「沼」「指物師」「お金」| 三題噺 (未完)

三題噺スイッチ改訂版から出力したお題で三題噺。

昨年10月31日に出力して11月内に書き上がらなかったやつをお蔵出し。MyndMapにアウトラインを起こしたあと分量を予測しないまま書き出して肉付けしきれてないやつをそのままお蔵出し。

コトバンク

  1. 指物師

  2. お金

沼地の細工師

沼地の細工師は箱の制作依頼を受ける

「ご依頼先をお間違えではねぇですか?」

「いえ、依頼主は間違いなく貴方様の化粧箱をお求めです」

男は顎髭をなでつけ首を傾げながら問いかけたが、商人は至って真面目な顔で答えた。

「装飾のための化粧細工をお求めというわけでもなく?」

「はい、依頼主はあなた様のお造りになられた化粧箱をお求めで御座います」

念押しに商人は応えるが、男にはやはり何かの間違いに思えてならなかった。なぜなら男は職人と言えど箱物を売ったことなどない。もっぱら作っているのは弓や矢、なめし革といった狩りの道具、そして趣味の延長の骨細工だ。男は一介の細工師だった。

依頼主は遠方の富豪らしいのだが、なんと蓄財を納めるための箱が所望の品だった。その集めた金銀財宝でお抱えの職人に発注すれば相応のモノが手に入るだろうに、この物好きな商人が細工師から仕入れて売った骨細工をえらく気に入ってしまったのだそうだ。

素材の調達にかかる費用含め富豪が負担するがその分出来得る限りの傑作をと要求されている。

傑作をと言われても事実細工師の商売相手はもっぱら昔なじみの狩人達なのだ。

細工師は沼地の畔に移り住む以前、山地をかき分け狩猟に勤しむ狩人をしていた。その頃には拾い集めた木々や石材、仕留めた獲物の骨や皮の売れ残りで小道具を作るのは実用を兼ねたただの趣味だった。

「しかも指物ときたら、いくらなんでも畑違いですぜ」

指物というのは書いて字の如く、"指で正確に測った" 平板に切れ込みを入れ組み上げる棚や箱類の事だ。材料は大抵木材を用いる。材料として扱ったことがあるとはいえ、"その精度で加工したことがある" というのとはまったく別の話である。

「依頼主にお売りした品は指物とまではいかなくとも獅子山羊の骨を割って繋げたなかなか上等な小箱でしたよ。目利きの確かなお方でしてね。必ずやその真価を見抜いていただけると信じておりましたとも」

商人はほくほく顔で語り始める。

「貴方様のお作りになられる小道具はこだわりがよく現れておいでセンスもある。芸術的ではないかもしれんですが、実用性を意識した機能美と身の回りの自然から得た着想を潜ませる遊び心がございますな」
「依頼主がご所望されているのはあくまで貴方様がご自身のお力で組み上げた指物でございます。私としては是非お受けになられるのをオススメ致しますな」
「これだけの前金があれば足りない材料も、お申し付け下されば私の方で調達できるでしょう」

言って机の上の硬貨袋を指す。

細工師はいくばくかの逡巡のあと、富豪の手紙と証書、そして前金の額を確認して依頼を引き受けた。期日は富豪がこの世を去るまで。生前の内に遺産を納められること。

動物の骨で組み上げた箱に入れて自分の遺産を後に継ごうなどと、細工師に理解できることではなかったが、どう使うかは感知することではなかった。

細工師は沼地に住んでいる

細工師が道具作りへ傾倒するようになったのは、使う矢尻や革袋の出来栄えに気付いた仲間が猟の道具製作を依頼したのが1つの転機だった。

もののついでと素材や貨幣と交換で引き受けていた取引が、いつしか猟に出るよりも製作からの収入が上回っていた。猟に出る時間が減って家にいる時間が増えると思い至った細工師は少し大きな骨細工に手間暇をかけるようになる。細工師の作品が嗜好品として旅人や商人の間で評価を集め買い手がつくようになるのはそれからしばらく経ってのことだった。

狩り場にしていたのは大陸中央に向かってそびえる高々とした山脈の裾だったが、沼地はその急峻な谷間の底にずっと存在していた。沼地には広大な水系から雨水が流れ込み、黄金樫の流木や鋼爪熊や鋸角鹿といった骨や革が便利な素材になる生き物の遺骸もたどり着く。山嶺で育まれた土壌が流れ込み、沼地自体にも危険な生き物や草木が分布はするが知る人ぞ知る素材の集積地になっていた。

狩りに出るのがより良い品作りのための素材集めのためになり、目的と手段が入れ代わり始めた頃、細工師はこの深い谷間の底、広がる沼地に素材の山が広がっていることに気がついた。

嶺に囲まれ日がまともに差し込むのは1日のうち谷間が日に向くおよそ数時間ほどの鬱蒼とした暗がりの中、淀みの底に細工師は新たな居場所を見つける。そうして細工師が沼地の畔に拠点を構えたのは何年も前のことだ。

村にも住居は残していて、戻って作った品を食品類に換えて暮らしを立てているが、時には沼地の方にまで商人や沼地に入ろうとする元同業者が訪れる様になった。

だから納品依頼が舞い込むことは然程珍しくもなくなっていたのだが、それにしても富豪の依頼は例外的で、その分破格の報酬が約束されていた。

細工師は制作のための材料集めに励む

依頼を引き受けたからには細工師としても手は抜けないのが性分だ。構想と試作に数ヶ月をかけたが相応の品にはなりそうになかった。

比較的安全な沼地の外縁で手に入る遺骨からではどうしても強度や大きさにばらつきが出て、一個の箱細工として成立しなかった。覚悟を決めた細工師は、もっぱら売り払っていた装備の類を自分用に仕立て直し、谷間の奥地へと向かうことに決めた。

常日頃徘徊している畔のさらに奥地だ。

――商人は足りない材料を買い足してやると言っていたが、俺はこの山の素材で仕事をしてきた。それで舞い込んだ依頼なのだ。だったらこの山の素材で答えてやるのが筋じゃないか。

目利きの富豪が自分の技を見込んで出した依頼に、細工師は自分にないと思い込んでいた仕事への誇りが沸き立つのを感じていた。

豊かな自然の中にはそれを享受して育った厄介な猛獣が生息している。中でも沼地の主とも言われ遺骸さえ滅多に手に入らない「熊喰らい」とも渾名される竜顎鰐、水場においては山地に生息するどのケダモノでさえ噛み砕き食い散らせるその巨大な鰐の骨格こそが細工師の狙いだった。

細工師は死と隣り合わせの危険域に踏み入った。

生い茂る葦に潜む沼蛇や血吸蛞蝓といった油断さえしなければ命にまでは関わらない小型生物の生息地とは違う。判断を間違えれば死を覚悟しなければならない。

位置を見失わないよう注意深く印を残しながら、足を取られないようにしつつ、中継地を設けては住処へ戻りまた深部に向けて進む牛歩の日々が続く。不意を突かれれば命を失う緊張感の中、時には隙を見つけた巨大な蛇や怪鳥を射止めて丸焼きにもした。一度に運ぶ荷を減らすための携行食は木の実を煮詰めてすり潰し捏ね上げ一粒の栄養価を高めたモノだが、蓄えは徐々に減っていった。

細工師は獲物を遂に獲物を前にした

細工師は戦士ではなく、単身の探求には限界がある。本当に危険な異形共が出かねない深みにまでは挑めない。退路を確保しながら行って帰ってを繰り返しこれまた数ヶ月、遂に竜顎鰐を見つけた。

子供と思しき小柄な個体を含め十数体が集い群れをなしていた。陽が中天を過ぎ早くも陰りが広がる中、水面から覗く眼に僅かな光が反射して見えた。

――少しは小柄な子供を仕留めるか?

一瞬の迷いのあとに結論が出た。まだ骨肉の発達が不十分な子では素材に不十分なことは分かっている。観察すれば大人が常に側に居て、どの個体を仕留めるにしても集団に気付かれれば命を取られるのはこちらの方なのだ。むしろ子供の方が仕留めるのは厄介そうだ。

必要な素材を持ち帰るには孤立した成獣1頭を速やかに仕留め、解体し運び去る必要がある。細工師は樹上へ登り残り少ない時を機を窺い策を練るのに費やした。

竜顎鰐の狩猟は見事なものだった。

沼地の畔に現れた獲物を波間に紛れる位置から視認し水面下にその巨体を紛れ込ませる。波紋が広がるかどうかという内にスイと息を合わせながら近付くや胴長の四つん這いとは思えない素早さで一気呵成に喰らいつく。全身の骨を砕かれた獲物が無惨に千切られ奴らの口内に消えて行くのに時間はかからない。

何よりも恐ろしいのは木々さえも薙ぎ倒して樹上の獲物を引き摺り下ろしさえすることだ。近付く一団を見落としたなら、次の瞬間には潜んでいる細工師が胃袋に包まれているだろう。

細工師はすでに老いて死期が近いが巨大な竜顎鰐を見つけた

一歩間違えれば次の瞬間は大顎の中に居るかもしれない。そんな緊張感と戦いつつ群れから付かず離れず潜伏を続けていると、細工師はやがて群れの動きに1つの規則性があるのを見出した。

常に数頭のまとまりで縄張りに近づく獲物を探し回っているが、その1個は絶対に離れない寝床があった。沼地の中でこんもりと盛り上がった土塊の上に、高々と木々が密生している。夜になるとその陸の上に獲物の肉塊を咥えた一団が入っていくのだ。

――あの陸には何かがいる。

細工師はそこに飛び込むと決めた。

少なくともこの危険極まりない沼地で主と称される生き物の群れが獲物を献上しにいっている。数を数えれば山の向こうが白み始める頃には群れの全頭が沼地へ出ている計算だ。こうして運良く群れから一頭がはぐれるのを待っても好機が訪れる保証はどこにもない。

細工師は狩猟のための最低限の荷物だけを持つと日の出と供に朝霧の中へ紛れ、群れの隙間を縫ってその陸に忍び込んだ。

――居た、こいつだ。俺はこいつのためにここへ来たのだ。

そこにはこれぞまさに沼地の主と言わんばかりの巨躯が鎮座していた。狩りをしている竜顎鰐のどの個体さえ体躯の半分程度に及べば良い方だろう。顎どころか筋肉質な尻尾の一振りさえ木々を薙ぎ払う凶器になり得る。竜顎の異名はこいつのような個体が群れを守るため、異形共に挑んだ様から来たに違いない。

問題はこの巨獣を細工師が狩り取れるのかだ。大鰐の死角となる位置を樹上に見つけ慎重に様子を伺う。

口の開閉からして呼吸はたしかにしているし、全身の肉質は頑健に見えるが、眼窩はその実白濁としている。長く生きてはいるものの恐らく老いも随分と進行しているのだ。目線が動いている気配はない。鳥のさえずりは聞こえるが反応する様子もなさそうだ。目だけではなく耳も悪くなっているのか、その実動く体力さえ衰えているのか。

首裏、脳幹を一撃で刺し貫き仕留めるための銛を取り出すと、細工師は頭上を取りに移動を始めた。

山嶺の向こうから徐々に日が差し始める。微かな陽光が大鰐の巨大な眼球に当たった。

――反応なし。決まりだ、こいつは目が見えていない。

意を決して飛び降りるその瞬間、細工師は大鰐と目線が合うのを感じた。

命からがら死地を脱した細工師は竜顎鰐の部位を持ち帰り製作に取り掛かった

鋸角鹿の角を研ぎ上げた穂先が細工師の体重までをも威力に換えて大鰐の急所に埋没する。

細工師はたしかに大鰐が反応するのを感じたが、避ける動きには至らなかった。傷口から血潮は吹き上がり四肢が跳ねる。尻尾が先まで細工師が潜んでいた木の数本を巻き込みながら背中側を吹き飛ばす様に振り回されたが、かろうじて細工師の背を掠めるに留まった。

死を待ちゆく身だったのは間違いないのに、大鰐の最期の足掻きは暴風並みだ。荒波に呑まれないよう必死にマストへしがみつくのと同じく細工師は銛の柄と大鰐の鱗を支えにした。

前後の肢が地鳴りのような音を打ち鳴らすと巨躯が突然に動き出す。暴れる肢の勢いそのままに浮き上がって大岩に背がぶち当たる。空を向いた方肢がゆっくりと垂れると、束の間の災害がようやく過ぎ去った。

細工師は一時自身の生死さえ判じかねたが、手足の震えと轟音を立てる心臓の動きを感じて自分がまだ生きていると気付いた。

――動け、動け、動け。

これだけの音を響かせたのだ。近くの一団が襲いくるはずだ。それまでに身を隠さなければならない。異形と並ぶだろうこの素材を持ち帰ろうと細工師は必死に手足に力を込めた。

遠くから跳ねる水音が細工師の耳に届く。

細工師はできあがった箱を富豪のもとへ送った

箱が本当のところどう扱われるのか細工師は知らない。

実のところ制作過程で手に入れた素材の残りを売り払って得た金額は箱の制作費よりも高い。

それでも細工師は大金が収められた革袋を満足気に眺めた。

編集履歴


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?