見出し画像

「セルフポートレートの人」のモデル、カメラマンとしての心のうち

わたしは、自分の容姿を特別美しいとは思っていない。
事実、特別長けた部分がわたしの容姿にはない。

女性として生まれてきて、この世に人間を生み出せる力を持っている以上
生命体としては美しいし、魅惑の力のあるものなのだけれど
顔面や容姿だけ見ると、中の中、なんの変哲も無い見た目をしていると思うし、化粧や服選びを失敗すれば、写真の加工が大変なほどのこともある。

セルフポートレートではモデルが怒ることもモデルの風評被害に繋がることもないので、Photoshopでの加工はいくらでもする、ということを事前にお伝えしておいて問題はないと思う。



セルフポートレートを撮るにあたって
わたしは自分の顔のドアップを可愛く撮る、というようなことはしないので
別段美形でなくても困ってはいないのだけど
やはりある程度造形が美しくないと様にならないこともある。

この写真には美形モデルもってきてよ〜!」と
セルフポートレートだからモデルは選べないのに唸ることもあるし
せっかくいいシチュエーションを思いついたのにモデルこの人か!(自分)と、ハードルが無駄にあがってしまうこともある。
すでに造形が美しいモデルならばさっと撮ってさっと編集に移れるのに
わたしの容姿が邪魔をしてなかなか制作がすすまないということも、もちろんある。

セルフポートレートというのは
この子はここが似合うからここで撮ろう」だとか
この子はこういう服が似合うからこういうテーマ縛りで撮ろう
と言った順応力を見せられるものではなく、
わたしの好奇心や疑問が心の中で疼きだすと、それを自分を使い表現する必要があるので

わたしはモデルとしても撮影は選べない、服装も選べない、角度も選べない。
カメラマンとしても、モデルは選べない、場所も下手すると選べない(カメラを盗まれない場所、三脚を置ける場所、など縛りがある)ため、少し元のアイデアからDegradeする場合もあるし、結果元のアイデアから異なる作品が出来上がることもある。

だからこそ、本当に美や技術的なものを追求したいときは他のモデルを使うことも適当だと思うし、そうしたいと思う時も、#セルフポートレートの人  でありながらも、もちろんある。

じゃあセルフポートレートの良さって何?

前述した通り、モデルにアクロバティックなことをさせるにも
真冬の滝に入ってもらっても、ある程度危険に晒してもカメラマンとして罪悪感がないこと。
なんでもつきあってくれる、モデルに風評被害を被らせず付き合わせることができるという点
そしてわたしの撮影のアイデアがどれだけ奇抜なものだったとしてもまた、付き合わせることができる。そして場所や時間こそ選ぶものの、相手のスケジュールを1ヶ月2ヶ月待ちせずとも、明日の朝5時に玄関で待ち合わせることもできる。
だから今日もわたしは、わたしに交渉し、わたしの思いをわたしだけで形に落とし込む。




さて、わたしは、この子が好きです。
今はもう彼女はモデルはしていませんが、
彼女が19歳の頃から彼女を撮り始めて
今24歳になり、結婚してもなお、撮らせてもらっている子。

みきちゃんと言います。

画像1

画像2

画像3

何年も同じ子を撮らせてもらっていると
自分の作風も変わるし、
対面では「いつみても変わらないね〜」と思っているモデルも
写真を通してみると大きく成長していたり
どんどん美しくなっているもの。

画像4

わたしは「自分の脳内をさらけ出し、表現する」と言う意味での
セルフポートレートを通しての作品作りと

写真を通して人の人生を記録する」と言う意味での
ポートレート撮影を行なっています。

後者はあくまでもDavid Douglas DuncanがPablo Picassoを生涯撮り続けた写真を見て、人の人生を写真で描くことの美しさに感動したことから
わたしもJournalistとして、この世に生きていた人間を生涯記録したいと思ったことがきっかけでした。

それがセルフポートレートを通して、
自分自身のことになるならばそれでもいい。

そして誰か大切な人の人生をわたしの写真を通して伝えたい。



わたしはあくまでも作られた作品です。
いつでもテーマにそってきっちり動き、きっちり角度を決めて光を定めて作りたいように自分を作り上げる。その被写体であり素材であるのが自分。
わたしの人生がそこに見えるでしょうか。
わたしは誰なのでしょうか。


そして自然体で美しい人間がいる。
ポーズを決めなくても、雑談しながらでも、お菓子を食べている時も
どんな光でも衣装に身をまとっていなくても
いつでもその時代を美しく彩っている人がいる。

わたしはそんな方々を撮らせてもらえる機会を光栄に思っています。

画像8

画像9

画像7

そんな自然な人たちがいる街並みこそがLandscapeでありCityscapeであり
そんな自然な光景をわたしは、空気のように漂い、
話しかけたり物音をたてたりせずに静かに
気がつかれないように撮影し、この世に残したい。

美しいものを美しいままにこの街と一緒に切り取りたい。

それがわたしの撮るLandscape/Cityscapeであり、ポートレートです。

画像5

画像6

わたしは決して美しい造形をした顔も体も持ってはないけれど
人が加齢する様は美しくないわけではない。

腕からは血管が浮き上がるようになり、顔にはシワができて
太ったり痩せたり疲れたり筋肉痛になったり
全て美しい工程なのではないかと思う。

そしてわたしはその一挙一動に興味を持ち、わたしに声をかけては作品作りに誘うだろうし
美しい人を見ては、空気のように漂い記録を残そうとするだろう。

「セルフポートレートの人」

結局はセルフポートレートだけでは満足いかず
また明日もカメラを担いで美しい世界を撮りたいのだろう。

【PROFILE】
Anna Claire (和名: 須賀 えま)
セルフポートレートアーティスト
15歳からモデルを始めて22歳からカメラマンとして仕事を始め
現在はフランスでセルフポートレートを撮影している。
■ Portfolio: https://annaclaire.pb.online/
■ Instagram: https://instagram.com/missannaclaire
■ Twitter: https://twitter.com/en_afternoontea
■ YouTube: www.youtube.com/channel/UCDegA5lK37oDs0RhWyMeRSQ

この記事が参加している募集

カメラのたのしみ方