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米津玄師「Black Sheep」から「STRAY SHEEP」へ、何処にもいけない彼がポップスの先導者となるまで、その意味

米津玄師5thアルバム「STRAY SHEEP」が発売された。前作「BOOTLEG」から約3年ぶりのアルバムになる。米津玄師を追い続けてきた私としては待望のアルバムであった。

さて「STRAY SHEEP」という表題を聞いて、彼の楽曲で同様にSheepの名前を持つ曲、アルバム第1作「diorama」に収録された「Black Sheep」を思い浮かべた方もいるのではないかと思う。この「Black Sheep」と今作の「STRAY SHEEP」、事実上の表題曲である「迷える羊」を並べてみてみると、その曲調や歌詞の雰囲気が全く違うことに驚く。同じSheep(羊)の名を冠した2つの曲の間にどんな変化があったのか。

本記事では歌詞や実際のインタビューをもとに米津玄師の「Black Sheep」から「STRAY SHEEP」への変化を、そしてその変化の中にどのような意味が込められているのかを、私なりに書いてみたい。

「Black Sheep」、1stアルバム「diorama」より

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はじめに、「diorama」は、2012年にリリースされた米津玄師名義の最初のアルバム。初期作の「YANKEE」と並んで、ハチ(本人名義前のニコニコ動画での名義)の匂いを色濃く残す作品として知られている。

この中に収録されている曲のひとつが「Black sheep」

楽しいことが待ってるさ シャラララ
(I can't breathe, breathe. Shalalalala.
I can't breathe, breathe. Shalalala lalalala.)
黒い羊一匹、二匹、三匹、四匹
(Black Sheep, Black Sheep, Black Sheep, Black Sheep.)
―「Black Sheep」

上の引用は、サビからの抜粋。この曲は不安を掻き立てるような歌詞と音が特徴的なのだが、それ以上にこの曲が特異なのが、実際に歌われているものと歌詞上の内容が違っているということ。上の引用を見て分かる通り、「楽しいことが待ってるさ」の部分では、実は「I can't breathe(息ができない)」と歌われており、「黒い羊が…」のところでは「Black Sheep」を繰り返している。歌詞の裏に自らの鬱屈とした感情をにじませているように思われる。

このタイトルにもなっている「Black Sheep(黒い羊)」の意味については、欅坂46の「黒い羊」を通して知ったという人も多いかと思う。

「黒い羊」は、もともと白い羊のなかに紛れた外れ者、変わり者といった意味を持つ言葉。「のけもの、邪魔者、鼻つまみ者、やっかみもの」というように訳される。

この米津玄師「Black Sheep」は、自らの不安「息ができない」ような閉塞感を、そして自分自身を、やっかみものである黒い羊になぞらえて歌ったものだといえる。この曲が収録された「diorama」にはこういった暗い趣向の曲が多い。またここからは自分についての、ある種諦念のような感情も見える。

「どこにもいけない 私をどうする?」
―「恋と病熱」

意味なんてない 退屈で美しいんだ 今変わらない朝の為
―「街」

遊びに行こうよ急いでいこう
君がおとなになるそれまでに
この落書きみたいな毎日が
年老いたその時も変わらずに
褪せた色に続いていけばいい
―「トイパトリオット」

消極性からくる平穏とその日常の美しさ、「diorama」の曲を概観した時に見えるのは、そういった常に後ろ向きな感情からそれそのものを、諦念をもって肯定しようとあがく姿だ。その彼の態度は、「何処にもいけない」という言葉で象徴的に表される。

そしてもうひとつ、「diorama」には繰り返し用いられるモチーフがある。それは、”街”だ。

街の真ん中で息を吸った 魚が泣いた
―「街」

灰になりそうなまどろむ街を
あなたと共に置いていくのさ
―「vivi」

善いも悪いもいよいよ無い 閑静な街を行く
―「ゴーゴー幽霊船」

米津の”街”には誰もいない。この街は、米津が作り上げた街、「diorama」の”街”だった。このアルバムは、「抄本」という楽曲で幕を閉じる。その歌詞は以下のように綴られる。
『この街はこの街は/生まれてきたままで意味もなく/愛されたい愛されたい/そこら中に散らばった夢のように/細やかな日常だけが残る』。

ジオラマを愛する日常、その現状への是認一人ジオラマの街で遊ぶ子どものように、米津が作ったジオラマの夢(「何処にもいけない」みずからの内―不安、鬱屈、閉塞―に籠もった)、それが1stアルバム「diorama」だったと言えよう。

「迷える羊」、5thアルバム「STRAY SHEEP」より

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まえがきで事前説明もなく、「迷える羊」を”事実上の表題曲”と書いたのは、「迷える羊」が「STRAY SHEEP」の訳語だからである。

米津の曲にコアなオタクは、例えば「Neon Sign(手を取り合って思い合って指切りしたのに/振り返ってしまい塩の柱)」は旧約聖書に、「amen(この留保によって、殺されていたのである)」はアウグスティヌスの『告白』に、など聖書やキリスト教をモチーフとしたイメージがたびたび用いられることをご存知だろう。この「迷える羊」もまた、キリスト教の教義から生まれた言葉である。

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上はラヴェンナのガッラ・プラキディア廟堂に所蔵されている、「善き牧者としてのキリスト」の図像。キリストはしばしば善き牧者に例えられる。このとき、私たち人は、「迷える羊」とされる。

羊は臆病な動物である、群れを作っても自分勝手にふらふらと迷いおどおどしてしまう。加えて、羊は随伴性の高い動物でもある。目の前を先導するものには、ついていく習性を持つ。「善き牧者としてのキリスト」は、この迷いながら生きる私たち「迷える羊」を、正しい道へ先導するという文脈で用いられるものである。

それでは「STRAY SHEEP」収録の「迷える羊」を見ていこう。

この曲は一見不安定ながら、「Black Sheep」に見られた不安とは性質が異なる。決定的なのは以下の部分だろう。

「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よいつの日も 愛してるよ きっと」
―「迷える羊」

愛を歌う、希望を歌う。この「迷える羊」は、迷えると冠していながら、迷いへの不安や絶望、憂鬱を歌う歌ではない。同じ弱き羊でありながら、もとの「Black Sheep」の陰鬱とした雰囲気からからこの希望を歌う「迷える羊」に変わった。これはどういうことなのだろうか。私は、この変化は米津がもう”街”にいない”街”を出たのだという表明なのだと感じている。3rdアルバム「Bremen」の発売に際して行われたインタビューに以下のような応答がある。

「ウィルオウィスプ」の歌詞には「ブレーメンの音楽隊」を想起させるような箇所があって。
──「犬も猫も鶏も引き連れ街を抜け出したんだ」という部分ですね。
それは明確に「ブレーメンの音楽隊」をイメージしながら作ったからそうなったんです。(中略)この物語は今いる場所に疲れてしまった動物たちがそこから脱走して、ブレーメンに向かう旅をするっていう話で。それが今の自分とすごくリンクする部分があるなと思って、すごく腑に落ちたんです。その瞬間にアルバムタイトルは「Bremen」にしようと思いました。
(中略)でも明確に「僕ら」という言葉を使って、誰かを引っ張っていく音楽を作っていた。そこには自分がそういう存在になるべきなのかもしれないという意思があったと思います。
(中略)自分の中から出てきた「ブレーメンの音楽隊」というキーワードによって、「アンビリーバーズ」を作っていたときにはまだあんまりよくわかっていなかった“みんなを引っ張っていきたい”という気持ちに気付かされたというか。すごく不思議な感覚でした。
https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi07

「Bremen」は、米津のアルバムの初期2作に比べると作風が異なる。これは「diorama」「YANKEE」のハチとしての音楽から離れて、ポップスに寄り添おうという意図があったからだと考えられる。自身の曲の、ポップスへの転換を図った。その新しい曲の中にいたのは、それまで理想的な”街”を、”ジオラマ”を作っていた少年ではなく街から離れて新たな場所を目指したブレーメンの音楽隊であった。そしてそれを先導したのは、米津である、自らの音楽隊を引き連れて。米津はすでに、”街”を出た

”街”を出た米津は、先導者でありながら自身もまた「迷える羊」だ。キリストのような神ではない。その迷いは、「STRAY SHEEP」発売に際してのインタビューにこう書かれている、なお「迷える羊」は今回のコロナ禍の中で作られた一曲。

自分がこれからこの国でどうやって生きていけばいいのかと考えると、いろんなものに怒ったり、失望したり、絶望したり、どうしても感情的になってしまうような感じがあったんですけれど、(中略)この世界で生きていかなきゃならないわけで。そうなったときに、自分がやれることはポップソングを作ることだという結論に行き着いた。最終的には生きていくことや生活していくことを肯定しなければならない。悲観的になるのはすごく簡単で、怒りや悲しみに身を任せてものを作ることもできるけれど、それは自分の役割ではないと感じたんです。
https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi16/

米津自身、現状に迷いながらも、ポップスを通じて人々とこの世界を肯定しようとしている旨が上記から読み取れる。それがこの楽曲「迷える羊」が、自身が「迷える羊」として迷いながら、その迷いを否定的なまま見せるのではなく、「愛を歌い、希望を歌った」所以であると考える。コロナ禍による、そして生きる上での不安それらにも答えつつ、しかし希望を世界への賛美歌を歌う、それが今の米津の答えなのだと思われる。

米津玄師は本アルバムに収録されている「lemon」で一躍人気を博した。わたしたちが見てきた”街”から出たどころではなく、日本全国のお茶の間に流れるトップスターとして現在知られている。彼が「愛を歌い、希望を歌った」のは、その現状、多くの人々に歌を届けるポップスとしての、表現者としての責任なのだろう。

クリスタルの目をした羊

コメント 2020-08-04 cvtr120516

米津玄師は、日本中に知れ渡るポップスの作り手となった。「lemon」以降その活躍はとどまるところを知らない。これによって今回のアルバムで起こった変化に気づいているだろうか。今作のアルバムは、16曲中9曲がタイアップもしくはその曲のカバーによって構成されている。

こう聞くと悪い意味のように聞こえてしまうかもしれない。が、ちょっとまってほしい。確かに初期2作でみたような、それ一つが作品として「米津の曲・アルバム」ではなくなってしまったかもしれない、そして理想の”街”や”ジオラマ”はもう見ることはないかもしれない。しかし私は、同時に米津の曲は「様々な人にとっての曲・アルバム」になったのではないかと思う。

タイアップなどで一つ一つの曲は断絶された。それらはバラバラになった。しかしそれによってアルバムは、バラバラのグラスの破片のように散らばった。その破片は、あらゆる場所に散乱し、光を乱反射して、様々な場面で人々を映す。あらゆる場面のあらゆる人々を映し、またその人々の様々な姿を映す。従来のファン、テレビで始めてみた人、流行りの曲として知った人。今まで「米津の曲」を自分のことだと思わなかったすべての人へ。

米津の曲は様々な媒体やタイアップとして、一つ一つの曲に寸断され、破片のように散らばることで、「様々な人にとって曲・アルバム」になったのではないかと思う。傷ついた人、悩んでいる人、塞ぎ込んでいる人、様々な人の解釈によって、それは様々な光を反射する。まるで見る角度によって姿を変えながら、様々な色を写すミラーボールあるいはクリスタルのように。米津玄師、「迷える羊」はクリスタルの目で、その内に、様々な人の姿を映し出す

コメント 2020-08-04 cv120516

光を受け止めて 跳ね返り輝くクリスタル
君がつけた傷も 輝きのその一つ
―「カムパネルラ」

「迷える羊」、そして「STRAY SHEEP」を見た時に私たちの前に現れるのは、”街”を出て変化を続ける米津、ポップスとして「愛や希望」を歌う責任の必要を感じ、そして様々な人にとっての歌になろうとする、そんな迷いながらも私たちを先導し照らそうとするミュージシャン・米津玄師の姿である。

おわりに

──アルバムのラストの「カナリヤ」はとても苦労したとおっしゃいましたが、この曲はどれくらいの段階でできたんでしょうか。
(中略)この曲については、変わっていくことを肯定したいという思いがすごく大きかったです。自分は音楽を作るにあたって、“変わっていかなければならない”ということを半ば強迫観念みたいに思っている節があるんですけど、それがやっぱり自分の本質的なところなんじゃないかなって。
https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi16/

羊は先導者に従う性質がある。聖書における迷える羊は、牧者キリストのもとに帰ることでもう迷うことはなくなった。が、私たちはどうだろう。絶対的に信じるものを失った、私たちは。不安、抑鬱が渦巻くこの世界には、迷える羊しかいない

一人の世界にいれば、神はいつもモニターの奥にいた。もしくは私たちの音楽の中にいた。家からでなければ、私たちの生きる世界を出なければ。子供の頃は、ジオラマで遊んでいた頃は、私たちは信じるものを失うことはなかったモニターの奥を見つめて、私たちは穏やかに安心して過ごしていた。しかし外には依然不安がうずまき、現実に神はいなかった。

かつて過ごしたジオラマを後にして、米津玄師は「迷える羊」となった。”街”の中で誤魔化されていた迷いは、増幅して選択を迫りながら、変化を強要する。人にやっかまれながら”街”の中で穏やかに過ごしていた「Black Sheep」は、現代の羊たちを先導する、また自身も「迷える羊」となった。そしてその瞳に携えたクリスタルは、キラキラと反射して、様々な人のそばに寄り添い、姿を映す。様々な解釈によって人々それぞれの心に入っていく、いま、様々な人の人生の中に彼の曲は存在している

米津の曲はきっと今後も私たちのそばにある。変わっていく彼を、少し寂しい気持ちも否めないが、肯定せずにはいられない。そして私たちも常に、その変化の契機にさらされている、私たちの中にある彼の曲とともに、自分の人生をよりよく、愛と希望で物語るための。
私たちもまた、”街”を出る。

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おわり


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