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「菊水の滝とどろぼう」 物語をさがして vol.02

私が小さかった頃、寝る前に父がよくお話をしてくれました。

「こんな素敵なお話がありました」とご紹介したいところですが、あいにく、ほとんど内容を思い出せません。登場人物も、もしかしたら「にこちゃん」「こまったちゃん」(※byロンパールーム・・・昭和の子ですから)がいた可能性は大ですがほかのメンバーについては思い出すことができません。

多くは即興の作り話だったと思われますが、覚えているのは、父が大きな目を見開いて、「そして・・・・」と展開をもったいぶらせたうえに「わあああ」「のっぺらぼうでしたあああ」とかなんとか、大きな声で驚かされるのが面白かったという点くらいです。

ただ、一つだけ覚えているエピソードがあります。「小林(同級生)と遊んでいた時に興源寺でかっぱを見た話」です・・・小林と一緒にかっぱを見たんだそうです。そんな馬鹿な!

興源寺(徳島市下助任町にあるお寺、その頃は徳島に住んでいました)は徳島藩主蜂須賀家のお墓のある由緒ある寺ですが、河童がいるという噂は聞いたことがありません。でも、確かに寺院の中に川が流れている・・・もしかして??と一瞬でも思ってしまう自分がいるのが可笑しくてなりません。でたらめな話であっても「小林さん」「興源寺」など、実在の人や場所が絡むと、ちょっとリアリティが生まれてくるのだから不思議なものです。

昔話も、実際にある場所にちなんだものだとちょっと身近に切実に感じられますよね。そういうわけで、今日はまた、近場のスポットにちなんだ昔話のご紹介をしたいと思います。


菊水の滝とどろぼう


菊水の滝とどろぼう
出典 『岩崎誌』 岩崎誌編纂委員会 

1985年に刊行された岩崎誌という地誌があります。この本の中の第6章に「民話」として、10の話が、短く掲載されています。先回ご紹介した「きゅうてんときつね」(大応寺)もあります。この中から、ひとつ、今回は「菊水の滝」(愛知県日進市竹の山)にまつわる民話について書いてみたいと思います。

それでは、「菊水の滝とどろぼう」のあらすじを4コマまんがでご説明します。

いかがでしたか?
夜、滝でどろぼうが刃物を研ぐ光景・・・ちょっと不気味ですよね。


菊水の滝について


そう、なんと日進市には、「菊水の滝」という滝があります。車通りの多い県道57号沿いをほんの少し入った場所です。先にご紹介した大応寺のすぐ近くになります。

そばには飲食店や大型店舗も立ち並んでいる、そんなところに滝が?と意外に思いませんか。

菊水の滝は、わが子が通った小学校では、市内の史跡、施設を探検する際に校外学習で訪れるポイントになっていました。日進市の健康づくり事業のウォーキングコースでも「竹の山小学校コース」としてコースに入っていますが、もしかしたら、ご近所に住まれている方のほかにはあまり知られていないのではないでしょうか。大通りからは滝の気配などまったく感じられないからです。

かくいう私も、2014年に「にっしん市民環境ネット」(通称にしかね)のイラストマップ(にっしんお宝マップ)の仕事をしたときに、にしかねメンバーで街歩きの達人の方たちに連れて行ってもらって初めて知りました。その時点で日進に住んで20年以上経っていたので「いつも何気なく通っている道の近くにこんな滝が・・・!」と驚いたのを覚えています。

菊水の滝の横には、菊水公園が整備され、新しい住宅街が立ち並んでいます。しかし滝に続く階段を下りてみると、そこだけ別世界のようにひっそりと滝が現れ、不思議な感覚に包まれます。

水量は少ないですが滝らしい風格があります。
滝の岩肌がゴツゴツとしています。

あれがどろぼうが刃物を研いだとされる石でしょうか。

立ち入り禁止で近寄れませんので、残念ながら実際に刃物を研ぐパフォーマンスは控えておきます。

少し離れたところに小さいもう一つの滝もあります。

先の滝に比べると小さいですが、水量は多いです。県道の反対側の「弁天池」が水源です。

『日進町史』にも記載がありますが、この菊水の滝、大きな滝の別名を「男滝(おだき)」小さい滝を「女滝(めだき)」とも呼ぶそうです。
女滝の水源は弁天池ですが、男滝のほうは三ツ池であるとのこと。

さらに『日進市史』の地質調査によると女滝は堆積岩「頁岩」なのに対し男滝は「一工程焼き入れの入った」・・・つまり熱変性の加わった「ホルンフェルス」という岩石なのだということです。

ですからきっと昔話のどろぼうは、崩れる可能性のある女滝のほうではなく、固い岩の男滝の方で刃物を研いだのでしょう。


【尾張名所図会で見る滝】


実はこの菊水の滝、天保~明治初期にかけて刊行された『尾張名所図会』(おわりめいしょずえ)にも「岩崎瀧」として、取り上げられています。

『尾張名所図会』は、古い地誌で、尾張の各郡を全編・後編に分けた全13巻からなるものです。その土地の名所を取り上げ紹介し、美しい挿絵の入ったページもあります。

その中で取り上げられた「岩崎瀧」がこちらです。

前編巻5 愛知郡「岩崎瀧」(国立国会図書館デジタルコレクションより)

なんとすばらしい、立派な滝!

図会の本文にはこうあります。

「竹の山の西南、六坊山のふもとにあり。高さ六丈余。夏日霖雨の節ハ飛流十倍して実に人の耳目を驚かす」  ※霖雨…長く降る雨

高い滝を仰ぐ人物は筆者と画家なのでしょうか。左にも小さく滝が見られます。
本文の説明には「高さ6丈余」とあります。すると、18メートル以上ということになりますが、現在の滝はもう少し低そうです。むき出しの岩肌なので長い歳月の間に崩れたり整えたりと、変化があったかもしれません。
夏や長雨の時には飛流が増して驚かされるとの記述もありますが、それにしてもこの滝の様子はちょっとばかりオーバーな表現のような気もしてしまいます。

でもそれは、現在の滝がにぎやかな街にひっそりかき消されそうになっているからそう感じるだけなのであって、雑木林や池にとりかこまれ、田畑とともに営む暮らしの中で、貴重な水場は輝いて見えたということなのかもしれません。

あるいは、名所の紹介なのだから、すばらしさを伝えなくてはならない。写真なら加工を入れるのと同じように、画にも自然と力が入るということも考えられます。

そしてこういった案内をもとに、「名古屋から近場の滝があるのか、行ってみようじゃないか」というので訪れる人がいたのかもしれませんね。(想像です)

名所図会に載っている名所は、とても数が多く、このあたりだけでも「岩崎城」や「宝泉寺」(ほうろくいどのお話の寺)「妙仙寺」「白山社」などたくさん載っています。

しかし挿画は全部のページにあるわけではありませんから、この滝がこんなにも大きく印象的に取り上げられているのがとてもうれしいです。もしも作画の小田切春江(しゅんこう)さんにインタビューできたとしたらどうお答えになるでしょう。

ニシハマ:岩崎瀧の画がすばらしいですね。このあたりの名所でここを挿絵に選んだのはなぜですか。

小田切:うーむ。あの時分は暑くてねえ。涼しい滝で休めてありがたかったですよ。それにね、なんといっても滝は画になるし、盛りやすいからね、ちょっと描いてるうちに盛り上がっちゃったところもあるかもしれんね、ハハハハハ!

なんておっしゃるかもしれません。(すべて想像です)


先にも述べた通り、『尾張名所図会』は、愛知県の尾張地方の各所の古(いにしえ)の名所をくまなくガイドしてあります。

解説は昔の仮名遣いなので読みづらいですが、慣れ親しんだ地名はすぐにピンときますし、何より画がきれいです。緻密で繊細な風景画が多いですが、大柄で胸を打つモチーフが出てきてどっきりしたりもします。大蛇を退治する場面(名古屋市瑞穂区堀田長の牛巻淵)や、名古屋城下を象が歩いている様子などはとてもユニークです。また、桶狭間古戦場のページでは合戦の様子が斬新な構図で描かれていてあっと驚くことばかりです。

楽しくて何時間でも眺めていたいのですけれど、私にも描かないといけない絵が待っていますのでほどほどにいたしまして、今回はこれにて失礼いたします。さあ、小田切春江に負けずいい画を描いてまいります。


参考『尾張名所図会』岡田 啓 国会図書館デジタルコレクション
『日進市史』(自然編)日進市史編集委員会
『日進町誌』日進町誌編纂委員会
『日進町誌』(資料編)日進町誌編纂委員会
『岩崎誌』岩崎誌編纂委員会