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「先生」はどこまでやらなきゃいけないの?

「コロナ禍による教員の過重労働だ」そんな声をたくさん見かけた。元からブラックな職業と(不名誉にも)名高い教員だが、そこに加えて新型コロナウイルスの感染対策までやってきたようだ。休校でただでさえ授業は遅れている。どこまで教員に仕事は降り積もるのか。

といっても私はまだ一介の大学生に過ぎず、教育実習も終えていないし詳しいことはよく知らない。ただ、SNSで声を上げる先生たちの姿は他人事ではない。授業、会議、部活動、行事、保護者対応、生徒指導、その他諸々。教員の仕事は多岐にわたり、そこにやってきた新型コロナウイルスの影響。じゃあ実際の現場はどうなのか、知り合いの小学校、中学校の先生に聞いてみた。

時差登校、分散登校といった「密」を避ける対策は多くの学校で行われている。その分先生は2回、3回と同じ授業をすることになる。いつもなら2回授業をすれば2コマ分進む内容が、子どもたちにとっては1回分。仕事が増える一方で進度は半分だ。夏休みなどの長期休暇を使って補習を組む予定らしいが、休校期間の分も含めるとなかなか本来のスケジュールは難しい。加えてフェイスシールドやマスクといった感染対策を取って教壇に立ち、教室の窓を開けているので、エアコンをつけているとはいえすでにかなりの暑さらしい。教員自身も、子どもたちの熱中症対策もこの夏は大きな課題になる。朝は体調確認、子どもたちが帰った後は教室などの消毒なども行う。

休校中も教員は休みではない。課題を出したり、子どもたちの様子を電話やビデオ通話で確認したり。2ヶ月分溜まった膨大な量の課題を、授業などのいつもの仕事と並行して採点していると小学校の先生は言っていた。中学高校では学校によってはオンライン授業を休校中に行っていたという。HRをやって、課題を出し、チャットでいつでも質問に答え。そのために生徒の環境を調べたり、連絡網を整備したり、教科書を郵送したり、エトセトラ。休みになっている学校を始める日の準備、そしてこれからの学校のことなど、考えることは尽きない。私自身も大学の遠隔授業を受けながら、生徒は生徒で困るけど、先生たちもまた初めてで、慣れない中でやっていることを実感する。決して今まで通りの授業はできない。そんな中で、教育をどう守るか、子どもたちの学びをどう保障するか。私の母校である高校では、環境のない生徒に対してPCの貸し出しなども行ったらしい。

すべて必要なことなのかもしれない。正解が誰も分からない中、学校という現場で感染者が出るのは避けたいことで、教員は子どもたちを守る必要がある。しかしこれらすべてが、なんならいつも通りの仕事も含め、これ以上のことが先生たちの仕事になっている。

分散登校で一学級の人数が減り、子どもたちを一人一人よく見られるようになったという声もある。ある新任の先生は、休校中が多少なりとも準備期間になり、何回も同じ授業が出来ることが逆に練習にもなると言っていた。これはコロナ禍で奇しくも生まれた「よかったこと」だろうか?そもそも、普段の学級で一人一人を見るのも大変な人数を持つことがおかしいのではないか。そもそも、普段はまともな準備期間だと感じる間もなく現場に放り込まれる環境がおかしいのではないか。

私は「優しい先生」たちをたくさん知っている。授業が面白くて、私たち生徒の戯言にも付き合ってくれて、部活のことも考えてくれる、真面目な先生たち。でもきっと、真面目な先生ほど大変だということも知っている。教員は「やりがい搾取」だとよく言われる。私の知っている先生たちも、そして教員を目指す私自身も、子どもたちのことが好きなのだ。だからこそ真剣に向き合っていくけれど、そこに降りかかる仕事があまりにも多すぎるのだ。だから良い先生ほどつぶれてしまうなんてことが言われている。それは先生たちにとっても、子どもたちにとっても何も良いことがない。

この機会に見つめ直してみるべきなんじゃないだろうか。人が足りない。それに反して仕事が多い。「先生」が本来やるべき仕事はいったいどこからどこまでなんだろう。

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