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松田聖子のコンサートで感動した理由

今年の夏、初めて松田聖子ちゃんのライブを観に行った。いつもは一人でライブに出かけることが多いけれど、この時は誘ってくれた母と妹と一緒に3人で。

初めて観た聖子ちゃんのコンサート(ライブよりもコンサートという言葉が似合う)は、とても楽しかった。おとぎ話のようなメルヘンチックで豪華な舞台セットに、80年代と変わらない印象のガーリーで可愛らしい衣装(とはいえ私や妹はリアルタイムで観ていないので、昔の映像をテレビやインターネットで観たのみだけど)。友達と話しているかのような軽さのトークは意外なほどおもしろいし、何より、当たり前のように歌が上手だった。

コンサートの帰り、現在50代後半の聖子ちゃんとほぼ同年代の母の「ずっと綺麗でかわいいなんて、本当にすごいよね」という言葉に素直な気持ちで同意の相槌を打ちながら、私はその日のコンサートで感動を覚えた一番の理由を母の前ではうまく言葉にできなかった。私がすごいと思ったのは、何よりファンの皆はいま松田聖子という「概念」を観に来ているんだと感じたことだった。

それを母の前で言えなかった理由は今ならはっきりわかる。言葉にしてしまうことも、それによって母を悲しませることも怖かったから。小さな頃から「女の子らしくかわいく」あることが大正解として育てられた娘は大人になり、会社員そして女性として送る社会生活の中で違和感を感じ始めていたなんて。ピュアでかわいらしい「振舞い」や、若くて老いていないことが表面的かつ過大に評価される環境に対してもどかしさを、ずるいことをしているような罪悪感を、時に息苦しさを感じていただなんて。

若い頃の聖子ちゃんの映像はYouTubeでいつも観ていたから、彼女の振る舞いや80年代の歌番組の司会者たちが話しかける言葉から、当時の視聴者は聖子ちゃんにどんなイメージを抱いていて、どんな姿やしぐさを期待されていたのか想像することはできる。若い女の子らしい、清純で好印象とされる要素は、今の時代で考えると少しぎょっとしてしまうくらい露骨に褒め称えられていた。

でも2019年夏のこの日のコンサートで、私は想像していなかった光景にたしかに出会った。松田聖子は「若くてかわいいアイドル」から「松田聖子」になっていた。もしかしてファンの人たちは既に気付いていたのかもしれないけれど、初めてみた私にとっては驚くべきシーンだった。それは、光だった。

10代や20代の女の子が、本人たちが書いたものではない歌詞で曲を歌ったり踊ったりする姿をなんだか最近はまっすぐ見られなくなってしまっていた。別に女の子はマーケットから求められる通りに振る舞わなくてもいいんだよ、若い女の子は清純そうにしているだけが価値じゃないよ、か弱そうな雰囲気も出さなくていいんだよ、なんて言いそうになってしまって。今は反省している。相手に迎合することで生きていこうとする弱者を見るような同情心で遠くから眺めるだけの人になってしまっていたことをまず素直に認めたい。女性が自分の女性性をどつ扱うかについての方針は、個人の考えというよりはサバイバルの都合上、社会的な需要を無意識に考えざるを得ない環境によるところも大きいし、つまり本当は私だってその手札を使って切り抜けてきた場面がたくさんあるのに。

当時の聖子ちゃんは、そういった世の中における「女の子の偶像化」の最たるものだと思ってた。実際その役割を担っていたはずだけど、今はちょっと違う。変わらずピンク色のリボンやフリルがたっぷりのドレスを着て2019年のステージに立つ彼女が提供しているものは、もう「女の子が歌って踊る姿」ではなくて、何十年もそれを続けることで作ってきた松田聖子という世界と概念。彼女が出来ることを、彼女にしかできない方法でやっている。ファンもその姿をちゃんと見つめている。「年齢相応の」だなんて言葉はここに入って来たらただただ浮いてしまいあまりにも場違いで意味がない。アイドルという存在(とそれをどうしても作り上げてしまう社会と観衆)に対して割り切れない気持ちを持ってしまう私が20代を終えて恐る恐る若さを手離しつつある今、実は一番欲しくて仕方ない結果を手に入れている人の一人が松田聖子なんだ、と思った。若い女の子の持つかわいさは、たしかに強い。でも最終的に手放すものならば、早く超えてサバイバルできるくらい強くなってしまいたい。ちゃっかり引き換えアイテムは手に入れて。

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