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自閉症長男の障害に対する捉え方

「え?僕って障害者だったの?」

以前ディズニーに行ったとき、
障害者サービスの手続きをしている時に
くうちゃんから出た言葉。

所定のチェック欄にいれるところで
「障害」って言葉でてくるから。

普段診断は気にしてない方だとは思うけど、

子どもたちに制度の活用の
説明をするのに、
ちょっととまどう自分がいた。

その時は、
「学校に行ってなくて、
 リハビリの先生に家に来てもらってるでしょ。
 
 そういう制度を使うのに
 診断が必要なんだよ」

そんな風に説明したかな。

ちょっとショックを受けたのかな?って感じもあったから、

「障害者ってどんなイメージあるの?」
って聞いてみたら、

くうちゃんは「そのへんでうんちもらしちゃう人」って言ってた。
「確かに自分でトイレいけなくて、
 そういう人もいるかもしれないけど、
 そうでない人だっているよ。
 それはだいぶ限定的な印象だね🤣」

って話をした覚えがある。



「泳げるようになりたい」
中学2年生になって
初めてそんな気持ちが出てきたくうちゃん。

最近は週に2回
兄弟別々それぞれプールに連れていっている。

1人で更衣室はまだ不安だし、
スイミングスクールって感じでもないから、

家族の着替えルームがある
地元の看護大のプールに連れていく。

ここだと、
発達特性の理解もある。

そしてここでも最初必要なのが
障害の証明ができる手帳。

プールの入口にも
「障害者スポーツ支援センター」の看板。

くうちゃんが、
「ねぇ、その手帳ってさ、一体何なの?」
って聞いてきた。

「リハビリとか、学校への付き添いとか、
 障害者のサービス制度を使うための手帳だよ。
 
 このプールにいる職員さんたちも、
 敏感な子たちとか、車いすが必要だったり、
 付き添いが必要な人たちに理解があるの。

 だからここ使わせてもらってるんだ。」


「で、くうちゃんは一応自閉症って言われる診断名がついてて。
 大人数が苦手だったり、
 大きな音とか、感覚に敏感だったり、
 あとは得意分野と苦手分野の差が激しかったり。

 そうすると、学校でみんな一緒のことやりましょうって
 環境にいるのって
 苦しくなったりするでしょ。

 私は自閉症って、
 自分の世界をしっかり持っていて、
 自分の感覚がすごくしっかりわかって、
 素直に生きれる証みたいな
 ステキな状態だと思ってて。

 今の大人、社会の許容範囲が狭くて
 対応できないから
 障害って認定をするようになってる気がするんだよね。

 昔はさ、くうちゃんが学校行かないってなった時に、

 くうちゃんの世界を学校という制度に
 狭めていくのが嫌だったから
 その制度を何とかしなよって
 制度じゃなくて、子どもをみてよって
 先生たちと戦ったことあったんだよね。

 でも今となっては、
 その診断や制度のお陰でこうやって
 プールも自由に使わせてもらえてたり、
 ディズニーでも、待ち時間列に並ばずにいられるように
 ってサービスも使えてるんだよね。

 昔はさ、普通って何よとか、
 障害って何よって戦ってたけど、

 今はとにかく使える制度があって
 ありがたいなと思ってるんだ。」


「へぇ、そうだったんだ。
 さとこちゃんも色々大変だったのね。」

「そうだね、戦ってたね。
 今は何でも良いんだけどね。
 くうちゃんって、障害者って聴くと
 今はどんなイメージあるの?」


「うん、なんかね
 車いすでも超スピードで走れる人!!」

「おお、そうそう、そんなとこもあるよね。
 そんなイメージどおり、
 くうちゃんにもそういうとこあるんだよね。」

「おぉ、そんな超人的な!?
 まぁなんやかんやで
 やろうと思えばできるしね。
 いや~、何にしても
 色々使えてありがたいね。
 
 最近やっぱり、結構幸せだね」


プール後に行ったココスでそんな話をする。


子どもたち三人それぞれ、

どの言葉にどんな印象がくっついてるか、
見事に違うし、
成長や入った情報によって
どんどん変わっていく。

何を感じて、何を捉えていくんだろう。

色んなことを話しながら

子どもたちの認識を知れるのは
こうやって話せるのは
すごく嬉しいな💕


私は小さい頃から、
自分が出来るようになるまでがんばること、
自分のことは自分で何とかすること、
自分1人で最低限はできるようになること、
にずっと必死だった。



子どもたちには
私の「自立」のイメージを変えてもらった。

学校へ行かない選択をしたとき、
診断名がついたとき、
高校進学のことがちらほら出だす今も、

子どもたちの将来の「自立」に向けて
って「自立」の言葉がでてくる。


自立って、
「自分で出来るようになること」じゃない。

自分のできることをとことん磨いて、
苦手なところは人にまかせる。

助けてもらって成り立っているのも、
「自立」なんだよな。

そう思うようになった。


今まで子どもたちと関わってて、
ついつい
全部を自分でやれるようにって思う自分も
出てきたけど、

苦手なことを苦手と言える、
できないことをできないって言える、

「僕はここなら力を出せる」って言える。

それって大事だと思った。


そしてこれも、
くうちゃんから学んだこと。

くうちゃんは
苦手を苦手と認識をあまりしていない。

たぶん他人と自分を比較をしないからだろうな。


他にもくうちゃんから学んだことは、

親でいる私は将来のことを考えて
せめて最低限これだけでもできるようにって視点で
物事を言うことが多くなりがち。


1人で東京に行って、ホテルのフロントで
住所の記入などを案内されて
訳わからなくてしばらく部屋に入れずに時間を過ごしたことがあった。


私はその時に、
「名前と住所くらいは覚えて
書けるようになった方がいいね」

って言った。

でもくうちゃんは、

「財布にメモを入れておけばいいか。
 真似しながらなら書けるし、
 書くの大変だから
 見せてなんとかなるならありがたいし。」
って言った。

今自分ができることを淡々とやる。
くうちゃんは常にそんな感じでいる。



自分自身のことに関しても、
くうちゃんの要素をいれようと思った。

今、私ができることを
とにかく心をこめて丁寧にやっていこう。

今、私にできることを
丁寧に磨いていこう。

そんなことを思う
今日この頃。

子どもたちに育てられてる部分が
本当にたくさんです。





 


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