趣味のものづくりチームでうっかり鬱になりかけた話

表題の通りです。
自分の感情の吐き出し8割、あとで「当時はこういうことを考えていたのか」と読み返す用に1割、誰かの暇つぶしになればいいという雑な感情が1割です。

簡単に言えば、ものづくりをするために社会人有志チームを作ったものの、あることがきっかけでメンタルとフィジカルをやられかけました。
自分は何を以ってメンタルが壊れていくのか、自分は何を大事にするのかといったことを、これまでの人生でかなり考えさせられた濃密な期間でした。
だから仮に誰かを楽しくない気持ちにさせたとしても、あえて残しておこうと思います。

何があったのか

チーム内に、能力と協調性に欠けているメンバー(以下、A)がいました。
能力に欠けているというのは、作業を頼むとミスを頻発する・指摘しても同じミスを繰り返すといったところから判断できました。

作業をこなすことで学んでもらえればいいという考えもあると思いますが、指摘しても素直に応じない・口答えする・質問した内容には応じず、別の作業に着手する・攻撃的な発言や振る舞いをするといった行動が目立ち、学んでもらう姿勢からは程遠かったということ、またチームの性質上、教育の場ではないという事情もありました。(つまり教えることは、Aからの反感を買う可能性が高かったということです。)

ただ、自分が最初に誘ったメンバーだったので「作業をする上で何か困難さを感じているのか?」、「まずは体調管理をしてから作業に着手してはどうか」、「求められているクオリティに達していない。このままだと担当から外れてもらった方がいいのではと考えている」といったヒアリングや助言、具体的なフィードバックなどを随時行い、なるべくAを作業から外さないよう、進めていこうと思い、行動していました。

結局起きたこと

しかし自分の中でAに対して「どうしてこんな振る舞いをするんだろう」という悶々とした気持ちが続きました。これが解消できませんでした。
そのため次第に、自分もパフォーマンスを低下させていきました。

一度悶々とした気持ちが発生すると、Aが本当に改心して行動を改めるか、Aがチームから外れるぐらいしか晴れることは基本的になく、しかしそんなことは起きませんでした。といいますか、後者に関しては「いくら自分主導のチームとはいえそういう事情で人を外すのはなんだかなー」という気持ちもあって、外すことにかなり抵抗感がありました。
そのため自分でやり過ごすしかなかったのです。けれど、自分はそういう気持ちの切り替えが結構下手でした。
1日2万歩ほど歩いてみたり、情報を必要以上に入手して感情を乱さないようSNSをやめてみたりとしたものの、作業はあるしAは普通に(というより横暴に見えていた)振る舞っていて、日々しんどくなっていました。
例えばある時期は、まずAの作業を確認するものの「どうせまたミスしてるんだろう」という疑心暗鬼が常に走るし、それに気持ちが取られて画面を見つめるだけでボーッとして、気づいたら寝る時間になるなんてことも、日常茶飯事でした。
正直これは「メンタルやられてるなあ」とは思いました。眠れていないのでフィジカルも言わずもがなです。

「ミスを頻発して、注意しても同じことを繰り返すメンバーがいる」
「指摘する側も時間や負担がかかるということを繰り返し伝えても、理解してもらえていないのか、結局ミスや手戻りが多い」
「指摘事項が伝わらない。他のメンバーを仲介して初めて納得してもらえる」
「丁寧に説明しても、口答えされたり被害者ぶられてしまい、何も改善しない」
「説明させてみても要領を得ない上に、言葉の定義を間違ったまま説明するので、結局やりとりに時間がかかる」
「他メンバーの評価も合わせて、このままでは外すことも真剣に考えていると伝えると、『ものづくりは好きだからやらせてください』と懇願される。やらせてみるが治らない」

「こういう人がいるのだが、どうすればいい?」

そんなことを繰り返し周囲にぼやいていました。周りからは、

「そういうミスを頻発するメンバーは、速攻外すべき」
「ミスをしており、それが悪いという意識がないのは、もはやその人の育ってきた環境の問題である。どうしようもない」

といった答えをもらいました。病まないためには正しいと思います。

ちょっと話が逸れるんですけど、自分が応援していたあるプロ競技は、観客に対してひどい振る舞いや発言をする関係者が多く、自分は「なぜこの人たちはこんなバカなことをするんだろう」としばしば思っていました。
それについて周りに話すと、「仕方ないんじゃない? だってその競技者は中卒が多いんでしょ? 学もなく、社会性も備わってないからそんなことができるんだ。そういう競技にはその程度の人間しか集まらないものだ」と言われがちで、「いや、中卒でも立派な人はいると思う。そのような言い方は差別的だ」と最初のうちは思いました。
しかし次第に『そう考えた方が納得できる』ということに、嫌でも気づくようになってきました。

「どうしてこんなことを?」と考え始めると、結局答えを自分の中で持てていない状態が続くので、病むんですね。何かしら偏見にまみれていたとしても、自分を守るためには答えを持った方がよかったということは学びでした。

じゃあ何故自分がそのような考え方(「なぜこのようなことをするんだ」と問い続ける姿勢)をするのかということを突き詰めると、結局「理解したい」、「なんとか改善してやりたい」、「なるべくみんなで楽しみながら取り組みたい」という欲求が自分の中にあるのだと思います。(というか極論の欲求は「こういうことをされると自分の作業に集中して取り組めなくなるから、やめてもらいたい」、「自分が熱中したい」だとは思いますが。)
傲慢と言われたら傲慢ですけど、今回の件で言えばAから作業を取り上げたときのAのしんどい心情も想像できたので、なるべくなら作業をやりきってほしいという考えもあったと思っています。

加えて、チーム立ち上げ初期にAから「今回作成するにあたり、有料ソフトウェアで仕上げた方が綺麗になると思う」という提案を受けていました。
そのソフトについて自分は知見がなく、またかかる費用も負担できないため(それにかけるぐらいなら違うところに使いたいと思った)、一度拒否しました。
しかしAは「自分が個人で契約します。そのソフトを使う経験も積めますし、費用は自分が払います。自分はそのソフトを使ったことがあるので大丈夫です」と熱弁しました。その熱意に自分が押される形で、じゃあそうしましょうかという流れになったため、Aにはすでに金銭的負担が生じていました。
そういった事情もあり、「今更取り上げるのも、ちょっとかわいそうだ」と思っていました。

さらに、同情的になっていたところも否めません。
自分も過去にやらかした経験は相当あり、「おそらくAは仕事やプライベートでいっぱいいっぱいで、余裕がないのかもしれない」、「自分もああいう幼い振る舞いをしていたときがあった。自分は、見放されるよりかは注意されて助かった。だから辛抱強くサポートするのが自分の役割だ」と、自分を諫めていました。

ただ今回のことから、「どんなに本人が望んでも、能力がないならシステマチックにとっとと外すべき」、「最初に基準を設けて、それに達成していなかったら、いくら費用が発生しても外すべき」、「性格はもう治らない」と思いました。

結局Aはチームから外すことにしたんですが、それも終盤というか、企画が終わったあとで外すことになりました。
どうしてそのような決断に至ったのか。そのときのことについても、書いておきたいと思います。

何を重視して考えて決断したのか

今回のものづくりについては、最終的に外部に発注して作成する必要がありました。
当初Aが発注することになっていましたが、それまでの工程でAはミスを多発していたため、「初めて行う取り組みだし、ミスする可能性は残念ながら高いだろう」と自分が考えました。
そこで、「責任を分担するために、オンライン配信機能を使い、操作はAがするが、みんなでAの画面を確認しながら発注作業を進めよう」と提案しました。Aもみんなも承諾しました。発注が一番費用がかかるので、絶対に失敗したくないと思っていました。(ちなみに費用は全額、発案者である自分負担になっていた)

案の定、という言い方はよくないのだけど、Aはいくつか不慣れな様子を見せつつ発注作業を進めました。主観ですが、そのときのAの態度もあまりよくはないものでした。
そこで自分が厳しめに「君はミスを頻発し続けて周りに迷惑をかけている自覚を持った方がいい、こういうときはみんなに謝るものだ」と伝えたところ、Aから「でも人間だからミスをするのは当然ですよ。ミスを指摘してくれてありがとうとは思いますけど」と返されました。

この言葉には愕然ときてしまい、「君は、そういう人間なのか」と言葉が出なくなりました。そのあとAはすぐにオンライン配信から退出しました。

先述に、自分は同情的だったとは書きましたが、「さすがに幼かった自分でも、そんなことは言わなかった」と切り替えることができたきっかけの一言だったと思います。

そのあとに「なんなんだろうAは」と自分がぼやいたところ、配信に残っていたメンバーが気を遣って色々と喋ってくれたり、「私も本当は楽しくやりたかったけどねー」と言われたりしてしまいました。
それにより「自分がAをこれまでメンバーとして許容した結果、他に誘ったメンバーを不快にさせた上に、自分に気を遣わせた」と反省する次第となりました。

それから、『楽しくやる』ということは、誰か一人を「あの人はこういう作業をしてくれたから」と偏重しつつ誰かしらに我慢してもらいながら進めるのではなく、全員で納得して楽しくなる方法を模索する必要があったと思いました。
それに誰かをかばうと、そこについて不満を感じるメンバーは必ず生まれるものだということを理解すべきでした。今回の件で言えば「どうしてAばかりサポートするんだ」、「Aは何をしても許されるのか」といった感情を持つ人がいないはずがなかったということです。それに、自分のメンタルがAに引きずられて他人にそれをサポートさせてしまった以上、最初にAをメンバーから外さないといけなかったと思います。自分も能力不足です。


ここから次の*まで完全に吐き出し

ところでこのものづくりチームの発足時には、「報酬は出せない。代わりに電子データができあがるので、それをお礼としたい」ということを、あらかじめメンバーに伝えていました。
しかし発注して物ができたあとに、自分の中に「手伝ってくれたお礼として、希望者には物を渡したい」という気持ちが生まれました。

ただそれなりの費用がかかったこともあり、「強制ではないがカンパをもらえたら助かる」ということと、打ち上げのときに直接渡したいこと、打ち上げに来られないメンバーには郵送するということを伝えました。

で、Aからも打ち上げに参加する・物を希望するという反応がありました。
その希望について自分は正直「どうしたものかなあ……」と、考えこみました。
当時、自分はAに対して「あれだけミスして迷惑かけたくせに」という腹立たしさと、「でもAも作業にはだいぶ貢献したメンバーだ」という感謝の気持ちの、複雑な感情があったからです。

他の懸念点としては、Aの部屋がいわゆる”汚部屋”であることはメンバーに知れ渡っており(余談ですが、そのため発注した物が、Aの家でなく自分の家に来るようにしたという経緯がある)、他の参加者から「Aも来るんですか?」と心配されていたりと、いろいろなノイズ思考が自分の中に発生していました。

そうして数日間悶々としていたところ、Aから突然「打ち上げには他の用があって行けない。Bにカンパを預けるので、受け取って欲しい。もし渡していただけるならBに物を預けて欲しい」というDMが来ました。

Bは打ち上げのために遠方から来る人です。
打ち上げの時間前に、AはBと会ってカンパを渡せるようだ。しかしAは打ち上げの時間だけ来られず、そのあとBから物を受け取ることができるらしい。
相当けったいだなあと当時は思いました。
あと「物を渡していただけるなら〜」というくだりについて、自分に判断基準が委ねられて感情労働させられるのも、釈然としませんでした。
Bを介入することでこちらが渡さざるを得ない雰囲気を作られている上に、「前回失礼なことをしましたけど、どうしても物は欲しいです。よろしくお願いします」という具合に、少しは下手に出る気は全くないのかなとか、いやいやそういうことを考えるのはさすがに行き過ぎだとか、またもや複雑な気持ちにさせられていました。
とりあえず「打ち上げに出ないことを承知しました」とだけ送りました。

しかしAから「カンパは多めに渡すので役立てて欲しい」と続けて連絡がきて、「あー、Aももしかしてやらかした認識はあるのか?」と思い至りました。

ここも散々悩みました。別に悩みたくなかったんだけど。
カンパを受け取っちゃうと物は渡さないといけない。それは当然だ。手元に在庫を抱えるぐらい(前提として、営利目的で捌けるような物ではない)なら、Aからカンパを受け取って物を渡した方がいいといえばいい。それともやっぱり自分の感情を優先してカンパを受け取らず、物も渡さない方向にするかという具合に、かなり悩みました。
なんでこんなことを考えさせられないといけないのかなー(まあ自分が『考える』ことを選択しているとはいえ)、なんかずっと胃と頭が痛かったです。

結局、自分も行動を委ねられたのだから、自分も一度Aに委ねるのがよいと考えました。
それで打ち上げ前日に、Aには連絡しました。
連絡が遅れて申し訳ないことから始めて、「以前の発注作業での君の発言や振る舞いは、参加者全員を不愉快にさせた。物が欲しいなら、参加者全員に謝って許してもらうのが、チームの協調のために必要だと思う。それが終わったら、カンパを受け取るかどうか、物を渡すかどうか改めて検討させて欲しい」と伝えました。
Aにも少しは考えて動いてもらった方が、今後のお互いのためになるだろうという気持ちからきたものでした。

しかし続けてAから「具体的に謝りたいので、どの行動が不愉快にさせたか教えてくれないか」と連絡が来ました。
この連絡に正直「自分の行動にも自覚的じゃないのか?」と相当腹が立つ思いでした。

それを堪えて、「それを尋ねるということは改善をする気持ちがあるのだとは思うけど、教示要求をする行為も相手を不快にさせることを理解してほしい。自分のどの行動が人を不快にさせたのか、自身で振り返ってほしい」といったことを伝えました。
それに対して「わかりました。考える時間をもらうので返信が遅れます」ときて、これでなんとかなるかなーなってほしいなーとか思っていました。

この時点でもうすでに自分の中ではAの振る舞いについて許す気にもなれていませんでしたが、Aが他メンバーにきちんと謝罪をして、他メンバーから「Aもここまで言っているし、今回は渡してやれば?」といったことを言われれば、それで渡そうと思いました。

で、打ち上げ当日の朝に、Aから全体チャンネルでメンションが来ました。

「先日の発注作業で皆さんを不快にさせたことについて、みさん(自分の名前)からこのような連絡があり、この場でお詫びします」
と始まり、私から送ったメッセージの引用、当時の各位に対しての行動(まあそれらも不愉快ではあるが、吐き捨てられた発言内容に比べたら些細な内容)について「こうすべきだったと思う」と細かく謝罪され、終わりに「このタイミングになったのは、みさんから昨日突然連絡が来たためです。申し訳ありません。もし見当違いの謝罪内容であればご指摘ください」と締められていました。

なんかもう「は?」しか思いませんでした。

(なぜ公開チャンネルで、みんなの前で謝罪するの? それをやられたら、謝られた側が「許さないといけない」雰囲気が出ちゃうじゃん……)

といった脱力感に苛まれたことは覚えています。あと「Aは物が欲しいだけなんだな」「他責思考なんだなー」とも思いました。
すぐに投稿を削除して、Aをチャンネルからキックして残されたメンバーへの説明もしました。「ご迷惑をおかけしてすみません」と即謝罪しました。
Aには「見当違いの謝罪だし、TPOも違う」と伝えました。

その後に自分がAからSNSでブロックされているのを確認して、「Aは本当に、自分ではどうしようもなかった」と理解しました。

もう遣る瀬無さもありません。ただただ、乾いた感情だけが残りました。
Aも色々と追い込まれていたのかも知れませんし、自分から注意を受けすぎて萎縮していたのかも知れませんが、もう理解は無理なように思いました。
お互い嫌になった。それで終わりです。



やらかしたあとの謝罪の仕方や、ミスをした後の振る舞い方について「あれはああすべきだよ」と言えるのって親兄弟だけだ、性格を治せるのは遅くても高校までと言われがちで、自分はその考え方がわりと嫌いでした。
「陰でぐちぐち言うぐらいなら、本人に直接注意した方が治る可能性も高いしお互いに平和にならない? それでダメならダメだけどさ」という考えから来ていたものだと思います。
けどAみたいな人間と今回の作業をしてみて、「注意しても逆恨みをされるだけ」、「完全に徒労だった」という気持ちが残りました。勉強になりました。

得たと思うもの

そのほか、Aと関わって、自分にはこういう能力がついたと思うものを少し考えてみます。



自分からAに指摘した内容の一つに、「Aが提出した書類の文章は何が書きたいのかわからない」、「まず自分で読み直したらどうだろう」といったものがありました。
しかしAもどこがダメなのか理解していなかったのか、まったく直さない日が続きました。
いつ直すのだろうと思いつつ、自分もどう伝えたら良いかわからず試行錯誤しました。

Aの書いた文章は例えるなら、
「私は眼鏡を買い直そうと思う。だから玄関を整理した。玄関には靴が三足あり、一つは茶色、一つは黒、もう一つは灰色だった。靴はいつもボロボロになってから買い換えた。眼鏡はかっこいいものが買えた。」
みたいな内容で、一言で言えばカオスでした。そのためどこからどう指摘したらいいか、本当に悩みました。(実際はもっと長いし、本人としては理路整然としていたようでした。)

そのときはボイスチャットをつないで、「まず『眼鏡を買い直そう』と書いてるじゃん? だからこれを読んでいる人は、次は買いたい眼鏡について調べたとか、予算はこれぐらいにしようとかそういう話がくるんだろうなと想定するんだよね。けどここで『玄関を整理した』ってくるじゃん? つながりが意味不明なんだよ。たぶん眼鏡を買いに行くために出かける支度を始めた、出かけるためには玄関から出ていく必要があるけど散らかっていて汚かったから掃除したとかそういうことなんだろうけど、『それ』を書かないとダメなんだよ」と、逐一丁寧に『Aがどう思うかとのではなく、受け手がどう感じるのか』を説明することで、納得する可能性が高くなることが知れたのはよかったと思います。

まあ正直、他の人は難なく文章を書けていたので、自分でやってほしかった感はあります。ですが今回の結末から考えると、Aには客観視する能力もおそらく欠けていて、人の助けがないともうしょうがなかったのかなとは思いました。

次に、多くの人から、まとめ役として求められる立ち振る舞いや、チームでものづくりをする際に必要な心構えなど、様々な考え方や意見を聞けたことはとてもよかったです。

特に印象に残っているのは、打ち上げのときに後輩から言ってもらえた「忘れられがちですけど実は結構大事なのって、ミスをした人に指摘する人のメンタルケアなんですよ。指摘する側・される側ってどうしても亀裂が生じがちで、そこをどう取りまとめるかが大事」と言われて、まさに今回のケースはAと自分の間に仲裁役が足りていなかったことなのかもしれないと、つくづく考えさせられました。
まあでも自分も色々なストレス解消手段を持っておきたいです。

最後に

成果物はまず一つ、然るべき機関に寄贈しました。(というより、もともとそれを目的として作成したためです)

その際に職員の方に言われたことが、「こういうものは収集しようと思ってもなかなか手に入らないものです。これは大変貴重です。よく作りましたね」といったことを言っていただけて、恥ずかしながらその場で涙が出そうになりました。
まあもしサクサクと作れていたら、その言葉にそこまで感激しなかった可能性もあったわけで、そういった面ではAのやらかしも必要な要素だったのかもしれません。(当然ながらあまり体験したくはなかったし、できればAにもその職員さんの言葉は直接受け取ってもらえたらよかったとは今でも思う。)

やっぱりものづくりはいいものだとは実感しました。次にやるときはもう少し要領よくやりたいです。

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