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【前編】インスタライブ感想 『2021年の雛祭り・作品解説!』

ただ今、大槻香奈さんキュレーションによる企画展「2021年の雛祭り」が開催中です。

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引用元:
https://twitter.com/_shuuue/status/1338793734301872128?s=21

出展作家さんは以下の通りです。(敬称略)
池田はるか / 大槻香奈 / 金田涼子 / 北浦朋恵 / 薬指ささく / じん吉 / NOVI. / 藤川さき

豪華メンバー勢揃いで見応えたっぷりです!
映像と共に大槻さんの解説付きで楽しませて頂いたインスタライブ、今回も感想を書いてみたいと思います。

※注意※
作品1点1点ごとの感想を書いた上、大槻さん解説の引用も多く用いているためとても長いです…!動画を見て頂いた方が確実です。
しかしあえて要点を書き起こし、並列して記載したのは「様々な見方のできる作品に向き合った時、見る人によってどのような解釈を行うのか」の例を挙げられたらなと考えたためです。
(不適切でしたら自分の感想のみの記事に修正致します)

まだしばらく会期もありますので、気になる方は是非現地でお楽しみ頂ければと思います(コロナ禍ですので無理のない範囲で…)

↓インスタライブのアーカイブはこちら(YouTube版)↓


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▶︎1. これまでに行ってきた「ひなまつり展」全体についての大槻さんの解説

動画の最初は大槻さんによる、2017年から現在まで開催してきたひなまつり展に対してのコンセプトなどの解説から始まります。

以下に要約・引用します。

○ 2017年からひなまつりをテーマにしたグループ展をしてきた。今回が5回目だが、今回で「ひなまつり」をテーマにしたグループ展は一旦最終回、という気持ちで取り組んでいる。
○ 今回は8名によるグループ展。過去は6人でやっていた。

↑は2017年、最初のひなまつり展のメインビジュアル。

○ どうしてひなまつり展を開催しようと思ったか → 5年前の開催時、最近(時代の流れで)日本の祭りというものがクローズアップされなくなってきていると感じていた
○ しかし田舎ではまだお祭りというものがすごく身近にある
○ そのお祭りに参加することでものすごく大きな何かが得られるわけではない。しかし、日本の祭りの特徴として四季の移り変わりや自然のリズムと呼応するかたちが存在している。
○ お祭りを通して季節のものを頂いたり、ささやかに(本当にささやかに)身近に居る人・隣に居る人の健康や幸せを願うような側面がある。
○ よって、ものすごく大きなものを得るわけではないが、しれっと(知らぬ間に?)自己肯定感が得られる感覚があり、それによって安心してそこで過ごすことができる。
「自分がここで生きている」という当たり前のことを、ふわりと肯定してくれるなにかがある。それが日本の祭りの良さだと思う

現代に生きていて、もう一度そうした自己肯定に繋がる「存在して良い」というようなことを、ひなまつりを通してできないかと考えた。
○ 私(大槻さん)自身が、ひなまつりが好き。だが、本来のひなまつりの形というのは重すぎて、現代に昔の慣習のままの雛祭りを行ってしまうとどこかしんどい側面もある(ex. 女の子じゃないといけないのか?など)。
○ しかしお祭りのコンセプトはすごく良いので、もっと現代的なコンセプトで軽やかに行えないかと考えた

○ そこで現代に活動されている作家さんに「みなさんが今ひなまつりをやるとしてらどんな感じですか?」とお声がけをして、作品を作って頂いた(それが今回の「2021年の雛祭り」である)

ーー大槻さん談

今回で一旦最終回とのことで少し寂しく思いましたが、きっと5回のグループ展を重ねたことで、現時点でのなにかしらの答えが見つかったというか、腑に落ちた感覚があったのかなと思いました。

たとえ「ひなまつり展」が開催されないとしても、「ひなまつり」は毎年必ず訪れます。その時々に私たちは何を考え、どう過ごすのか。『2021年の雛祭り』を通して改めて考えてみたいなと思いました。

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さて、ここからは各作家さんごとの感想・考察に入ります。基本的に、まずは大槻さんの解説を引用し、その後私自身の感じたことを書いていくスタイルで進めていきます。なお、作家名のあとに続く数字は動画の該当時間を示します。

▶︎2-1. じん吉さん(5:37頃〜) / 大槻さん解説

まずは大槻さんによる解説です(あくまで個人的な解釈であり、答えではないということを断りつつの解説であることをご留意頂ければ…)

○ じん吉さんのデビューはひなまつり展だった
○ 『前髪を切った(S10号)』という作品は、今回の展示のメインビジュアルでもある

○ 女の子が鏡を見て、前髪を切りすぎたのか、前髪をすごく気にしている
○ ひなまつりというテーマのメインビジュアルにこの作品を出してきたことに、良いなぁと思った
○ 言ってしまえば、この作品はひなまつり要素がゼロで、「いかにも」なひなまつり要素は入っていない
しかし、「ひなまつりとはなんだろう」ということを考えた末に出てきた作品だと思っている。そこが本当に素晴らしい。
○ 全ての大人になる人たちに対して祝福するような気持ちを感じる
○ それはなぜか。前髪を切りすぎたのか、自分ではちょっとイマイチに思っているかもしれない絵の中の彼女に対して、それを客観的に見ている私たちは「べつにいいじゃない」と言ってあげたくなる感じがある。優しい目線の作品だと思う
○ ひなまつりは、自分よりも若い他人に対するやさしい眼差しから生まれるものだと思っている。そういった目線から日常のワンシーンとしてこの場面を切り取って、ひなまつりの作品として仕上げてくれたことに、感動した。
○ 「ひなまつりというのはなんだったのか」ということをしっかり考えて作品にしてくれた一枚。この絵がメインビジュアルになることで、今回のひなまつり展の本質を示してくれたように思えた。
※ここから絵の細部へと視線を移す

○ 描かれた少女にはそばかすがあり、制服っぽい服装に対してリュックを背負っている
○ 「昨日前髪切りすぎちゃったけど、このまま学校に行くのか…変じゃないかな」とか思ってるのかな?と思ったり。

○ しかし、よく見ると部屋が綺麗すぎる。レースのカフェカーテンにタイル貼りの壁、そして活けられたお花。
○ これら↑のことから、喫茶店にいるみたいなことも連想できる。ここはお店なんじゃないかなという見方もできる。また、光が夕陽っぽくも見えるし朝日っぽくも見える。
○ 友達と楽しくお茶したりするんだけど、お手洗いに行ってふと一人になった時に「やっぱり切りすぎちゃったかな」と思っているのかも。
○ そんな風にいろんな見方が出来る絵である
○ (じん吉さんの絵には)ちょっとしたちぐはぐさとかズレみたいなものが画面の中にたくさんある
○ 自分が鏡に向き合った時は「反転している」と感じるが、鏡を見ている人を客観的に見ると、なんか変というか、形は全く別のものに見える(= 鏡を見ている人の形と鏡に映っている人の形は全く同じでない)
○ 「本当に鏡に映っているのは自分なのかな?」というくらい、シルエットがそもそも違う。というような凸凹した感じも面白い

○ じん吉さんは過去作品でも、ちょっとしたズレや非対称性・歪な感じのバランスというのがよく出てくる。しかし鑑賞者にその歪さに気付かせないくらいに、しれっと絵(絵の中の人物など)を存在させているという作品が多い
○ ですので、そういった視点で見てみると、(じん吉さんの)絵のことが見えてくるというか、理解できると思います
(目線を天井に移し)
○ 天井にはケーキの絵がある(↑ツイート参照)。この絵も先に話した法則に沿うと、ケーキでも倒れているものとちゃんと立っているものが描かれている。そうしたこと(歪さなど)が分かりやすく描かれていて、2枚並べることでバランスを取っている
○ じん吉さん自身に聞いてみたところ「あんまり意識してなかったけど、そうかも」とのこと。

○ ケーキの背景も洗面所の背景もタイル貼り。ということはやはり友達と喫茶店に来てお茶したのかな?という見方が出来る。
○ そんな風に想像ができる、非常に豊かな作品
「ひなまつり」をテーマとしたときにこうした絵が出てきたというところに、エモさがある。とても良い作品。

ーー大槻さん談

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2-2. ナツメ感想(じん吉さん作品)

まず最初に「今年のひなまつり展のメインビジュアルは一味違う…!」と驚きました。

これまでは割とわかりやすいひなまつり像や、お人形の絵などがキービジュアルになっていましたので、結構な驚きでした。以下は2019年のひなまつり展のメインビジュアルです。

つまり、「ひなまつり」という言葉から、「前髪を切る」という行為がすぐには結びつかなかったのです。

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『前髪を切った』引用元:shuuue.net

しかし、よくよく見てみると、前髪を切ることが儀式的な意味合いにも見えてくる作品のように思います。春を迎えるにあたり、古い自分を脱ぎ捨てるように髪を切り落とす。そんな風にも見えてきます。

彼女が立つのは洗面台。水を使った様子は無いので、お手洗い前に髪型を確認したのか、もしくは髪型をチェックするためにお手洗いに入ったのかもしれません。

気になったのはリュックを背負ったままお手洗いに行っているということ。仮に友人たちとお茶しにきたのであれば、荷物は預けて行くのが一般的かと思います。しかし彼女はリュックを背負い、そのまま鏡の前に立っています。

このことから、彼女は一人で(もしかしたら前から気になっていた喫茶店に初めて来た)行動しているようにも思えました。

年齢としては大体高校生くらいかなと思うのですが、この年代って、自分で前髪を切っちゃったりしないでしょうか?(私の周りだけ?笑)

美容院に行くには面倒だったり、そのお金で別の欲しいものがあったりなど様々な理由に施され、「前髪だけならなんとかなるでしょ!」と切り始めるのですが、うまくいかない。そして揃えるうちに段々と短くなってしまう…

個人的には、この絵を見て、浅はかだった10代の頃の自分を思い起こしました。そうやって失敗した時、周りは「大丈夫大丈夫」と言ってくれたりするのですが、10代の無駄に大きく膨れた自意識にはなかなかその言葉が染み込んでくれなくて、気が済むまで何度も鏡を見てしまったりします。

でも何度も鏡で見ているうちに、どこかのタイミングで「まあいいか」と吹っ切れる瞬間があって。鏡に映る彼女は、その「まあいいか」になる直前の状態、そして次のステージに進む直前の状態のように見えました。

ケーキと前髪の彼女が対の作品に当たるかはわからないのですが、大槻さんの仰るようにタイル貼りの壁ということから、自宅とは考えづらく、喫茶店に居るように思います。

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『一切れのお祝い・イチゴ』引用元:shuuue.net


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『一切れのお祝い・ブドウ』引用元:shuuue.net

そして、これらのケーキたちも、わたしには「誰かと一緒に食べる一切れ」ではなく、「自らが選び注文した一切れ」に見えました。

面白いのはいちごのケーキが倒れているところ。シフォンケーキなどの、元々倒した状態で提供するケーキというよりは、ケーキの周囲に巻かれた透明フイルムを剥がすうちに倒れてしまったかのような、ちょっとくすりと笑ってしまうかわいらしさがあります。

逆にぶどうのケーキはうまくフィルムを外せて、「スマホで写真撮ろ!」と思っていそいそと撮ったものの、「映え」などとは無関係ななぜか真正面からの画。そこがまた可愛らしい。

見れば見るほど前髪の彼女に感情移入してしまい、勝手なストーリーを考えてしまうほどになっておりました。笑

じん吉さんの絵は全体的に、現代のようで現代でないような、不思議なノスタルジーがあるように思います。それがある意味、気持ちの良い(愛らしい)歪さに繋がっているのかもしれません。

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▶︎3-1. 池田はるかさん(15:13頃〜) / 大槻さん解説

それではまずは大槻さんの解説から。

○ 池田さんは初めて展示でご一緒する作家さん
○ 作家活動を初めて間もないが、制作歴は長く、テーマが一貫していて、とても可愛らしい
○ 単に可愛らしい絵ではなく、よく見るととても面白い絵
髪の短い女の子と髪の長い女の子の二人が必ず出てくる
○ 性格が真逆の二人の女の子の「コミュニケーション」が描かれている
○ 髪の長い女の子 → しっかり者(しっかり者っぽく見られたいタイプ)
○ 二人は顔つきも似ているし実は似たもの同士なんだけど、それぞれ役割分担(漫才に例えるならボケとツッコミ)があって、彼女たちはその役割を絵の中で演じている
○ 髪の短い女の子 → 髪の長い女の子に対してちょっとボケたり(天然)、いっぱい失敗したりする。いつもちょっとうまくいっていない。ドジな感じ(間が抜けてる?マイペース?)。
○ 『おかたづけ』(上記ツイート左上の作品)という作品について → 水中でお片付けをしている不思議な設定。髪の長い女の子はちゃきちゃきお片づけをしているけれど、髪の短い女の子の方はお皿を割っちゃう
○ 『おかたづけ』は、大槻香奈作品にインスピレーションを得て描かれた作品だそう。不思議な影響を与えられたようで良かった(笑)
○ 二人はいつもなんとなく気まずい。けれどなんとなくお互いに許し合ったり認め合ったりして、なんとなくの雰囲気で一緒にいる。そういう愛の形や幸せの形を提示している作品に見える
○ ひなまつり的には「ささやかな幸せ」をテーマにしているので、池田さんの作品はぴったりだなと思い、展示している
○ 池田さんの作品には「うまくいってなさ」を見つける楽しみもある
○ この二人の関係性は色々なことに当てはまる。例えば親子、例えば恋人や友達。特に親子関係に言えるかもしれない。「なんかうまくいってないし価値観も違うのに、なんかずっと一緒の家に住んでる」。
○ そんな風に、「うまくいっていないけれどなんとなく同じ空間に居る人」というのは居ると思う。母と子どもの関係に似ている。それがものすごく優しい雰囲気で描かれている。
○ 家族と同居されている方は池田さんの絵を飾ると良いと思う。ケンカしなくなりそう(笑)
○ 女の子の他、謎の生き物も絵の中に描かれている。この得体の知れないふわふわした生き物が、二人のうまくいかなさを中和しているというか、クッションのような役割をしているように思う。
○ ヘンなやつが介入してくることによって、二人の喧嘩がどうでもよくなっちゃうような、そんな感じがあって面白い。
○ 池田さんはグッズもとても良いので是非チェックを!

ーー大槻さん談

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3-2. ナツメ感想(池田はるかさん作品)

池田さんの作品には、今回の展示で初めてお目にかかりました。色合いも造形もとても愛らしく、けれどじっくり見て深読みするのも楽しく、一気に好きになりました。

作中に登場する長い髪の女の子と短い髪の女の子。私にはこの二人が1人の人物に見えました。1人の人物の中にある、さまざまな側面が、相互作用をもたらしながらなんとかうまくやっていってる、そんな風に感じられたのです。

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『実験中』引用元:shuuue.net

『実験中』という作品については、せっかく白衣を着ているにも関わらず、ボタンは留めておらず下半身に至っては脚が露わになった状態です。実験していたら間違いなく事故を起こします(笑)

つまり、一見しっかり者に見える髪の長い女の子も、本質的には髪の短い女の子と同じような部分を共有していて、でも少しだけ経験豊かだからなんとかうまいことこなしている、という感じがするのです。

経験豊かという発想がどこから出たかというと、髪の長さの違いです。後にも述べますが、「彼女の方が少しだけ存在していた時間が長い」という暗喩のように感じたのです(あくまで個人的な解釈です)。

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 『おかたずけ』引用元:shuuue.net

『おかたずけ』では特に、髪の長い女の子の器用さが顕著に出ているように思います。うっかりお皿を割ってしまった髪の短い女の子は、うっかりシュノーケルまで口から離してしまいます。

もし仮に(あくまで私の解釈です)、先に髪の長い女の子が自我として芽生え、その後、その器用さとのバランスを取るかたちで髪の短い女の子という概念が生まれたとしたらどうでしょう。

そう考えてみるとこの空間が「水中に見せかけた内的世界」にも見えてきます。髪の長い女の子が器用にこなすほど、髪の短い女の子はちょっとしたドジをしてしまう。そうして二人でバランスを取り合っている(しかし周りは混沌としている)世界にも見えるように思います。


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『そこにいるの?』引用元:shuuue.net

『そこにいるの?』は、小さな覗き穴を通してお互いの存在を確かめ合っています。しかし実際は神棚の正面は開けています。少し盲目になってしまっているところが可愛らしいですね。お団子に夢中になっているせいでしょうか。

ここでも、髪の長い女の子は「そんな小さな穴じゃなくても、前から出れるよ」といった仕草はしていません。あくまで二人は二人で一人であって、同じものを見ているように思えてきます。


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『あきれるくらいのやりとり』引用元:shuuue.net

『あきれるくらいのやりとり』は特に好きな作品です。パネル側面にも描かれ、まるでロール巻きの包装紙のように、ずっとこの二人の姿がリピートされるような空間の広がりを感じます。

この作品のもう一つの特徴は、他の作品に描かれているような「謎の生き物」が存在していないことです。

パターングラフィックのように描かれた二人のやりとりは、よく見ると長い髪の女の子がドジをしていたり、短い髪の女の子が相方を気遣ってご飯を用意したりなど、これまで(この二人の関係性において)普遍的と思われていた役割が逆転しています。

しかし、実はこれがこの二人の本来の姿なのではないかと思えてきます。だからこそ謎の生き物が介入(茶化したりなど)する必要もなく、二人だけでお互いの関係性を確かめ合える段階になっているのかなと、そんな風に感じました。それはまさに「あきれるくらいにやりとりをしたあと」に訪れる、穏やかな関係性であるように思います。


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『変身』引用元:shuuue.net

『変身』も興味深い作品です。長い髪の女の子は素知らぬ顔で変身を受け入れていますが、短い髪の女の子の方は「なんでわたしが??」とでも言い出しそうな何ともいえない表情をしています。そしてさらに謎の生き物は着付けを進めようとするため余計に混乱が起こっているように見えます。

意識的に変身(今と違う自分になること)を望んでいたとしても、無意識もそれに同調しているとは限りません。自分の中にある「変わりたさ」と「変わりたくなさ」のせめぎ合う、面白い作品だと思います。


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 『おはよう2021年』引用元:shuuue.net

『おはよう2021』は、まるで「この瞬間に短い髪の女の子を発見して、二人の物語が始まったのかな」と思うような作品だと思いました。

長い髪の女の子はヘッドライト付きのヘルメットを被り、懐中電灯を手にして、いかにも捜索をしているようです。しかし周りは花に囲まれており、決して怖い場所では無いということが伝わってきます。

そこで見つけたのは怪獣でも妖怪でもなく、自分によく似た女の子だった。長い髪の女の子の驚いた顔と、「せっかく寝てたのに、起こしたの誰?」とでも言いそうな短い髪の女の子の対比が興味深いですね。

これまで眠っていた短い髪の女の子(実質長い髪の女の子でもある)の持つ主体性はこの時に発見され、そして主に表に現れている自我である長い髪の女の子と上手く付き合っていくべく、これから「あきれるくらいのやりとり」が行われるのでしょう。

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▶︎4-1. 大槻香奈さん(22:30頃〜) / 大槻さん解説

まずは大槻さんの本人解説から。

○ 実家の台所の絵を描いた
○ 古い台所について色々と考えてしまう。無印良品やIKEAなどの製品は全く無く、古いものは古いまま、歪んだものは歪んだままずっとそこにある。
○ そんな台所って色気があって良いなと思って描いた。
○ ひなまつりというテーマは「健康」が切り離せない(健康や成長をお祈りするお祭りなので)
○ 子どもの健康や成長を祈った大人たち(特にお母さんやおばあちゃん)が、毎日ここで健康に気を配りながら料理をする

○ 右側に描かれたペットボトルも、買ってきたものではなく、スーパーで汲めるおいしい水が入っている。おばあちゃんはそれを汲むのを自分の役割だと認識しているところがある。「これ美味しいお水だから、みんな料理するときに使いなさい」→ みんなの健康を願っての行動
○ それでも私たちは病気になる。重症軽症に関わらず。そして、家族と健康の間には、いつも台所が存在している
○ 段々と古くなっていく台所を見ていると、それと同じスピードで自分も元気になって、かつて子どもだった自分が少しずつ大人になっていったんだなということに想いを馳せた。
○ 家はいつかなくなってしまうものだと思っている(古くなっていくから)。だから記録的な意味合いも込めて、この作品を描いた
○ おじいさんは自分が料理をするわけではないけれど、気づいたら台所に様々な細工をしている。タオルかけを設置したりまな板かけを取り付けたり…
○ そういった過程を経て、実家にしかない唯一無二の台所になっていくのが面白い
○ この風景はちょっと歪んでいて、意識朦朧としているような・夢の中のような雰囲気で描いている → 自分が健康な時ではなく、熱を出したりした時などに見えていた風景を意識している
○ パジャマを着たゆめしかちゃんと、ゆめしかちゃんのベッドが飛んでいる(病の象徴的な感じ)。そしてちょっと幻覚(飛んでいる夢鹿)も見えている

ーー大槻さん談

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4-2. ナツメ感想(大槻香奈さん作品)

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『健康』
引用元:https://twitter.com/kanaohtsuki/status/1359095236593504259?s=21

初めて見た時、走馬灯のようだなと思いました。死ぬ間際に思い出が走馬灯のように流れる、という意味ではなく、本来の灯籠としての走馬灯です。

走馬灯は、内外二重の枠を持ち、影絵が回転しながら写るように細工されています。この外側が台所、内側から照らされ現れる幻想的な模様が、切り紙細工やゆめしかちゃんたちのように思います。熱で朦朧としていた時、内側から照らされる光によって歪められたのがこの景色のように感じました。

この絵の目線の高さは明らかに大人のそれであることから「子どもの頃から見守ってくれた台所」に思いを馳せていることがよく伝わってきます(子ども目線なら上の棚などはアオリのアングルで見えるはずなので)。

また、料理をするわけでもないお爺さまも、ワイヤーでタオル掛けを作ったり、まな板フックを付けているというエピソードも面白いですね。水を汲むお婆さまと同じく、家族みんなが子どもの健康を祈って台所という場所を大切にしている・また(子どもたちの健康のために)台所に対して自分の役割を果たそうとしていることがわかります。

飾り切りの折り紙の絵はまるでかぎ針編みで作られたアクリルたわしのようでもあり、病を拭い去ろうとしているようにも見えて面白いですね。

この絵を見ていて気になったのは、お爺さま設置のフックにかけられたまな板でした。恐らく木製のまな板かと思います。
まな板(特に木製)は、使うたびに切り傷が付き、食品を切った時に着色も起こったりなどと、他の台所器具に比べて人の気配が強く感じられる(残る)ものだと思っています。

そのまな板がほぼ中央に位置しているのは、偶然とはいえ台所の核を捉えているようにも思えて、とても興味深く感じました。

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非常に長くなってしまったので、今回はここまで。中編へ続きます。

2021年02月 文責:ナツメミオ

↓中編はこちら↓




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