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ボクのことば

息子がギフテッドであることがわかる前、私は母親として混乱と不安の中にいた。

育児本通りではない息子。2歳前の重度の胃腸炎をきっかけに始まった過度な偏食と言葉の遅れ。そして通常幼児が観るようなアニメ番組ではなく理解しているのかわからないが大人向けの宇宙関連のドキュメンタリーを見る息子。なのもかもが年齢不相応。すごいレベルのものを好んだりできたりすると思えば、遅れている部分もある。

賢いのか遅れているのかよくわからない。

そんなとき親としてはやはり心配な面ばかりに注視するようになり気が付くと「少しでもフツウに近づけたい」という気持ちで空回りと続けるような毎日だった気がする。

その頃の私の心象風景はまるでヘレンケラーの母親になったような気分だった。この子をどう教育してよいかもわからず、子の方もそのために無軌道にめちゃくちゃに毎日を過ごしているような感じだった。

そんな私たちを救ってくれたのが「音楽」だった。

きっかけは子供の情操教育に良いからと4歳の時日系幼児向けの音楽教室に入れてみたこと。私の頭の中では「きっと興味ないだろうし、落ち着きなく動き回るかほかのことをし始めるだろうな…」とは思ったが、どうしてよいかわからなかったわたしはなんでもいいからいろいろさせてみたいという気持ちで入れた。

最初の2~3回は予想通り聞く耳持たずに先生を困らせたようだった。

ところが楽譜の読み方を教わり始めたころから急に変わりだした。先生曰くだれよりも集中しスポンジのように吸収するようになったとのこと。

そのころと時を同じくして息子が一気に落ち着いてきた。言葉にするのは難しいけどそれはまさにヘレンケラーがサリバン先生に「WATER」という言葉を教えてもらい「モノにはすべて名前がある」ということを知って世界が開けたのと同様に息子も音楽の法則を通して何かこの世界に対峙するヒントを得たようだった。

それをきっかけに7歳になった今も息子は音楽を続けている。今年からは音楽学校に通うことになった。今はピアノと声楽。今月からドラムを始めるかもしれない(本人の希望でお試しレッスン予定)

私は音楽の世界の人間ではないのでわからないが息子は絶対音感のようなものがあり、3~4つの音を同時に聞き分けられたり、歌を歌っているときは音を全く外さないうえ伴奏も演奏も覚えているらしい。教えてもいないのに5歳の時には各長調、単調の音階を遊びで弾いていたようだ(先生談)

確かに大好きな映画インターステラーのサントラ音楽を耳コピしてピアノを弾いていて最終的にはアレンジまで入れて演奏していた。

これがどれだけすごいことなのか私にはわかない。しかしおかげで音楽の先生方にはとても意欲的にご指導をいただいててありがたい限りだ。

とにかく親としては本人が好きなもの、得意なものに出会えたことが何よりもうれしく、直感的に「息子は音楽をきっと一生続けていくんだような」という予感がある。正直それで成功するとかしないとかどうでもいい。それを職業にするのかしないのかも私にとってはどうでもいいこと、というかそもそも息子が決めることだ。

ただ息子のよりどころが見つけられたという喜びだけ。

音楽よ有難うという気持ちだけ。

息子は今日も自分の言葉を紡ぐように電子ピアノに向かい音を奏でている。

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