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インスタで結婚したことを知った時点でそれはただの友達寄りの知り合い

「インスタとかTwitterって、1対1じゃなくて、何十人何百人対1人になるから嫌いなんだよ。もちろん芸能人とかなく一般人同士のやり取りの場合ね。

なんで私がオーディエンスにならなきゃいけないわけ?っていう。

だから私、LINEしかやらないんだよね。

1対1のコミュニケーションじゃないと、大勢の人の数の分だけ割られてこっちの価値が薄れるっていうかさ。

いっぺんに報告されるみたいで嫌じゃん。会社のCCみたいな。

自分以外の誰かのためでもある言葉や情報を受け取ることに時間使わされてるのもなんか癇に障るし。

ついでにこいつにも。みたいな扱いされてるみたいで嫌なんだよね。」





SNSという謎ツール

私が始めてTwitterという青い鳥マークのやつにさわったのはたしか大学生の頃。

周りにつられて初めは楽しんでやっていたけれど、周りの友達がそれを日常生活の一部にしつつある中、いつしかなんだろうこのモヤモヤは…と思うようになっていた。

大学生の頃の自分にとってのTwitterは、今の自分がしているような情報収集ツールではなく、普段会っている友達と直に会って話さなくてもコミュニケーションを取れる、友達が自分の知らないところで何をしているのかを知れる謎ツールであった。

「謎」と思えるようになるまでは数ヶ月かかった。

そう思えるまでは確かに楽しめていた。

「もうすぐ授業〜だるいな〜。」
「バイト終わりー!」
「昨日だれだれがこうこうでまじでなんなんだった〜!笑」

みたいなそんなツイートを自分でもしつつ、友達のそのようなツイートに星マークつけたりつけられたりするのをわりと楽しんでいた気がする。

暇さえあればアプリを開いていたし、暇というかなんなら課題をやってる時になんかスマホを手に取ってしまったり、ご飯を食べながらもタイムラインをスクロールするようになっていた。

別にそんなつもりがなくても、気づけばホーム画面の青い鳥マークのボタンを押していた。

まるで虜にでもなったように。でもそこに温度はなかった。

いつしか自分の意思ではないのに、まるで自分の意思かのように、静かに、でも猛烈に見たい!気になる!という感覚を不思議に思うようになった。

そんなはずはないのに何かに操作されている感覚になったのを覚えている。

のちに、ドーパミンがなんやらかんやらでSNSは脳に依存するようにつくられていると知ってあぁまさに、と。



目に見えないままがいいのでは

ていうか。

毎日くらい接してる友達とのまた別の形で敢えて二重に繋がるのって何?

さっきまで飲み会で楽しくおしゃべりしてたじゃん、話してくれれば聞いてあげたのに、なにこのネガツイ。

あんまりしゃべったことないあの子の、だれとどこにデートに行ったとかサークルの大会で何位だったとか行きつけのネイルサロンとかなんで私は知ってしまってるんだろ?

リアルではあんなにクールぶってるあいつ、口に出しては言わないけど自分はこんなこと考えてる人間なんです、気づいてくださいって言ってるみたいで気持ち悪く思えてしまうのは私だけ?

そもそもアカウントってなんだ?アバターってなに?その人であってその人じゃない。くっついてる付属品?コバンザメ?守護霊?スタンド?

リアルでの付き合いだけではわからないことまでもが目に見えてしまうとこんなにも違和感なのか。

そんな空想を繰り広げていた頃、並行してインスタグラムも投稿する流れがきていた。

なんで同じようなものふたつもつくるの?
みんなが盛り上がっているなか、さらに疑問が堆積し私だけが疲れてきていた。



ネットであろうと社交的にはなれぬ

最近の子は知らないだろう。

ハートマークの「いいね」は、かつては星マークの「ふぁぼ」だったのだ。

結構好きだったふぁぼの星が、ハートマークになってしまったなぁなんて思っていた頃だったと思う。

大学を卒業してみんな各々の道に進んでいったが、離れても引き続きお互いの近況を共有できTwitterはさらに盛り上がっていたようだ。

新しい環境に放り出される中できっと安心感があったのだろう。

友達曰くはこのタイミングでの離脱はごく少数派だったらしい、みんなとは対照的にこの頃私はTwitterという地域の住人ではなくなった。

もちろんそれまでの疑問やモヤモヤを解消したい、離れたいというのが一番の理由だったけど、みんなが就職していく中私は大学院に進学したので、自分はTwitterで馴れ合っているやつとは違うんだみたいな変なプライドも、今思えばあったのかもしれない。

そういえばあの人見なくなったなぁって思った人もいただろうし、それすら思わなかった人もいただろう。

このことで、本当に連絡を取りたい人とだけLINEでしか繋がれない状況ができて、自ずと大勢いた友達っぽい人の中から本当の友達だけが篩にかけられたようにお互いの心の中にしっかりと残ってくれた。

そこまでして連絡しなくていい友達っぽい人とのつかず離れずだった距離はどんどん離れて互いの中から存在がフェードアウトしていったのだ。

多数いるコミュニティでの繋がりなんて脆いものだ。強く繋がっていたとも別に思っていなかったけれど。

たぶん私がTwitterを利用していたの期間は半年くらいだった。
みんなはその後も何年も何年も利用しているらしいけど。




「だから、私意味わかんないんだよね。

『私事ですが、この度誰々さんと結婚する運びになりました。』

とかさ、芸能人じゃないんだから、普通に友達に個別にLINEとかするだけでいいのにね。

LINEする仲以外の人にわざわざ私事ですがみたいな長い文章つくって報告する時間も、

LINEする仲でもない人の私事ですがみたいな長い文章読む時間も

私からしたらほんとに意味わかんなくてさ。

わざわざ私だけのために時間をかけて私だけのための言葉をつむいで近況を伝えてくれる人、伝えたいと思う人にしか興味持っていたくない。

となると自然にインスタもTwitterも私には必要ないっていうかハッキリ言って、嫌いなんだよね!」

私は本当に付き合い続けたい人とはLINEどころか飛行機に乗って遠くまで会いに行く。こんな何でもないおしゃべりを楽しむ。

スマホ画面で何十人何百人の近況をリアルタイムで流し込む無機質な時間よりも、カフェでたったひとりと何ヶ月分のつもる話を共有するあたたかい時間を私は大事にしたい。

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