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“幸せ”って最後に感じたのはいつ?

最近私は、大阪からコンビニもスーパーもない、自販機も車で行かないといけない山奥で暮らす時間が多くなった。俗にいう2拠点生活スタイル。
土と触れ合ったり、仕事したり、時間に縛られず穏やかな世界線で生きている。

物が溢れている世界から、何もない世界へ。

都会で暮らしてる友達や家族から、田舎って楽しい?暇じゃない?って言われるんだけど、めちゃくちゃ楽しいし、毎日やることだらけで暇じゃない。

逆に、たまに都会に戻ると物の多さに疲れる。
人の多さに疲れやすくなった。

電車に乗っても、街を歩いても、
溢れる広告は何かを消費させるための内容。
何かしなきゃ、足りない、今のままじゃダメ。

常に枯渇しているような感覚。
すれ違う人も疲れ切ったような目。
歩く姿も足取りは重そう。
そんな光景を見ているとなんだか重たくなってくる。

田舎に戻ってくると、
「おお、帰ってきたんか!おかえり~」って気軽に軽トラから顔を覗かせて声をかけてくれたり。
近所の農家さんたちはすごく生き生きとしていて、本気で自然と向き合って、遊ぶときも本気で遊んでるのが伝わってくる。

みんなで本気の釣り大会してたり、祭りに向けてみんなで夜遅くまで毎日笛や踊りを飲みながらやってる。

たくさん出来た野菜や採れた魚を当たり前にご近所さんにお裾分けしたり。
都会で28年間暮らしてた私からしたら有り得ない光景。でもどこか懐かしい光景でもあった。

そこには代償を求めてとかじゃなくて、
愛というか、温もりを感じるやり取り。

都会にいた頃は、何かを手に入れるために、何かを消費するためにお金を稼ぎ仕事をこなしていた。

その“何か”が手に入るとまた次の“何か”が欲しくなる。その繰り返し。
満足する、幸せを感じる、が分からなかった。
幸せになりたいという気持ちはあるのに、幸せの手に入れ方がわからないみたいな感じ。

あなたは自分の幸せについて考えたことがある?
幸せって感じたのはいつ??
あなたの幸せは何?

幸せってどんな時感じる?


一度じっくり考えてみてほしい。

何が浮かんだ?

私は、幸せって何か物を買ったり、有名になったり“無いもの”を手に入れることじゃなくて既にあるものを丁寧感じることだと思う。
確かに欲しい物が手に入った時って、幸せだ〜!って感じるんだけど、それよりも、誰かと美味しいご飯を共にしたり、笑ったり、大自然の中で過ごしたり、満点の星空をぼーっと眺めたり、誰かからありがとうって言われたり。そんな時、体の内側からポカポカと暖かいものが湧き起こってくる。その感覚が「幸せ」なんじゃないかなって。

普段の何気ない日常の中に散りばめられている「幸せ」にいかにたくさん気づけるか。
気づけば気づくほど、自分の人生がどれだけ幸せに溢れているのか知り、無限に幸せを感じられるんだと思う。

田舎で暮らしていて、採れたての野菜や魚で料理を作って、
パートナーとビールを飲みながら食べる時間は最高に幸せだなって思うし、
1日が終わり2人で布団の中にゴロンって寝転んだ瞬間はうわぁぁ最高っ!って叫びたくなる。
猫がゴロニャンと寄り添ってきたらあったかい気持ちで溢れる。
挨拶を交わせる人がいる幸せも感じる。
季節が移ろいゆくのを自然の中で肌で感じている時間も幸せだなって思う。

仏教の言葉にも「足るを知る」ってあるけれど本当にその通りだと感じる。
私たちは今豊かで満たされすぎている。
ありすぎるが故に、当たり前になり、豊かで満たされていることに気づけなくなっている。
情報が溢れている今の世界は、スマホを開けば、外を歩けば、大量の情報がとめどなく入ってくる。
気づかないうちに物に溢れて、脳のキャパがいっぱいになって目の前にある小さな喜びや幸せに対して、感覚が自然と鈍くなってしまっている。
だから大きな刺激じゃないと感じることが苦手で小さな刺激を感じられない人も多くなっている。
これは気持ちよくなる上でも、小さな刺激を拾えるかどうかっていう話にも繋がってくる。

現代の1日の情報量は、江戸時代の1年分とも言われている。
脳の大きさはその時代から変わっていないのに、情報量だけこれだけ増えたら、繊細に感じることが鈍くなっていってもおかしく無い。
私たちは、昔から虫の音や自然の移ろい、繊細な和食の味を楽しむ感覚を持っている。

そういう繊細なことを一つ一つ味わう時間を作ることが自分の人生をより楽しむために何より大切なこと。

鈍くなっている人は、味わおうとしても初めは全然分からないかもしれない。
何もしない時間が苦痛でスマホを見たくなったり、シンプルな味付けが物足りなく感じるかもしれない。
これはもう繰り返しその時間を丁寧に過ごして、その中で“楽しい”“幸せ”な感覚を拾い続けることが大切になってくる。
いわゆるデジタルデトックスとかもオススメ。
丸々離れる時間作ると感覚がまた蘇りやすくなる。

ジャンキーな物がダメなんじゃない。
スマホが悪いんじゃない。
それを過剰に摂取することで目の前のもっと小さな日常の中にある幸せに気づけ無くなってしまうことが危ないって話。
どちらも楽しめる感覚を持っていたら、幸せを感じる振り幅がすごく大きく持てる。
小さい幸せに気づけたら大きい幸せはより大きく感じれるようになるって普通に最高すぎると思う。

遠く離れた外国では当たり前のように戦争が起こり、人が死に、病気になっても病院にいけなかったり。1日を生き抜くことすら奇跡なことも。
そんな中でこうやってこのnoteを片手間に読めたり、衣食住があって、恋人や仕事のことで悩めたり。

今悩んでいることも、もっと高いところから、スクリーン越しに映画を見るような感覚で捉えて見て欲しい。そうすると今の悩みが生か死かの究極の選択ではなくもっと気楽に捉えていいって気づけるはず。

さっき話した「幸せ」の感覚、
みんなはどんな感覚?どんな時に感じる?
「幸せ」探ししてみよう。

日常の中にある小さな幸せをたくさん見つけてあげよう。その瞬間に気づくでもいいし、寝る前に今日感じた幸せを思い出して眠りにつくでもいい。
その感覚を感じ、小さな選択からでもいい。
その連続が自分を幸せにしてあげること。周りの人も幸せにすることに繋がるから。

love myself ♡

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