もまだ続いています。
外壁は簡単に壊せないほど厚く、長いハシゴじゃないと登れないほど高くなりました。
確実に囲郭です。これが侵略者との戦闘を見据えた城壁であることは疑いようありません。

いっぽうで囲郭内部の建物はあいかわらず壁が薄く、分厚い外壁にもたれかかる感じで倒壊を防いでいます。

こっ……これは強い……!!!欠点が克服されている……

……とはいかなかったのでした(えーっ!)

どうやら、ここでも「ハシゴの昇り降りは大変」という問題が問題になったようで(わからん日本語)、戦闘の際に囲郭によりかかる建物が移動の邪魔になり、満足に防衛戦ができなかったらしいのです。
こののち、チャタル・ヒュユクのやり方は廃れてしまったのでした(ホースト・ドラクロワ『城壁に囲まれた都市』)。


以上でこのエントリはおしまいですが、最後に私の好きなチャタル・ヒュユクの推定復元図を紹介して結びといたします。

> [MOC] Neolithic city based on Çatalhöyük : lego https://www.reddit.com/r/lego/comments/9e832r/moc_neolithic_city_based_on_%C3%A7atalh%C3%B6y%C3%BCk/ 

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※ この記事は筆者のセルフミラーです。オリジナルは↓こちらです。

チャタル・ヒュユクの屋上出入りが侵入者対策と考えづらい、いくつかの理由|桝田道也|pixivFANBOX https://mitimasu.fanbox.cc/posts/3393695

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