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私の好きな東京の風景 神宮外苑・千駄ヶ谷 2023 ~ 華のおんなソロ旅 

 またまたできた新シリーズ、「私の好きな東京の風景」です。若い頃から大好きで、3年ばかり住んだこともある華のお江戸。このところは仕事の合間に行っても、歌舞伎座のある銀座と美術館のある上野との往復で終わっていたのだが、あと何年かでそうそうは行けなくなる。思い残すことのないように見るべきところには意識的に行くことにした。最近お気に入りのガイド本「おとな旅プレミアム」の東京編を購入(することになるとは思わなかったが)、めくってみると最近の東京の変貌は著しいかぎり。これは征服しがいがありそうだ。

 初回は直近のお話からとしよう。仕事がらみではなく、全くのプライベートで観劇目的の旅をしたときのことである。
 最初に出向いたのは明治神宮外苑いちょう並木で有名なのは知っていたが、過去一度も訪れたことはなかった。このあたりの雰囲気には関心がなく、自分とは縁がないところだと思っていたからだ。例年の時期的にはそろそろ黄金色のいちょうが見られるはずだったが、今年は10日ほど早く来てしまったようで、青々ととんがった樹をいささかうらめしく眺めていた。人出もなく外国人観光客ばかりであった。

少しだけ色づいた樹も
奥に見えるのが聖徳記念絵画館
再開発で話題になっていますね

 いちょう並木どおりをつらつら歩き、次の目的地は聖徳(せいとく)記念絵画館である。いちょう並木を両端に望むと奥にみえる、この国会議事堂のように壮麗な建物のことはご存知であろうか。いちょう並木さえ初見の私は、今回この界隈を調べて、はじめてこの重要文化財の存在を知った。大正15年に明治天皇の一生を当時の一流画家たちが壁画として描いて奉納し、延べ250メートルの壁面に展示したものである。ホームページで紹介された壁画を見ると「大政奉還」や、よく歴史の本で挙げられている西郷隆盛勝海舟の「江戸開城談判」があるではありませんか。これは、歴女としては観ないわけにはいきませぬ。「施設維持協力金」として500円を払い、入館。館内の写真撮影はできないものの、解説もしっかり読み込みながら1時間ほど鑑賞した。岩倉具視の姿がやたらと多く描かれている。その他、木戸孝允大久保利通山縣有朋井上馨・・と言えば、幕末通はハハンと思われるであろう。当時はこの人たちを称えていたわけですね (フン !)。とはいえ、歴史好きなら一見の価値ありで、お奨めの隠れた名所である。

名木「ひとつばたご」俗名「なんじゃもんじゃ」
御鷹の松 徳川家光が休息していると江戸城から愛鷹が飛来して止まったとか
絵画館の扉内から天井  この撮影はOK
絵画館の入口でベンチに座って撮影
絵画館正面全景 設計は一般人の公募で決まったとか

 立ちっぱなしで疲れて、ネットで調べて評判の良かった近くのカフェへ。こんなこともあろうかとちょっとオシャレをしてきたので、臆することもなく。外国人が多くて英語が飛び交っていた。食べたのはなぜかパンケーキ。

国立競技場 そういえばオリンピックなんてあったわね
全く関心がないのでこの程度(笑)


ボリュームたっぷり 外国人仕様だったのね

 腹ごなしに商店街をのぞきながら向かったのは、本日のメインの訪問先、千駄ヶ谷の国立能楽堂である。ここで夜、初の能鑑賞をすることになっているのだ。なぜそうなったのか話せば長くなるのだが、この夏、佐渡島に行ったときに遡る。佐渡島では能が盛んで、全国の能舞台の6割近くが島にあるという。薪能(たきぎのう)のシーズンには日本中から観能に来るそうで奨められたが、まずは普通の能を体験したいと思い、今回の催しを探しあてた。歌舞伎と違って一か月間同じ内容ではないので、行ける日に上演している能楽堂で上演している能楽を鑑賞することになる。東京にも多くの能楽堂があるが、まずはオーソドックスに国立能楽堂で。席は、ネット発売開始と同時にハッシとばかり押さえて、正面前から2列目をゲット。演者の足元がよく見えてこの演目に関しては結果的に良い席だった。

国立能楽堂

 能楽は、狂言のセットとなっている。この日は定例公演で、まず狂言の「六地蔵(ろくじぞう)」から。事前予習で知ってはいたけれど、本当に囃子方(はやしかた・器楽担当)と地謡(じうたい)が出て来てスタンバイしたかと思ったらすぐ開演。アド(助演者)が登場して、よく響き渡る声に圧倒された。狂言はセリフの多い寸劇でユーモラスな内容だが、観客が笑うべきところでよく笑い声を漏らすのは、まるで寄席の客のようだ。現代の騒々しい笑いと違った、上質の「おかしみ」を心得た常連客なのであろうか。

 能の演目は「乱(みだれ)」。「猩々(しょうじょう)」という名の方が有名で、この日は観世流で上演される。このように流儀によって演じ方が変わることがあるのが、能の特色でもある。曲中、シテ(主役)が舞う中乃舞を「乱(みだれ)」という特殊な舞に変えて演じるので「乱(みだれ)」と称するそうだ。足の動きが独特とのこと、前の席だったのでよく見えた。「猩々」とはオランウータンのことらしい。この舞台では2匹出てきて、酒を飲んでは楽しく舞踊る。能面は、これも言われていることだが、たしかによく見ていると、笑っているようにも、へいげいししているようにも、表情がわかるようだ。猩々は、連獅子のような風貌なのだが、出てきた2匹のうち中心となる1匹の演者の方が、体幹が安定していて所作もしっかりしていたことは見てとれた。演者が橋ガカリを通って姿を消すと、囃子方も地謡も淡々と礼もせず引き上げて終演である。この日はあったが、観客の最後の拍手も必須ではないという独特の慣例。「ブラボー」連呼のオペラや、大向こうが「〇〇屋 !」と声を張り上げる歌舞伎とは全く異なる世界観である。我が国独特の「うたかたの夢」の体現といったところだろうか。観客には外国人も多かった。

客席から能舞台

 というわけで能楽初鑑賞だったが、また違う能楽堂で観てみたいという気も。ハマるものが増えるといろいろと大変なんだが(笑)。世界が拡がること自体はいいことだと思う。