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自分の力で農作物を栽培できることの強み。

近年の急激な値上げに続く値上げで、わたしはほとほと疲れきっている。特に野菜をはじめとする食料品。スーパーでこれ食べたいなと思い商品を手にしても、パッと値段を見ると、驚きのあまり、まるで漫画のように、一瞬にして目ん玉がぎゅーんっと飛び出しそうになる。

心の中で「買えないよっ!」とつぶやき、そーっと棚に戻すことが昔に比べてぐんと増えた。スーパーから出てくるときの自動扉に映る自分は、ムンクの叫びのような顔になっている。笑顔で後にしたいなら、頑張って働けよって話なんだろうけれど。

食料品の価格高騰と共に、近年は食糧危機に備えよ的な警告が叫ばれ、昆虫食が話題になったこともあった。ふと思い出したのは、90年代くらいまでテレビで放送されていた、昆虫やゲテモノをはじめとする世界の珍食を紹介する番組。

このままなにも対処せずにいたら、あと10年だったか、そう遠くない未来に食糧危機は現実になるとの報道を見かけ、過去にテレビで見ていた昆虫を食べなきゃいけないのかあぁぁと両手で頭を抱えながら、あわあわしている。気休めでもいいから、友人には「そんなことあるかいな」と笑って言ってほしかったのですが、「あり得るな」と非常に深刻な表情で答えられ、さらにがくんと落ち込んでいます。

さて、そんななかで目にしたのが、地方創生にも尽力していらっしゃる、お笑い芸人・フォーリンラブ、バービー氏の記事。

もしかすると、インフラが止まった場合、都会より地方のほうが強いんじゃない? ってお話。

バービー氏は北海道の田舎町出身。この記事内で出てくる「自分で作物を育てて収穫して食べる。そういう暮らしがいちばん強いんじゃないかって」という言葉には共感しかなかった。なぜならば、最近同じことを考えていたから。

そして、インフラが止まろうが止まらなかろうが、フリーランスという危うさ満点の立場を選んだわたしが、これからも待ち受けているであろう物価高騰に備えるには、自給自足が最強におススメなんじゃないかとも思えてきたのだ。

とは言え、田舎出身だからこそ、そもそも米作りや野菜作りなんぞ、まったくといってよいほど興味がなかった。特に米を作る大変さを間近で見てきたからこそ、自分には絶対に無理だと思っていた。子どものころ、田植えやら稲刈りやらお手伝いの時期が近づいてくると、都会に住むいとこが心底うらやましくて仕方なかった。昭和や平成前半などに比べれば機械が発達し、少しはラクになったのかもしれないけれど、それでも好きじゃないとできない仕事だろう。

米はともかく、意識がめちゃくちゃ向くようになったのが家庭菜園。けれど、親にそんな話をしたところ「できるわけがない」と一蹴された。たしかに、野菜の育て方さえまるっきりわかっていないのに、急になにを言い出すのやらである。長年にわたり畑とかかわっている親でさえ、その年の天候にでき栄えや収穫量を左右されているくらいなのだ。

そういえば、もう何年も自分の手で野菜を採っていないことに気づいた。うちの畑にレタスができていると聞いたので、自分で採ってみることにしたのだが、さてはて収穫の仕方さえ、ちんぷんかんぷん。

聞けば簡単な話で、根もとをハサミでさくっと切ればよいだけなのだそう。目の前で実践してもらい、生まれて初めてレタスを収穫。晴れわたる青空の下に、ぱちんという音が軽く響くなか、手にしたレタスはとてもみずみずしくて愛おしかった。自分で栽培したわけでもないのに、市販の野菜に貼られている「わたしが作りました」シールの生産者さまのように、人がよさそうな笑顔でキメてみたくなる。

そして、じわじわこみ上げてくる喜び。この感情、なんだか以前も味わったことがあるなと思ったら、そう、小学生のころに学校で作ったさつまいもを収穫したときと同じ感じでした。あぁ、やっぱり野菜を作ってみたいな。

その日の夜、テレビをつけると俳優の水川あさみ氏が出ていた。「畑づくりにあこがれる」的なことを話す彼女に対し、ダウンタウンの松本氏は「俳優さんて、最終的にそこ目指す人多いよね」と。たしかに! 工藤夕貴とか黒谷友香とか。なんか俳優さんが畑やってるって言うと、おしゃれに聞こえるし、ますます魅力的に感じられるマジック。

趣旨がそれてきた感が否めないけれど、やっぱりやっぱり自らの手で野菜を作ってみたいな、と思うのでした。

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