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柿崎正澄『闘獣士ベスティアリウス』 剣闘士と獣たちがローマ帝国と戦った理由

 『RAINBOW 二舎六房の七人』など、一般誌で活躍してきた柿崎正澄が、2011年より足掛け八年に渡り「週刊少年サンデー」等で連載してきた、古代ローマが舞台のバイオレンスファンタジーであります。己の自由と守るべき者のために戦う剣闘士たち、彼らとローマ帝国との戦いの行方は……

 暴君ドミティアヌス帝の下、亜人種や獣が住む土地にまで侵攻を続けていたローマ帝国。その結果国を追われた亜人種、罪人、そして身寄りを失った奴隷たちは、闘技場で生死を賭けた死闘を繰り広げていました。
 その中で一人異彩を放つ青年フィン――幼い頃に兵士だった父を喪い天涯孤独の身となった彼は、最後の翼竜族(ワイバーン)・デュランダルを師として腕を磨いていたのでした。
 そんな彼に目をつけ、勝利した者に自由を与えるという試合を組むドミティアヌス。そこで彼の前に現れたのはデュランダルだったのであります。フィンの父を殺したのは自分だと告げ、本気で襲いかかるデュランダル。はたして死闘の結末は……

 そんな第一章から始まる本作は、このフィンとデュランダルを中心としつつ、権力者の暴虐に自由と誇りを一度は奪われながらも、同じ立場の人々と、そして亜人種や獣たちと繋がり合い、立ち上がる人々の戦いを、全7巻を費やして、一種の列伝形式で描きます。
 フィンに先立つこと十二年前、ミノタウロスの「兄」と共に闘技場で戦い抜き、自由を勝ち取った剣士・ゼノ。
 人間と亜人が共存する故郷を焼き払われた上に幼なじみのエレインを奪われ、フィンの指導の下に腕を磨き、親友二人と共にローマに乗り込んだ少年・アーサー。
 ローマの正義を信じて戦いながらも裏切られ、家族のために冷酷な処刑者となりながらも、三百年前に封印された伝説の巨人と共に立ち上がる元百人隊長・ルキウスディアス。
 いずれのエピソードも、目を覆わんばかりの暴力と、それをもたらす人間の悪意が紙面に溢れており、読み通すにはそれなりの体力が必要となりますが――それを超える主人公たちの戦う意志とそれがもたらす力、それを振り絞っての傷だらけの勝利の姿は、むしろ爽快さすら感じさせます。
(冷静に考えると、同じシチュエーションが繰り返されている気もしますが――ドミティアヌス、何回命を救われているのか)

 もっともこの辺りは、いわゆる「剣闘士もの」――自由を奪われ、戦闘奴隷にされた者が自らの力で甦り、復讐を果たす物語の定番といえるかもしれません。
 しかし本作の特長の一つは、現実に存在したローマ帝国を舞台としつつ、そこにワイバーンやミノタウロス、ゴーレムといったファンタジー世界の住人たちを登場させることで、物語にも、そしてバトルにも厚みを出してみせる点でしょう。
 もちろん彼らは被侵略民族のメタファーであろうとは思うものの、あり得べからざる存在たちをそこに設定することで、滅び行く者たちの姿を、より印象的にしているとも言えるでしょう。
 そして彼らが歴史上に残らなかったその理由を説明する終盤の展開は、一種の伝奇ものとしての興趣を感じさせるのです。
(というより、伝奇ものとしていえば、ゴーレムの「正体」が明かされた時には猛烈に興奮させられましたが……)

 そしてそれ以上に本作の特長となっているのは、主人公たちの戦いが、決して復讐のため(だけ)のものではないことでしょう。
 復讐のためであれば、自分を直接的にその境遇に落とした者を討てば終わります。あるいは、それを命じさせたドミティアヌスを討てば全てが終わるかもしれません。
 しかし本作の主人公たちはそれをしようとはしません。たとえ戦いで相手を倒したとしても、それは更なる戦いの幕開けであり、そしてその先に待つのは、より数では劣る自分たちの敗北以外ないなのですから。
 それでは、彼らには最後の勝利はないのか。ただ圧倒的な力にすり潰されるのを待つだけなのか。そんな中で彼らは何故戦うのか――全ての物語が結びついた末に、デュランダルの故郷であるアルビオン(ブリタニア)で繰り広げられる最後の戦いで示されるその答えは、見事というほかありません。

 歴史の陰に埋もれながらも、決して消されることのなかった者たちの物語――それが本作であります。


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