(戦時中)制度【検閲】より遥かに怖い…(現代の自己)検閲(自粛?)
8月中旬になると、大戦の敗北に関する多くの記録やドキュメンタリが放映される。その中に、【新聞が煽った戦争への突入】に関するものがあった。
もちろん、戦時中は『国益』の名の下に、新聞記事やラジオニュースの(制度としての)検閲行為が行われた。当初は戦争拡大に懐疑的だった報道も趣を変えるようになった。それによって、虚偽の報道による戦果に酔いしれる国民と、さらに一層勝利や戦争拡大を賛美した『新聞』や『日本放送協会ラジオ放送』が報道されて、これを否定するものは非国民の扱いを受けるようになった。
この反省の上に立とうとする番組であったが、よく考えると、
★戦時中の検閲は、良いか悪いかは別に、『国益という名の制度としての
検閲』であった。
このために記録や音声も残されている。
一方、現代に存在するのは、
★権力サイドからの(圧力まがいの)自粛要請
によって、報道が自己規制されるという、
★制度検閲よりも陰湿な自粛と言う名の(自己)検閲
になっているのではないだろうか?
これこそ危険極まりない状況では無いだろうか?
何かが、制度の外で、『闇から闇に葬られる』仕組みに加担しているのである。
こうなると、(自主的に)権力サイドに擦り寄って行く…こんなに権力サイドにとって都合の良い報道機関は無いであろうから。
何時の時代も自己の主張を最初に捨ててしまえば、後々に『いいように利用される』だけで、本来の使命の事実を伝える役目を放棄した有害無益なものに成り下がっているのではないだろうか?
危険極まりない…。
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