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過ぎたるは及ばざる…人口の増え過ぎ・利害調整は無理、国そして国連も

 なぜか世界では紛争・戦争が多発し、多くの国では『自国民』であるはずの人達が互いに非難、争い合って、死んでしまう人達も多い。
 時代も進んで、人類も賢明になって争うことなど無くなる…とは行かなかった。
   物や技術の開発によっても、欲望の対象が増え過ぎると、なんでもカンでも手に入れたくなるのは人情でもある。そうすると持てる者、持たざる者には当然のように差が産まれる。
 これも現在が格差社会と言われる所以でもある。
 近代社会は多くの事を目指してたゆまぬ努力を続けているが、その結果なのか、代償なのかは不明であるが、今日少なくとも人類の不幸が撲滅されるどころか、むしろ不幸が量・質ともにドンドン成長しているように見える。
 この努力が一体全体我々を追い込み、弱者の数を増大させて衝突を産み出している。
 それでは、近代、20世紀以降の人類は・・を目指した結果、不幸を巨大にしつつある、という思わぬ状況に結果として繋がって来た。
 少し問題を単純化して考えてみよう。
 仲間が集まり、何かを決めようとする。
 この時、仲間の数が二人や三人だと意見の食い違いはあったとしても何らかの決定を見つけ出すことはそれ程困難にはならないことは容易に分かる。
 しかし人数が5人…10人…50人…と増えて行った場合には結論を引き出すには相当な困難があることは想像に難くない。
 上の場合を見ても、数人規模だとそれ程の数の案は出て来ないが、100人もいれば案もドンドン議論の最中でも出てきて収拾が難しくなる。
 100年程前(1923年)の日本の人口は、おおよそ、4600万人であるので、現在は、2.6倍になっている。1929年には大恐慌がアメリカで始まり全世界に拡がった。ちなみに1920年のデータを下に示す。

人口とその他の推移

 上の表を見ると、実は、平均寿命がおおよそ2倍になっているのに気づく。その分、65才以上が飛躍的に増加している。
 さて、我々が過去に一体何を目標として現在まで努力してきたのだろう。
高齢者(老人)が増えて来たことによる財政的負担も大きくなっているのも事実である。下表は、厚労省によるデータである。

一人当たりの医療費

 端的に表現すれば、現在まで努力して日本人の長寿命化を実現したが、結果としては相当な費用(医療費)負担によって実現してきたという事になろう。流れは、
 金と引き換えに長い寿命を得た➡老人(65歳以上)人口が約6倍に増加
これを医療が進歩したと位置付けている。すなわち、
1.医療の進歩➡財政的危機を産み出す➡(経済的)不幸を招来
である。
 さて、100年前にはちょうど全世界的にスペイン風邪が流行し、世界人口の約1/3にあたる5億人が感染。そのうち2000万から4500万人の命を奪ったのである。
 であるので、当時の世界人口は、15億人ほどであった。これまでから将来への人口の推移は、下のグラフ(国連資料)は過去ー未来の人口の推移である。現在は、おおよそ80億人ほどであろうか。100年前と比較して5倍以上である。ほぼ老人の増え方とも一致している。

世界人口の推移(縦軸 億人)

ここで考えれば、比喩的に言うと、人口も5倍以上増えて、幸福の量も5倍以上の増えたであろうか?やや疑問である。
 最近の国連活動の一つが、SDGと呼ばれるものである。
 国連が、SDGの中で1番に上げているのが、
 ★貧困の撲滅
である。要は、貧困に喘ぐ人数がメチャ多いからであろう。
 2番にあげているのが、
 ★ノー ハングリー(空腹を無くす)
である。
 豊かな社会、豊かな世界を目指したハズがこの通りである。
 科学、技術や文化、芸術など人類が目指したハズの豊かさは何処に行ったのであろうか?
 国連(UN これは連合国の意味)は第2次大戦終了後、紛争解決を目指して創られたはずであるが、我々の見ている現実は、
 ★当該国同士のなじりあいの場である
少なくとも、思想信条を越えて紛争の解決を図ろうと言う意図は当事国同士には全く言っていい程見えないのである。
 要は、仲間の数を増やして言い負かそう…程度の浅ましさである。
 毎年のように、G7だのなんだのの首脳会議を催すが、結果的に成果に結びつ事はまず、あり得ないのである。毎年顔を合わせて仲間から抜けようとしていないかを確認し合っているだけ。
 世界政治から見ても、単なるイベントとして見られるだけで何も成果など誰一人期待もしていない。政治家の自己満足の場所になり下がっている。
 人口も増え、国の数も増え、商品の数も増えたが、人類に残したのは長生きによって貧乏になり、国中でも争いが増え、国の間で紛争や戦争が増え、
技術によって貧富の差を増やしたに過ぎないのである。
 昔は、貧乏とは言ったが貧困とは言わなかった。
 別に貧乏でも特に不幸というレッテルなど貼らず、困りもしなかった。
幸せに暮らす貧乏な家は一杯あった。

 貧困とは、『貧しくて困る』状態なのである。
増えすぎたネズミは集団で水に入るという。
 格差を意図的に造ってこの格差で人を支配しようと目論む。
 これが今後もまだまだ続くのか、消える様子は無いのが気懸りである。
 多分、一国自体が抱える人口が多すぎるのであろう。


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