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佐賀・唐津 2023① - 華のおんなソロ旅  


 大変ごぶさたいたしました。みざくらです。前回の投稿からなんと11か月。おかげさまで業務多忙で死にそうですがなんとか生きております。消息をご心配いただいた方々には誠に感謝です。このnoteはコロナ禍でも最大の気分転換になっていたのですが、ストレスMaxだと執筆意欲も減退するんですね。でも、そんなことに負けているのも悔しいので、このたびnote復帰をすることにいたしました。ただ、正直のところ、今はクリスティ―は読んでおりません。「クリスティ―・プロジェクト」も約半分の30回を終えて、名作はほぼ制覇したこともあって、ここで一度中断してもよいかなと思っております。しばらくは映像化作品の相変わらず独断と偏見にみちた論評や、ようやく復活した「ソロ旅」の記録などで近況をお知らせして参ります。改めまして、よろしければご笑覧くださいませ。

 「華のおんなソロ旅」と題した旅行記の第一弾は、このGWに行った佐賀県の旅を記したい。「第一弾」といってもソロ旅は若い頃からしているので今に始まったことではない。最近「ソロ活」などがメディアで取り上げられるようになったが、何を今さらという感じである(笑)。世の女性には、ソロ旅どころかレストランや喫茶店にひとりで入れない人もいるらしいが、全国出張するような仕事に就いているとそんなことは言っていられないのだ。ただ私の場合は、そのような状況になくても、どうもひとり行動が性に合っているのだと気付いた。それからはプライベートでも極力ひとり旅だが、これから書いていくようにメリットもデメリットもある。 これからソロ旅をしてみたいと思われる方の参考になれば幸いである。 

ソロ旅」(ひとりでツアー参加することも含むが今回は個人旅行)はまずどこに行くかを決め、宿を取り、交通機関を確保することから始まる。これは早くしておかないと取れないこともあるので2、3ヶ月前にはしておきたい。
どこに行くかは「マイ・テーマ」による。これを決めるのがソロ旅の醍醐味のひとつである。昨年末に所用で京都に行ったときの「マイ・テーマ」は今さらながらの「新選組」とした。巣ごもり時期に大河ドラマの「新選組!」を全視聴したこともあって、印象に残っているうちに、隊の逗留した「八木邸」などを見たいと思ったのである。日を置かず東京に行ったので、日野市土方歳三記念館など一連の記念館に足を延ばしたが、なかなか行けないところなので達成感があった。このときのことは、また改めて記したい。

 さて、今回の旅の「マイ・テーマ」は、グッと渋くなるのだが幕末に活躍した江藤新平島義勇である。二人とも佐賀七賢人として称えられながら「佐賀の乱」で非業の最期を遂げた。法学徒のはしくれとしては、江藤先生は初代司法卿として明治の新政府下で数々の法制整備をされた偉大な方として、ただ尊敬するばかりである。大河ドラマ「翔ぶが如く」(1990年)で江藤先生を演じていたのが隆 大介で、知性的な広い額、眼光鋭いところが江藤先生にそっくりで惚れ惚れした。大河では「獅子の時代」(1980年)で細川俊之が演じたこともあるが全く合っていない。この大河は大久保利通鶴田浩二だったり誠に耐え難いキャスティングで、視聴するのがただただ苦痛でしかなかった。最近は「西郷どん」(2018年)で迫田孝也が江藤先生を演じていたが、現代的に洗練されていて少々軽い。 

 このようにテーマが決まると、可能な限り本や映像化作品で予習をしていくのが、私の流儀である。幕末なら、司馬遼太郎か。大河ドラマの原作としてお馴染みなので既視感がある。江藤先生については「歳月(上・下)」が面白かった。目から鼻に抜けるような秀才で、私利私欲はないものの理想に燃えて猪突猛進。周囲への配慮にはいささか欠ける不器用さが災いして敵を多く作ってしまう。大久保利通に憎まれたばかりに、明治の世にあってさらし首にされその写真を全国にばらまかれるという不名誉は、どれほど無念だったであろうか。

 佐賀市入りして最初に出向いたのが、江藤先生の墓がある本行寺であった。墓碑は大きいが風雨にさらされていたんでいた。翌日朝、佐賀市の北部にある神野公園で先生の銅像をあおぎ見た。当時の藩主、鍋島直正公他の賢人たちの記念碑が佐賀城址の近くにあることを考えると、こんな静かな公園で穏やかな表情で前を見据えている先生の姿をやるせなく感じた。来年は島義勇とともに没後150年を迎える。

本行寺にて


神野公園にて  江藤新平

 その島義勇は、札幌市を開府した開拓使判官として有名な人である。開拓使長官となった藩主、鍋島公に抜擢され、気候の悪い北海道にはるばる来て各地を回り都市化の構想を練ったが、札幌にいたのはわずか3ヶ月という短期間であった。誠実で人望厚かった島判官は現地で恩人として尊敬を集め、札幌市役所ロビーや北海道神宮の境内には大きな銅像がある(なお、佐賀市内で乗ったタクシーの運転手さんはこの話を知らなかった)。故郷佐賀市の佐賀城公園に島判官の銅像ができたのが、実に平成30年。江藤先生とともにいかに不遇な扱いを受けてきたことか、わかるエピソードである。

島義勇 北に向かっていざ出発

 佐賀城公園の一角にある万部島は、佐賀の役(乱)で処刑された人たちがさらされたところであり、亡くなった方々を悼むために建てられた記念碑がある。今はひっそりとしてあまり訪れる人もなさそうだ。敷地の入口付近の水路にすくと立つ鳥はサギであろうか。カメラのシャッターにも動じずに超然とした風情に、なぜか往時を思わせるものがあった。

万部島の記念碑 亀の上に乗っている
万部島にて
市役所近くで江藤新平と大木喬任
同じく島義勇

 佐賀・唐津の旅、続きます。