ルッキズムの塊おばあちゃん


ミタちゃんは可愛い!
外国の子みたい!

などと子供の頃まつりあげられていたそう。

当の本人である私はなんのこっちゃと当時はなにも分かっていなかった。

幼稚園児の時に住んでいた海のすぐ近くのマンションの家賃を父が無職だった為支払えなくなったのか近くに住んでいる父の実家、そう、おばあちゃんの家に父と母、私、後に生まれる弟と住むことになった。
何故、おじいちゃんの家なのにおばあちゃん家と呼ぶ人が多いのだろう。例にも漏れず私は今でもおばあちゃん家と呼ぶ。祖父祖母ともに健在だ。
おじいちゃんなんか元気過ぎて四捨五入すると90歳になるのに自転車を漕いでどこまでも行ってしまう。耳も悪くなってきたので危ないと言うのに本人は老人扱いするな!と言わんばかりだ。車の運転の話になってしまうが、運転に自信のある年代第一位は80代というから私のおじいちゃんもそうなんだろうなあ、と思う。

さて、私のおばあちゃん。
子供の時に色々なところへ連れて行ってくれた。
父が無職な上遊び人のちゃらんぽらんだったのにおばあちゃんはまともな人なのが不思議だった。
みなとみらいへ連れて行ってくれてランドマークタワーの展望台に行ったこと、
熱海のアカオローズガーデン(今はACAO FORESTと言うらしい)に行ったこと、
神奈川県中井町の楽しい公園、
大磯町にある高い鰻屋さん、
良さげなホテルのビュッフェ、
はとバス観光、
上げ出したらキリがないほど色々なところに連れて行ってくれた。
私は子供の時は少食かつ偏食であったため高いホテルのビュッフェでオレンジしか食べなかったときは頭を抱えたそうだ。今となっては申し訳なさすぎる。
行きつけのお団子屋さんでも味がついていないお団子しか食べれない為、わざわざ私用に味無し、所謂プレーン味のお団子を作ってもらっていた。

おばあちゃんはとても穏やかな人でとにかく色白で美人でオシャレであった。
秋田出身というのでまさに秋田美人を体現しているような人だった。
オシャレと言っても派手で目立つ装飾など一切なく菫色が似合う人だ。
これは30年前の服なの、これは手作りなの、と物持ちがよくおばあちゃん家はいつも綺麗に整頓されていてミニマリストみたいだ。
2024年の今でも昔の二層式の洗濯機を愛用している。

あまりに美人なのでどこへ連れて行ってもらう時も自慢のおばあちゃんだった。他所のご婦人はなんだか冴えない感じがするのに私のおばあちゃんは吉永小百合に似ていたのだ。

まだ幼稚園の頃だったか、または小学校低学年くらいの頃であったろうか、
おばあちゃんは私に計4冊の本をくれた。

コジコジ1、2、3巻
女の子のためのオシャレバイブルみたいな本

おばあちゃんはアニメなど見ないので何故コジコジをくれたのかずっと謎であったが
オシャレバイブルみたいな本には髪の毛のお手入れの仕方、お風呂で体を洗う時どのように洗えばいいか、いい匂いになるには、オシャレな洋服の着こなし
だとかが書いてあったと思う。

なんの気なしにその本を読んで自分を小綺麗にするようにしていた。
はっきり覚えているのは髪の毛のブラッシングは50回、体を洗う時は円を描くようにくるくるしながら洗うというページだ。

月日は経って、中学3年の夏におばあちゃん家ではなくその近くの死ぬほどボロい借家の一軒家に住むようになった。
弟は1人から2人になっていてADHDで片付けと掃除が全くできない私に四畳半の納戸のような部屋が割り当てられた。弟たちは私よりかは掃除ができるので六畳ほどの部屋のはずだ。

中学時代、オタクになったと同時に太った上勉強もさっぱりだったので恥ずかしくて不登校気味になった。あまりにも嫌だった時期なので記憶が不思議と曖昧なのであるが中学3年のときに高校へ進学するのが普通ということに気付き学校へ行くようになり勉強を頑張った。まだ父が無職だったり少し働いたりといった具合であったため塾などには通えず、しかしながら父も母も勉強が出来ない人であったので自力でなんとかしたつもりが公立高校受験の直前に行われた後期テストで私はほぼ全て埋めた数学のテストで4点を叩き出したのである。
怖くてテストを返してくれている先生の顔が良く見れなかったけどすごく悲しそうなをしていたきがする。
思えば小学校高学年あたりから算数が苦手だったので独学で数学の勉強は無理があった。

でも、隣の駅からバスで30分のところにある偏差値が異常に低い公立高校に受かったのであーーーよかった、と胸を撫でおろした。私立の高校は不登校だったので出席日数が足りないと先生に言われたのと家にお金がなさすぎて受験費用の2万円を出すことができないと言われていたので公立に受からなかったらマグロ漁船に乗ってくれと父に言われていたのである。
当時は漁師さんかーーくらいにしか思ってなかったけど最近過酷すぎて死ぬかもしれない場所と知り、父はどのような意図で私にそう言ったのだろうかと考えた。

公立高校に受かっていた時に既に痩せていて誰も私をデブだと言わなくなり、元々オシャレや化粧が好きだったし当時は益若つばさやくみっきーが大流行りしていたので私もポップティーンの読者モデルになりたくて更に痩せれるようにダイエットを頑張った。
貧乏だったからお小遣いもこれと言ってなかったしバイトもしたくなかったので自然と食べなくなったし授業中はずっと流行っていたコロコロで至る所をコロコロしていた。

そんな甲斐あって52キロだった身体を41キロまで減らせることができた。
私の身長は153センチ、シンデレラ体重よりも軽い。
でもモデルさんたちは誌面では36キロっ書いてあるのがザラだったので私はまだまだなのかも、と当時悩んでいた。

おばあちゃん家に行ったある時、体重41キロの私におばあちゃんは
ミタちゃんか可愛いのに足が太いね。太ももが太いよ。
と言い放ってきたのです。
昔はそんな言葉はなかったけど私は今で言う骨格ストレートなのでどれだけ痩せても華奢に思われないのですが当時の私に深く突き刺さりました。

おばあちゃんに限ってそんなことはないと何度も思いましたがおばあちゃんはルッキズムの塊だったのです。。
私にオシャレバイブルブックをくれたのも顔面至上主義だったからなんだと気付きました。

特に太ってる人に容赦がない人でした。
弟がふくよかなのですが見るたびに太ってる……と言うのです。

ルッキズム加減は年々加速している気がして、
私が先日遊びに行ったらやっぱり言われたのです。
ミタちゃんは顔は可愛いのにやっぱり足が太いね、と。
顔が可愛いからまだ許されているところがあるのかもしれません。
これで私の顔が可愛くなかったらどうなっていたのでしょう。
思えば幼い頃私が美少女だったから色々なところに連れて行ってくれたのかもしれません。
最近またダイエットをして痩せたので今日あたりおばあちゃん家へ行ってみようかななんて思います。

でもおばあちゃんのおかげで私の可愛さが保たれている節もあるかもしれません。足はどう頑張っても太いけど。
足が太い。この言葉は死ぬまで私の心に突き刺さる棘であること違いありません。

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