日記#77

被災地の出身だと話すと、「震災、大丈夫でしたか?」とよく聞かれます。

「家の中がぐちゃぐちゃになってしまって、家族でビニールハウスに避難して一夜を明かしました」
「親の職場と車が水没しました」  

よく話すのはこの2つ。
あとは「家族全員無事で、自分の家は地震で半壊になっただけで、まだマシな方でした」と答えます。

関東で働いていた時や、他の地域から地元に来た方によく聞かれる「震災、大丈夫でした?」という質問。11年経った今も苦手です。

苦手になった理由は、
「うちは被害が少なかったので、なんとか」と話せば、「よかったですね」と言いつつ物足りなそうな顔をされ、詳細に経験を話せば「でも家は無事だったんですよね?」なんて聞き返された経験からです。


家族全員が無事で、家が流されなかったからといって、何も思わなかったわけではないです。

発生時、当時15歳だった私は学校が早く終わり自宅に1人でした。

地震後、最初に祖母が友人の家からタクシーで帰宅しました。私もお世話になったことのあるそのお宅は、1階が浸水したそうです。

父は当時沿岸部で働いていました。避難所に向かう同僚と別れ、家族のために自宅に戻り、弟を学校まで迎えに行きました。父の職場は、津波で流されました。

母も沿岸部で働いていました。道路が渋滞しているのを見て、自宅まで約2時間かかる道を歩いて帰って来ました。母の車は水没しました。

家族が合流するまで、何度悪い想像をしたことか。
車の音が聞こえた時にどれだけほっとしたか。 

当時の自分の色々な思いまで、「でも皆無事だったんですよね」の一言で、全てなかったことにされているような気がしてしまうのです。

自分の話すことに何かのドラマ性を求められているような気がして、そして、そのような相手の期待通り、ドラマ性を持たせて話すことに嫌悪感を覚えるようになり、いつしか「震災、大丈夫でしたか?」という質問が苦手になりました。

そう思いながら、大学生の時に防災士の資格を取得しました。

それから、「震災、大丈夫でした?」と聞いてきた人に伝えるようにしていることがあります。
「防災意識してますか」と問いかけることです。

「家族も自宅も無事だったからよかったですが、さすがに色々備えるようになりましたね。
あなたはどうですか?」と話の終わりに付け足しています。

被災地の出身者と話した時に、話題の1つとして取り上げられるくらいに、2011年3月11日のことを覚えてくれている、知ろうとしている、その気持ちだけで充分です。

あとは、これから先起こりうる災害のことについて、どんな備えをしていくか、話していきたいです。

そんな気持ちを込めて。 

あなたはどんな防災をしていますか?


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