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論文・宮沢賢治『春と修羅』論――引力、自然体であることーー刊行100年に寄せて

おひさしぶりです。高橋実里です。

今年、宮沢賢治の『春と修羅』が刊行されて、100年になります。

これを機に、大学院を修了した際、書き上げた論文を、
公開しようと思い立ちました。

多くの方に読んでいただくため、
数回に分けて、noteの本文に掲載し、註も反映させたら分かりやすい…と
いろいろ考えてはいたのですが、
文章量が多かったため、
作業にてまどり、どんどんどんどん時間が流れていくのもなんだかなぁ、ということで、
PDFデータをアップロードすることに決めました。

たくさんの方に読んでいただけたら、とてもうれしいです。

賢治については、
今までさまざまな論考が発表されていますし、
おそらくこれからも、活発に研究されてゆく対象だと思われますが、

つかめた! と思ったとき、するりと指のあいだをくぐり抜けていく光

それがわたしにとっての賢治です。
およそ100年まえの日本に、賢治が生きて(トシもいて)、言葉を紡ぎだしていたという事実が、
切実に、今のわたしの心の支えになっています。

風がやわらかな化石だとしたら、
感覚を研ぎ澄まし、自分に嘘をつかない日々をコツコツと送ることで、
いつか、賢治の声は聞こえてくるでしょうか?

まだわかりませんが、
それでも、この世界のふしぎを最後まで、わかろうとしたいです。


P.S. ふだんは小説や詩をメインに書きますが、
   評論や論考の執筆も好きです。
   ご依頼がありましたら、お声がけいただけると大変励みになります。

   どうぞよろしくお願いいたします。


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