大塚已愛『ネガレアリテの悪魔 贋者たちの輪舞曲』 少女と青年と贋作の、戦いと救済の物語

 同じ作者の『鬼憑き十兵衛』の日本ファンタジーノベル大賞受賞と同年、第4回角川文庫キャラクター小説大賞を受賞した本作は、19世紀末のロンドンを舞台として伝奇アクションノベル――「贋作」から生み出される魔を祓う青年と少女の戦いを描く、奇怪で風変わりで、そして美しくもどこか物悲しい冒険譚であります。


 ハンズベリー男爵家の長女でありながら一人身軽に外を歩き、画廊や美術館で絵画を鑑賞するのをこよなく愛する少女、エディス・シダル。ある日、父の使いで画廊を訪れた彼女は、そこでルーベンスの未発表作品と言われる絵画を目にすることになります。
 しかしその絵から、強い怒りと羞恥の念をを感じ取ったエディス。その彼女の言葉に反応した深紅の瞳の美青年サミュエルは、この絵は贋作だと断じて去っていくのでした。

 数日後、再び同じ画廊を訪れたエディスですが、彼女が見たものは、店内が闇に包まれ、人々は全て意識を失うという奇怪な状況――そして異空間と化した店に閉じこめられた彼女の前で、あの贋作は奇怪に変貌し、中から鋼の異形が現れたではありませんか。
 異形に襲われた彼女があわやというところに現れたのは、あの美青年サミュエル。異空間にも平然と入り込んできたサミュエルは、手にした極東の刀と人間離れした身体能力を武器に、異形を迎え撃つのですが……


 この事件をきっかけに、現世に口を開いた異界「ネガ・レアリテ」で、贋作を媒介に生まれる魔を祓うサミュエルの戦いに巻き込まれたエディス。本作はこの二人が、ネガ・レアリテを解き放たんとする妖人に挑む姿を描く、全3話の連作スタイルの物語であり――その内容は、表紙を担当するTHORES柴本の、絢爛かつ耽美な装画が何よりもふさわしいと感じます。

 そんな本作のモチーフであり、最大の特徴が、絵画――それも「贋作」であります。ある作家の作品として偽ってこの世に生み出される「贋作」――本作はその存在を、著名な作家たちの現実に存在する真作と対比させつつ、一定以上のリアリティをもって、見事に浮かび上がらせることになります。
 しかし本作は、決して贋作の真贋のみを問題とする物語ではありません。本作で描かれるのは、そのように描かれてしまった贋作の悲しみや怒り、怨念――「生まれてきたことそのものが罪である存在」の想いなのですから。

 贋作が何故描かれるのか――その理由は様々に存在します。そして贋作者の想いが、そして贋作自身の想いもまた、その贋作の数だけあります。本作はそれを、真摯な審美眼と豊かな感受性、そして何よりも優しさと心の強さを持つエディスの瞳を通じて浮かび上がらせます。
 そしてそれを認め、心に留めようとする彼女の存在こそが、贋作たちに一種の赦しを与えるのです。

 そんな彼女の力は、刀と呪法でもって贋作の魔を倒し祓うサミュエルとは、また別のものであり――そこに本来であればごく普通の少女でしかないエディスが、一種の超人たるサミュエルのパートナーとして活躍する意味がある、という構成も巧みです。


 しかし、本作はそれ以上の贋作との関係性を、二人に持たせているのであります。

 実は男爵の実の子ではなく、その姉が誰とも知らぬ男との間に生んだ娘であるエディス。彼女に注がれる家族の愛は本物であったとしても、しかしあくまでも自分は本物の家族ではない、という意識が彼女にはつきまといます。そしてそれは彼女自身が、自分を不義の子という「生まれてきたことそのものが罪である存在」と感じているからにほかなりません。
 そしてサミュエルもまた、その形は彼女とは全く異なるものの一種の贋者であり、そしてやはり「生まれてきたことそのものが罪である存在」と感じていることが、やがて描かれることになります。

 そんな二人が出会い、そしてある意味己と等しい存在である贋作の魔たちと対峙した時、エディスが贋作に与えるものが救済であるとすれば、同時にそこには彼女自身の、彼女とサミュエルへの救済もあります。そこでエディスとサミュエルは己自身を見つめ直し、さらに互いを見つめ合うのですから……
 そこに生まれるものが、本作に豊かな味わいを生み出していると感じます。


 全てを知る敵の企てに、二人がほとんど何も知らされぬまま(そしてそれは読者も同様なのですが)翻弄されるという物語展開には、少々歯がゆいものを違和感を感じないでもありません。
 しかし、本作で描かれる異形の存在と、それに対して――そして二人に対して与えられる救済の形は、何よりも魅力的に感じられることは間違いありません。是非とも続編を読みたい作品であります。


『ネガレアリテの悪魔 贋者たちの輪舞曲』(大塚已愛 角川文庫)


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