頭がいいとは?
こんにちは!!北海道産青森県民のMitchionです!!
最近は地元の北海道だけでなく、全国的にも高校野球の地方予選が始まりました。
各地で面白い試合が繰り広げられていますが、私はバーチャル高校野球で面白そうな試合はたくさん見ています!!
強豪同士の1戦から受験界で名を馳せている学校の試合までいろいろなチームの試合があるわけですが、試合を見る限り「頭いいなあ」と思わされるチームが結構ある訳です。
相手の裏をかく配球や、意表を突いたスクイズなど、私はそういう知的な野球が大好物です。
ただ、驚きなのは必ずしも「知的な野球」をするチームは偏差値が高い訳ではないということです。
進学には力を入れていなかったり、失礼ながら学力面で不評な高校でもものすごく考え抜かれた緻密な野球をしていたりするんです。
ここから頭の善し悪しが偏差値や受験の点数に現れるとは言いきれないということを私は伝えたいんです。
彼らはおそらく勉強というものへの興味がたまたまなかった人たちであり、考える力がないとか頭が悪いとかはとんだ偏見です。
頭が悪かったらこんな野球できないよっていうチームは沢山ありました。
そこで私は頭がいいということを再検討したいのです。
私のように浪人してまで受験生をやってきた人はどうしても受験を軸に全てを判断してしまいがちです。
ただ、それはあまりにも凝り固まった考えでしょう。
受験を乗り越える人たちも、進学実績はなくても知的な野球を繰り広げる学校の選手たちもおそらく頭の良さのポテンシャルはおそらくさほど変わらないのではないでしょうか?
たまたまそのポテンシャルを発揮する場が野球か勉強かという違いにすぎません。
それを受験しか知らない人たちは盲目に「でもアイツらって野球しかできねえし頭良くないし…」なんてふざけたことを抜かすわけです。
一体いつどこで「頭がいい」が勉強にのみ使われる言葉、概念に成り下がってしまったんでしょうか?
特に受験に力を入れる人が増えた現代はその傾向がより加速しているように思うんです。
じゃあ受験を乗り越えればなんでもいいんでしょうか?
私はそうは思いません。
私は浪人を経て大学に入学することよりもその先こそが大事であることを深く実感しました。
そもそも大学で何をしたいのか分からない人は受からない可能性が高いし、受かっても大学で躓く人が多いと思います。
「とりあえず受験越えればなんとかなる」みたいな風潮は私は大嫌いです。
でもそれが受け入れられてるのがなんとも解せない限りです。
そしてその影で、頭の良さをほかの分野で活躍できる可能性がある人が潰され、頭の良さを勉強以外の場所で輝かせている人を嗤うということが起きているんです。
もしかしたらネットのノイジーマイノリティが目立ちすぎてるかもしれませんが、想像以上にそういう書き込みはよくネットで見ます。
それを知ってか知らずか、世の大人たちは盲目に受験へと子供たちを進めようとするんです。
将来のためとか言いつつそれは果たして役に立っているでしょうか?
真に輝ける場所を放棄・制限して勉強を「させる」ことは役に立っているとは思えません。
知的な野球ができる選手たちは学校の学力に関わらず頭がいいので勉強の面白さ、奥深さに気づかせられれば野球のように勉強にものめり込むでしょう。
彼らには勉強を強いるよりも勉強と野球が同列のものであることを明確に示す必要があります。
そこの努力をしようとする大人が少ない印象が自分にはあります。
実は真に頭が悪いのは受験に心を奪われすぎた人たちなのかもしれないということでこの記事は終了です。
ここまで読んで頂きありがとうございました!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?