見出し画像

涙の理由〜35年の月日が変えてくれたもの〜


「まもなく1番線東京行きやまびこ○○号は発車いたします。ご乗車の方はお急ぎください!」心なしか車掌の声は苛立っていた。

「帰りたくない!帰りたくない!!」
と盛岡駅のホームで泣き叫ぶ幼き僕。
そしてそれを見て困り果てる母と祖母そして叔父。

画像1

発車を促す甲高いベルが鳴り響き、ドアが間も無く閉まるその瞬間。ねらっていたかのように叔父に僕は半ば無理やり新幹線に押し込まれる。

そして「プシューっ」という音と共にドアが閉まり新幹線は無事、母と私を東京へと向かわせるのだ。

小さい頃お盆休みは決まって母の実家である盛岡に毎年1週間ほど帰省していたのだが、これはその帰り際、東京行きの新幹線のホーム乗車口での出来事。

画像2

夏の風物詩?で予定調和のこの光景は3歳から小学校低学年まで毎年欠かさず繰り広げられていた。

叔父は三陸の海に連れて行ってくれたり、祖母はさんさ踊りという盛岡の夏祭りに連れて行ってくれたり、暖かい料理と満面の笑みで僕らをもてなしてくれた。

1年に1度会える孫と甥っ子である私をこれでもかと可愛がってくれた。
1日1日が楽しくてしょうがなかった。
つまり私は別れが寂しかったから泣いたのだ。

とはいえ、ホームでのあの光景を見た周りの人にとって僕の行動は迷惑極まりなかった。
「きっと訳ありの家庭なんだろう、」
と思われても仕方がないと今になって思う。
母親は僕とは違う意味で泣いていたと後々聞かされた。

だから、大人になってからも母の実家に行くたびに親戚中からこの件でちゃかされる。
「お前はよく帰りたくない!と泣き叫んでいたよな」もう恒例の笑い話。

画像7


働き始めてからしばらくは盛岡に行くこともなかったのだが、
そんなある時祖母の訃報が届く。

新幹線で久しぶりに向かうのがこんな時だなんて。

盛岡へ向かう車中、色んな思い出が頭をグルグル回りこんなことを考えた。

自分はもらってばっかりで、ばあちゃんに何も恩返しができなかったんじゃないか?

画像7


葬儀が無事終わり、会食中に思い出話がでた。

そんな昔話の中で、ばあちゃんが以前「孫に旅行に連れて行ってもらった」と喜んで話していたという事を聞かされる。

確か大学を出て初めての仕事についた時、今までお世話になったお礼にと、母親とばあちゃんを伊豆にバス旅行に連れて行ったのを思い出す。

自分はとっくに忘れてしまっていた事をばあちゃんはちゃんと覚えていた。

一方いい機会だと思い、叔父に昔世話になったお礼を初めて口にしてみたはいいが、「そんな事あったっけ?」というような表情と返答に拍子抜けしてしまった。

おそらく何気なく自然体にしてくれていたことだったんだろう。

してくれた方は忘れてしまっていても、受けた方はちゃんと覚えているものなのだとその時気付かされた。

画像5


大人になった今、立場を変えて考えてみる。
あの時の母や祖母、叔父がしてくれたように果たして自分は息子や両親、甥や姪に同じ事ができているだろうか?

でも今回ここに来てそんな悩みは必要ないのかも、と肩の荷が降りた。

愛情や思いやりを持って接していれば口にしなくても相手に気持ちは伝わる。仮に伝わらなくてもそれでいいんじゃないかとやっと思えてきた。

画像7


お彼岸をすぎ、肌寒い盛岡はもう冬の準備。

幼き頃、あの時のホームでの涙は間違いなく別れの悲しさの涙だった。
でもそれはあれから35年の刻を経て
東京行きの新幹線の車内、感謝の涙に変わっていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?