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ギフテッド特性①完璧主義

この特性にどれだけてこずったことか。。。

完璧主義という特性はギフテッドの人が持つ典型的な性格特性の一つであることは息子が6歳の特に診断を受けてから知ったことなのだが、そういうことを知るずっと前から、それこそ2歳児くらいから息子の完璧主義は炸裂していた。

まず、幼児が完璧に何かをこなすことは不可能なのだがまだ幼児である本人がそれに納得できない。2歳児のころはうまくできないことを前にして癇癪起こすとこれもまたギフテッドの特性である過興奮性も合わさってそれはそれはこの世の終わりのように泣く、のたうち回るでそれが一日に何度も。親もクタクタになった。

3~4歳になるとできないことに折り合いをつけ始めて癇癪は大幅に減ったがその代わりにすぐに完璧にできないことに関してはすぐに見切りをつけ手を付けることをしなくなった。ある事柄において自分が思い描いている完成形に自分が到達できないものから逃げてしまうのだ。それは彼にとって言語習得も含まれていたようで言葉の発達の遅れを誘発したのではないかと今となれば思う。そのころ言語療法士に方にも「この子は本当に完璧主義ね。自分がうまくできないと感じたら心のシャッターを閉めてしまう」といわれていた。

しかし5歳前後で大きな変化があった。

それは息子がピアノを始めたのがきっかけだった。

音楽と非常に親和性の高い息子は音楽というものに、何よりも音楽の持つ法則性のとりこになったようでピアノも楽しんで取り組むようになった。

そんなある日、まあまあその当時の息子にはハードル高めの、両手で弾く、長めの課題曲をもらってきた。意気揚々と家で弾き始めたのだがいつもおんなじところで間違えてしまう。間違えたらまた初めから引き直してまた同じところで間違える。ドツボにはまってしまい前に進めないようだったので私が「間違えたところは後でそこだけ練習してもいいからまず間違えながらでもいいから最後まで弾いてみたら?」といっても「いやだ!」の一点張り。

結局ドツボにはまって何度やってもうまくいかず号泣しながら弾く羽目に。

「休んでからまた練習したら?」といってもこの状態で終えたくないのか「いやだ!」の一点張り。号泣して、時には床にのたうち回りながら泣きわめき、親の私もあきらめてようすを見ることにして距離を置いて4時間…

様子を見に行くと泣き疲れて弾く気力も残ってないのにまだピアノに向かう息子がいた。

疲れ切っていた息子に「間違ってもいいんだよ。間違えながら前に進んでもいいんだよ。そうやってみんないろんなことができるようになるんだから」

本来なら「間違える」ということに対して拒絶反応があった息子も疲れ切っていたせいか「うん」とうなずいた。そして間違えながら課題曲を弾きとおすということが出来るようになった。

これをきっかけにして息子は自分の間違いや失敗に対して受け入れられるようになってきた。もちろんいまだに完璧主義特性は健在だが、親の私たちも自らの失敗やうまくできなかったことを話し、それがきっかけでできるようになったことや、実際にうまくできない私たち(親)を正直に見せることが息子の心の安定につながっていると感じる。

ともあれこの特性はよく働くこともあるかもしれないが少なくとも2Eのギフテッドの息子を持つ親としてはデメリット的要素が今のところ大きい。実際ギフテッド児の育てにくさの大きな理由に一つに挙げられているようだ。

あ~あ、めんどくさいヤツ(笑)


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