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行政が主導する中間支援組織は失敗する

0 はじめに

僕の記憶では2005年頃、NPO業界で確定的な事実として語られていた言説の一つに「行政が主導する中間支援組織は失敗する」がある。日本では1990年代頃から全国の市町村で「NPOセンター、市民活動センター(=市民活動促進分野の中間支援組織)」といった、非営利組織の活動促進、設立支援を促す専門機関の設立が相次いでいた。中間支援組織は、個別具体のNPO、市民活動団体を活性化するために、社会資源と個別の団体を繋いでネットワークを拡張するとともに、活動のスタートアップ支援、主体形成、事業開発、協働促進、組織経営力UPといった組織強化、支援をすることが期待されている(近年ではNPOの事業継承が大きなトピックスとなりつつある)。
2000年代中盤あたりが中間支援組織設立ブームの一つのピークであり、各市町村の職員らが躍起になって中間支援組織設立を進め、各種の成功失敗例が出そろった結果、冒頭のような言説が広まりつつあった。
あれから20年近くが経ち、市民参加、協働、共創と、市民・民間と行政を巡る協働領域は多面的に展開してきた。近年では、公民連携という言葉が広まりつつあるが、これも市民・民間と行政の協働領域の派生系とも言えるため、この「行政が主導する中間支援組織は失敗する」論は、現代的価値があるのかもしれない。その仮定に基づき、この論を振り返っておく。

1 縦割りによる営業領域の制約

まず単純に、中間支援組織が営業領域を広げられない問題がある。2000年当時、中間支援組織に力を注いでいたのは、市町村の市民活動セクション(市民活動推進課など)であった。そこから「市民活動センターを受託できる組織を作る」というミッションのもと、行政職員が事務局を担いつつ、中間支援組織で市民協働コーディネーターを担える人材が集められるケースが多かったように思う。
これをやってしまうと、「市民活動センター事業の受託」という安全領域(実は数年後に安全領域ではなくなるのだが)があることによって、その仕事以外の領域に仕事の幅を広げるモチベーションが、組織の構成員から剥奪されがちである。行政職員にとっては自分の部署の仕事以外に仕事が増えることは御法度であるし、民間から登用された職員にとっても、市民活動支援以外の能力開発が期待されていないからこそ、そこに情熱を燃やすことは難しい。以上により、新しい専門性の拡張や研鑽、仕事の幅を広げる努力をする動機を失い、その中間支援組織の未来は閉ざされる傾向にある。

2 前例踏襲主義とNPO領域のミスマッチ

行政組織の文化として「前例踏襲主義」がある。安全で確実で、市民からも文句が出にくい領域が、行政にとって一番得意な活動分野である。ところが、NPOが得意とする分野、専門性が発揮できる分野は、その真逆と言って良い。これは社会の仕組み、行政の仕組みとも大きな関係がある。
NPOは、社会課題の最前線、社会の変化の最前線で活動を起こし、事業を組み上げていくことを強みとしている。行政活動との関係で言えば「社会の変化によって、行政サービスが行き届かない、新しい社会ニーズ」を捉え、その課題解決を仕組み化することを試みるのがNPOの存在意義である。
このため「新しい社会課題(ニーズ)の発生および補足→NPOによる解決策の模索→(課題の対象がマスレベルであれば、企業、市場原理による課題解決の仕組みが作動)→大衆による社会課題の認知→政治家の行動指針への反映→議会による行政活動の方針転換→行政職員の業務の変更」というタイムラインで社会の仕組みは切り替わっていく。
この原理により「安全で確実で、市民からも文句が出にくい領域が、行政にとって一番得意な分野」となり、これが前例踏襲主義を強固なものにしていく(自治体職員の個人の資質としてイノベーティブな方がいるのは自分も承知しているが、組織の文化としてはこういう構造となる)
このため、行政組織の文化をNPOの経営に持ち込んでしまうと、NPOの強みが消されてしまうため、組織衰退は必至となる。逆にいうと、行政職員によって了解されているNPOの活動領域は、NPOにとってオワコン(熟しきった事業領域)に近い。NPOのオワコン領域で行政と協働をすることは経営上あって良いが、それに終始するとNPOの持続可能性が絶たれる。

3 長期的、持続的、というドグマ(教条)

(大企業の幹部を終えてNPO業界に入ってきた方も同様の問題を起こしがちであるが)行政職員の気質として「今この瞬間、とりあえず」というものを嫌う傾向がある。逆に、いきなり強固で、公平平等かつ安定的な仕組みを作り出そうとするきらいがある。この感覚は、大きな組織が、巨大なお金を動かす上では有効(必要)な思考かもしれないが、少なくとも、零細企業、マイクロ組織であるNPOがこれをやってしまうと、新しい活動が生まれ、事業が育まれる機会を潰してしまうことになる。
NPO(マイクロ組織)経営の基本としては「まずはやってみる→活動をいくつか積み上げる(沢山失敗もする)→ノウハウ化する→ルールを整備する=仕組み化する」が重要である。巨大組織は、安全性、継続性を組織内合意するコストを拠出する資金的体力、人的余力があるので、「仕組み化する」ことをいきなり始め、前提にすることが可能であるが、そうでないNPOにとっては禁じ手と言える。

4 まとめ

以上により、行政が中間支援組織を主導すると
①    専門性を(自分が所管する部署や組織の外に)拡張することを回避する文化が発生し、これにより仕事の幅を広げる機会を逸失する。
②    行政が了解している社会領域=NPOにとってのオワコンでのみ仕事をしようとして、NPOの強みである、新しい社会課題への挑戦ができず、存在意義を逸失する。
③    長期的、持続的で安全な仕事をしようとして、活動や事業を育むサイクルを逸失する。
といった問題が起こる。これが「行政が主導する中間支援組織は失敗する」論の原理だ、というのが僕の考えである。

(3の補注)
行政の活動が継続的、持続的ということもそれほど多くない。前述のように、社会の変化が激しい現代社会において、市民ニーズの変化が激しく、政策の舵取り(議会の意思決定)も変化が増えてきており、行政の活動も5年、10年で様変わりすることが多々ある。ゆえに、長期的持続的という視点の有効性が構造的に低減しつつある。一方で、我々市民、国民も「変わらない、安定的な行政」を期待しているし、それが前提で税金を託している側面もあるので、難しいところではある。

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