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【自閉症児の育児】天邪鬼な次男坊〜その1〜

さとちんは療育機関から地域の保育園に年少の5月から入園した。

 
その辺りぐらいから、素直になれない、ほんとうは受け入れたいのにイヤだと言ってヘソを曲げて拗ねるといったことが多くなった。
 
 
親としたらやり難いというか、なんでそうなっちゃうかな?と理解ができなかったし、損してるよなと思いながら我が子を見ていた。
そしてさとちんのことが心配でもあった。


これは知能も関係しているのかもと思ったことがある。
たけちゃんは知的障害が重いほうなので周りのことが理解できないことがあり自分の世界の中で生きている感じ。

 
さとちんはたけちゃんより軽めなので、なんとなく理解できてしまうこともあり、同じ障がいでも、性格、持って生まれたもの、いろんなことが影響して変わってくるのかなと思っていた。  


さとちんの天邪鬼は小学生の頃がピークで年を重ねるごとに減ってはきたものの成人前まであったように感じる。

 
ずっとそれが私の悩みのタネであった。


私も人間的に成長していくにつれて分かってきたことがあった。
 
 
それは天邪鬼にさせていたのは母親の私だったということ。
それに気づいたのだ。
 
 
子どもは親の心を映し出す鏡のような存在で、私の心の表れがさとちんの天邪鬼に繋がっていたということだ。


思い返せば、さとちんがお腹にいたときからはじまる。
さとちんは3人目に授かった子で、1番上は娘、2番目はたけちゃんとなり、女の子と男の子で周りからはいいねと言われた。

そして私は3人目がお腹にできたとき女の子がいいなと言っていた。
それをお腹の中のさとちんは聞いていたのだろう。


後々に胎内記憶の講演会で、お腹のなかで赤ちゃんはちゃんはお父さんとお母さんの話を聞いているのだということを知った。


それを知ってなんて酷いことを言ってしまったのだろうか。ダメな母親でごめんねと深く反省したのだが、あの頃の未熟な私には恥ずかしながらそれが分からなかった。
 

なぜか‥‥
考えてみると実は私も母親にそう言われたからだった。
 

私の上には姉がいて母曰く、父と母は次は男の子がほしいと願っていたらしい。
でも産まれてきた子は女の子(私のこと)だったためガッカリしたと(ひどっ)
 

だから名前も姉の時は必死で考えたけど私の時はその熱もなくありふれた名前になったのだ。
と聞いて幼い私は悲しくなってすねた。
(さとちんと一緒だ)
 

なので自分の名前も長年好きになれなかった。
(今は大好きだけど♡)

 
そんな経緯があったのだが、結局私も母と同じことをさとちんに言ってしまっていたというになる。

 
さとちんが産まれるとき、陣痛がはじまってあっという間に産まれるかなと思いきや、陣痛が弱まったりしてなかなか出てこなかった。  
3人目のお産が意外にもいちばん体力を消耗して大変だった。
 

今思えば、お腹の中にいた時から私の言葉に傷つき拗ねていたのかもしれない。
だからなかなか産まれてこなかった。


そして産まれてきたさとちんが物心がついた頃また余計に拗ねさせてしまった。
 

たけちゃんが幼く多動だったのもあって、さとちんのことを後回しにしてしまうことが多かった。
そして私自身もいっぱいいっぱいだった。
 


次回につづく。

 

 

 

 

 
 

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