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【世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」】 -ほぼ1,000字感想文

○タイトル:世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」
○著者  :山口 周
○発行  :光文社 (2017/7/19)


■ざっくり概要

表題の問いへの答えは、
「様々な時代の変化に対応するべく、主観的な内部のモノサシを養うため」
と言える。

筆者によると、グローバル企業の幹部トレーニングとして各社がこぞって美意識を鍛えさせるプログラムを導入しているという。

VUCAともいわれる、社会の複雑かつ予測不可能な変化に対して、分析・論理・理性という「サイエンス的な意思決定」だけでは太刀打ちできない。こうした問題に対して、直感と感性という、意思決定者の「真・善・美」の感覚に基づく判断が必要になるのである。

この基本軸を様々な切り口から補足し、解説していく一冊。


■学びポイント

○「美意識」が必要である3つの理由

1.論理的・理性的な情報処理スキルの限界がきている
2.世界市場が「自己実現的消費」に向かっている
3.システム変化にルール制定が追いついていない

1. 論理的に突き詰めた先は、1つの正解に収束する。つまり「正解のコモディティ化」が発生する。市場において競合との差別化を図るためには、独自の切り口で、この波から逃れる必要がある。

2. 社会が成熟したことにより、マズローの「欲求5段階説」の最上位である「自己実現欲求」のニーズが高まっている。この点を刺激できるビジネスをしなければ、便益を伴った商品でも受け入れてもらえない。

3. 社会システムの変化は圧倒的に早くなっている。これにより、様々な領域でグレーゾーンが生まれている。「法律で決まっていることがすべて」という実定法主義のスタンスで突っ込むと、世論批判の的に成り兼ねない。


○「悪とは、システムを無批判に受け入れること」

哲学者のハンナ・アーレントは「悪の陳腐さ」という言葉を副題にした本を出版している。彼女の主張の概要は、「"悪"とは意図を持った主体の能動的行動ではなく、意図せず受動的になされることも含まれる」というもの。

要は、「誠実性」が仇になり、誰しも悪行を犯しうるということ。

だからこそ、社会のシステムに適応し、既に力を持ったエリートこそ、既存システムに批判的な相対性を持ち込むべきである。これが、21世紀を生きるエリートに求められている知的態度である。


○「主観的な内部のモノサシ」

既出の通り、これからの時代において「より高品質の意思決定」をするためには、「主観的な内部のモノサシ」が必要。

内部のモノサシ(←→既存の外部モノサシ)
真:直感∴何が正しいのか   (←→論理)
善:倫理・道徳∴何が良いのか (←→法律)
美:審美感性∴何が美しいのか (←→市場調査)

しかし、このような価値観は、ロジカルに説明することができない。そのため、主張がぶつかった場合に、弱い立場になる。こうしたアートの側面を経営判断に生かし続けるためには、個人に委ねるのではなく、経営に関わる全ての人が「美意識」を持つ必要がある。

↓出典元

※関係者の皆様へ
感銘を受けた作品だからこそ、より多くの方に読んでもらいたくnoteを記載させて頂きました。作成画像など、内容に問題がある場合は即刻掲載停止しますので、ご一報頂けますと幸いです。

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