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葬式は誰が何のために


親戚の葬式はこれで四度目だった。
祖父が亡くなった。去年の暮れのことだった。
仕事を終え、喪服を用意し、名古屋から祖父のいる広島へ向かう新幹線で、私は怯えていた。
顔を見て祖父の死を受け入れなければならない瞬間、それよりも、葬式に参列することが怖かった。葬式は、私に後悔という呪いをかける。


祖母が亡くなったのは中学生の時だった。
冷たい祖母を見て泣き、初めて入った式場の雰囲気で悲しさが増し、知らない大人に囲まれ怯え、祖母に花を添えてこれが最後だと思うと、私の心は破裂した。
おばあちゃんごめんなさい。お盆と年末年始しか会えなかったのに、遊ぶことも話すことも十分にしてこなかった。
祖母は寂しいなんて思っていなかったかもしれない。でもその答えを知っている祖母はもういない。
葬式を終えてから私は「こうしておけば」を繰り返した。一人でゲームなんかせずに一緒に遊べばよかった。会えない時も折を見て電話をすればよかった。
繰り返し繰り返し、それは後悔となって今でも私を苦しめる。

叔父とはあまりにも早い別れだった。私は呆然とするしかなかった。
親族だけの小さな葬式をした時、叔父の家族も言っていた。こうしておけば。
やっぱり葬式とは後悔する場所なのだと思った。

こんなに辛いなら、葬式なんかなくていい。私が死んだらただ燃やして埋めてもらおう。そう考えた。

母方の祖父が亡くなった時には私は社会人だった。
仕事の関係でどうしても通夜にも告別式にも参加できず、通夜終わりに一目見ただけで別れの時間を終えてしまった。
申し訳ないと思った。でも、広島から名古屋へ、帰りの新幹線で、一人ホッとしている自分がいた。葬式の、あの苦しい後悔の時間を過ごさなくていいのだ。これからも後悔で潰されることもなく、祖父のことを懐かしく想うことができるのだ。そう思い出せる方が祖父も嬉しいでしょう?
私は逃げた。葬式からも、死というものに正面から向き合うことも、それに伴う後悔という苦しみからも逃げた。


でも今回は逃げられない。
参列できてしまうんだ。そう思った自分は最低だった。
逃げたかった私は考えないようにした。広島に着いて、祖父の痩せた顔を見ても泣かないようにした。
通夜では思考を無にして参列者にお辞儀をした。隣で父が、あの人は小学生の頃のだれだれ、この人は…と紹介してはその人と少し会話をしていた。家ではしない喋り方だった。父が少年に見えた。
寝ずの番は孫である私たち兄弟4人がすることとなり、布団4つを並べて、今やそれぞれ別の家で過ごしている兄弟で、久しぶりに話した。私は兄弟で遊んでいた小学生の頃を思い出し、多分、心が少し小学生に戻っていた。

夜が明けた告別式で、親戚にこんなに大きくなってと優しい目を向けられた。
大人になった私には、中学生の頃に見たものとは違った景色が目に写った。
参列者の焼香をあげる所作が美しく、それは祖父への想いの表れに感じた。
小さな島で行われた葬式で、久々の再会を嬉しそうにしている参列者。懐かしそうに会話している人達ばかりで、そこには少しの活気と温かい空気があった。ああそうなんだと思った。私だけではなく、皆、少年少女だった時代に戻っているんだ。
この瞬間はもうきっと葬式でしか作ることはできない。そしてこれは、祖父からの最後のプレゼントではないだろうか、と思った。
祖父の思い出を継ぐように彼のアルバムを皆で見て、思い出話に花を咲かせ、じゃあまたねと、前を向いてまたそれぞれの道を生きていく。
おじいちゃんありがとう。そう言いたくなった。


あの日私はたくさん泣いた。後悔もした。でも呪いはかからなかった。祖父を想うと何よりも感謝が勝るようになった。
葬式とは、残った者がするのではなく、故人が残った者のためにするものなのかもしれない。悲しむ人達を前向きにさせるように。

もう葬式は怖くない。私は葬式を通してより故人に感謝し、愛し続けたい。
そして、私が死んだら盛大に葬式をやろう。悲しく俯いた顔を上げてもらうために。

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